第19話 取引

 Tは嬉しそうだった。上空でクロウが心配そうに旋回を繰り返している。合図すれば、きっと助けに来てくれるけど、Tだってそれくらい織り込み済みだろう。


「お姉ちゃんは残念だったね。もしあの時、橘さんがいたらよかったのにね」


 私は胸でも刺されたのではないかと思った。


「あはは。そうだよね。それを考えない人間はいないよ。でもね、僕はもう一つ隠し事があったんだ。橘さんの血について。これは憶測だけどね。たぶん橘さんには未来が見える。違うかな?」


 私は全身から血の気が引いていくのを感じた。なにもかも見透かされている。


「その反応は当たりってことでいいのかな。あれから考えたんだよ。なんでルネは刺されたのかって。それで僕はふと気がついた。僕は過去が恐ろしいほど鮮明に見える。それはあらゆる痕跡があるからだ。でも、橘さんがその逆の体質なら? ってね。たぶん橘さんは視界に入っていること以外のあらゆる感覚から情報を入手して、演算して起こりうる可能性が見える」


 私は言葉が出なかった。


「その可能性に気がついた時、僕はエウレカ! って叫んじゃったよ。だって君は僕の鏡みたいな存在なんだもん。僕は過去を、橘さんは未来を。僕らが力を合わせればファミリーだって手出しできないよ! ねぇ、その力を存分に使える場所においでよ!」


 正直なところ、私は返答に窮した。Tの言葉にはある一定の説得力があったからだ。お姉ちゃんの死の真相、そして犯人、それからなにより私を必要としてくれる場所と人たち……それが若干、悪い組織であったとしても私のことを認めてくれるなら……私はつい、本音を漏らしてしまった。


「そうだね……私と君がもう少し違った形で出会っていたらその未来もあったかもしれないね……」


 Tは意外とあっさり言葉を受け入れたようだった。


「そっか……でもいいや。橘さんは僕たちファミリーにも一定の魅力を感じているってことだからね。それに姫も抱き込んじゃえば、済む話だしね! じゃあさ、未来を見える橘さんはなんでお姉さんを見捨てたの?」


〝見捨てた〟という言葉に身体が反応してしまう。


「見捨ててない!」


「おっと。ごめんね。この前のやり方は博士に止められちゃったからね。僕だって反省するんだ。橘さんが見捨てていないとしたら、橘さんにはあの未来が見えてなかったということになる……うーん。なにかトリガーがあるような気がする……」


 私は話題を変えなきゃいけないと思った。


「ルル、どうしてあなたたちはルルにこだわるの?」


 Tは考えるのをやめて、顔を明るくして応えてくれた。


「あははは。それ知らなかったんだ。つい知ってると思ってたよ、博士も抜けてるなぁ……じゃあさ、それを教える代わりに君のお母さんについて教えてよ。僕、そういう約束なら話すよ。だって、僕が聞きたいのはそういう話なんだもん」


 血の気が引いていくのを感じた。私が未来を見えること、そして姉が死んだこと、それから母親を見殺しにしたこと。まるで将棋のようだ。自軍が押されているのを感じる。でもここで大駒を切れば相手は譲歩する。


「じゃあ、ルルについて教えて」


 そうこなくっちゃとTは嬉しそうに声をあげた。


「姫はね、すごく特別なんだ。一つ目はね、王族の血を引いているってこと。彼女の拾い主が王族の血を引いていたんだね。それからもう一つは、彼女がヴァージンってこと。あ、セクハラとか誤解しないでね。僕らの言うヴァージンっていうのは、人間と一度も血液の交換をしたことがないって意味」


「でもそれだけじゃなんであなたたちが必要としているか分からない」


「そうだね。僕らの研究に必要だとしか言えない」


「研究?」


「おっと、僕は姫について話した。橘さんの番だよ」


 仕方ない。諦めて私はあの日のことを思い出しにかかった。忌まわしい記憶……。


「あの日は、もう暗かった。母親は明らかに病んでいた。それは私のせい。私には未来が見えていたから。最初は気味悪がられて、それから距離が遠くなって、母親は自分を責めて自殺した」


 私は最低限のことだけ言った。


「あれ? 情報が足りてない臭いがするなぁ……?」


「あなたの番。どんな研究なの?」


「不老不死。吸血鬼の特徴には色々とあるけれど、僕らが欲しいのは人間よりも遥かに強靱で死なない肉体……」


 それからTは少し黙って考えているようだったが、話を続けた。


「ねぇ、僕って何歳くらいに見えるかな? 橘さんよりも幼く見えるんじゃないかな……? 僕はね、先天的で直らない病気なんだ。ある一定の時期から成長が止まって後は老いていくだけ……よくてあと数年で死んじゃうんだ。この研究にはもちろんファミリーの総意もあって、彼らは軍事転用とお金のことを考えている。でも正直なところ、そんなのはどうでもいい。今の僕にはこの研究が必要なんだ。次は橘さんの番だね」


 Tの話しぶりにおかしなところはなく、ただ淡々と過去から彼の望みまですべて聞いたような気がした。私はまた過去に戻って話を始めた。


「私には見えていた。母親が飛び降りるのを。むしろずっと前から見えていた。夢にまで見た。だから何度でも止めるチャンスはあった。でもしなかった。見える度に無視した」


「そっかぁ。やっぱり見えてたんだ。でも見殺しにした。いいんだよ。親なんて勝手に子ども作って、喜ぶような連中だもん。その子どもが死にたがるかもしれないのにさ。いいんだよ。橘さんがお母さんを殺したって。

 でも、橘さんはそれを悔いているね。そしてお姉ちゃんが殺されるのも見えなかった。だからせめてもの贖罪として犯人を探している。見つければ、あの日のことがチャラになるかもしれないと思って」


 それからTは立ち上がって、意外な行動に出た。血液パックの入った袋を渡したのだ。


「これ、あげるよ。橘さんはこれを受け取るに値するだけの代償を僕にくれたからね。まあ、僕らは自分たちでルルを探すよ」


 アデューと楽しげに手を振って、どこかへ去っていった。私は呆然としたまま、その手渡された袋から手を離せなかった。


 それでも、私はのろのろと街のなかの公園まで歩いた。クロウが降りてくる。


「どうなってるんですかい?」


「私にも分からない」


「その袋は?」


「人工の血液だって」


 そう言って中身を見せる。クロウが、くんくんと鼻をならしてから、本物みたいでさぁ……と言って、別のカラスを呼び寄せた。


 そして紙袋と保冷用のスチロール容器をもたせて、とことこと歩かせる。奴らはなにか仕掛けているかもしれやせんからね。あっしたちは別の方向から行きやしょう。


 私はタクシーを拾って、適当な駅に送ってもらった。それからクロウと合流地点を決めて電車に乗る。一駅で降りるが、ドアが閉まるギリギリまで耐えた。ドアが閉まる直前に電車から飛び出す。


 これで追手が電車に乗っていたとしても、間に合わない。

 駅でクロウと待ち合わせてから、周囲を見てもらう。大丈夫そうでさぁ。と言われてから、またタクシーを拾って、今度は墓地まで直行した。安堵とも、疲労ともつかぬ吐き気のようななにかを感じた。

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