第18話 逢遇
「まさか僕の言葉を使ってくれたなんてうれしいよ。僕の部下にもたぶん今日くらいに姫が来るんじゃないかって警戒するように言っていたんだけど、朝からしかも橘さんが来るなんて誰も思いもしなかったみたい。
危機感が足りないんだよ。
僕は君が早く来ないかなってプレゼントまで用意して待ってたのにね。
あそこの喫茶店の外に席があるよね。もうとってあるんだ。Tだけにティータイムしようよ」
Tはこの前会った時と同じ調子だった。ただ、この前よりもどこか嬉しそうで……残忍な性格だということは知っていても、どこか惹かれてしまう。
喫茶店の外に並べられた椅子には紙袋が置いてあって、それをそっとどけてからTが座る。そのタイミングに合わせてウェイターが、Tにはグレープフルーツジュースを、私にはアイスティーを持ってきた。
どういうタイミングなんだ。すべて測っていたようだった。
「まず、条件の話からしないとね。じゃないと橘さんの時間が無駄になっちゃうもんね。僕が渡したいプレゼントはこれなんだ」
そう言って先程の大きな紙袋の中身を出す。それは青い保冷用スチロール容器に収めてあって、開けると中身はちょうど献血のときに使うようなパックだったが、入っているのは血ではなく、透明な液体だった。
「これは人工の血液。橘さんも知っているよね。吸血鬼には血が必要だけど、それを吸うと他人の記憶も入ってきてしまう。けどこれは人工的に造られたから記憶は流れ込んでこない。いわば完全食。僕の研究所でも実証実験済みだから安心してほしい。
で、僕はこれをカードにする。橘さんのカードはわかってるよね」
私は少し考えた。相手が欲しがるもの。
「あなたたちはルルを探している……」
「正解! やっぱり橘さんは素敵だよ。僕らのファミリーに入りなよ。僕が推薦すれば一発で入れるし、給料もいいし、待遇もばっちりだよ」
「気が進まない」
「まぁ、そうだよね。それだからこそ橘さんなんだけどさ。で、今、姫様はきっと苦しんでるよね。銃弾が当たったらしいからね。そのためには血が必要だ。だから僕はこれを持ってきた。彼女は貴重なんだ。居場所を教えてほしいな」
「自分たちで調べてるでしょ?」
「うーん。そうなんだけどね、追いかけてたやつがバカで橘さんを見失ったって言うんだよ。だから殺しちゃったけど……悪いことしたかな……」
「職場環境はさっき聞いたより悪いみたいだね」
あははははは、とTは一本取られたと笑った。その笑みの裏にはなにもないようだった。本当に天真爛漫なのかもしれない。サイコパスは社交的だとも聞くし。
「ルルの居場所を聞いてどうするの?」
「そうだね。僕らの管理下に入ってもらう。知りたいこともあるしね」
「ルルは渡さない」
「それだと交渉が決裂しちゃうから、お互いの利害が一致するところを提示するね。橘さんのお姉さんを殺した犯人だよ」
そうくると思った。私が知りたいのはそれだから。
「あなたたちが嘘をついている可能性は?」
「うーん……それは保証できない。だって僕が嘘ついてないよーって言っても信じてもらえないでしょ。でも、こんなシナリオはどうだろ?
橘さんがファミリーに入る。そしたらその目で、橘さんが納得できる形で証拠を見せるっていうのは?」
「もしそれが本当だとして、あなたたちは「証拠」を持っていることになる。でも今は見せられない。今、見せられたら私は納得してルルの居場所を教えるかもしれないのに」
「そうだね。それができないんだよね。だから人工血液をと思ったんだけどだめかなぁ……これを持って帰れば姫は喜んでくれるのになぁ」
「今の話を聞いた限りだと、ファミリーに有利なことしかないみたいだけど? 例えば私がルルの元まで案内したとして、私は消されるかもしれないし、私になんのメリットもない。あなたの言う人工血液だって、人間の血を盗めば済む話。私の血をあげてもいい」
「そうかな。姫は君の血を喜んで飲むかな?」
Tはなにか知っているようだった。
「昨日は喜んで飲んでくれたけどね」
と言って私は腕に深々と残った傷跡を見せた。
「これが、喜んで血を飲んだ跡だって言うのかい? 僕を甘く見過ぎだよ。この傷跡じゃあ、橘さんは相当痛かったはずだ。そして姫も我を失ってたんじゃないかな?」
「でも、血は足りてるってこと。だからあなたのカードは役に立たない。私はお姉ちゃんを殺した犯人の方に興味がある」
「そうなの? まだ僕の言葉を信じてくれてなかったんだ。いがーい!」
と大げさに驚いてみせる。
「前にも言ったよね。姫が橘さんのお姉さんを殺したんだよ」
「それは可能性。あなたたちが殺したのかもしれないし、いま世の中を騒がせている連続殺人鬼かもしれない。いずれにしてもあなたはその情報を持っている」
「いいねぇ。こういう話は好きだよ! 僕らは持っている。確かな情報をね。それとなら姫を交換してもらえるのかな?」
なんかひっかかる。なんだろうこの違和感は……もしルルが犯人だとして、その確固たる証拠をファミリーが持っている? にもかかわらず、ルルのことは捕まえられない。
だとしたらあの夜、ファミリーがルルを監視していたとは考えにくい……とはいえTの過去を知る能力は人間業ではない。それに……もしかしたら本当にルルが……いやいや。
「ルルは殺してない。むしろあなたたちはルルが殺していない理由を知っている。そして真犯人も」
Tは嬉しそうに笑った。これだけ見たら、本当に子どものようだと騙されるかもしれない。
「いやぁ、そう言われると参っちゃうなぁ……では僕は一歩譲歩しよう。姫が殺したというのは本当。このナイフを見てよ」
そう言って、Tは白衣の中から透明なチャック付きポリ袋に入ったスローイングナイフを取り出した。その形状からそれがルルのものであることは分かる。
「分かるよね、これは姫のものだ。そしてここにはお姉さんの血痕がついている」
「そんなのどうとでも捏造できるよ」
「まぁ、そうだね」
そう言って納得しているように、Tはうんうんとうなずいてからそのナイフを袋越しに愛おしそうに撫でてからこちらへよこした。
「たしかに姫はナイフを沢山持っているから、これで橘さんのお姉さんを殺した証拠にはならない。でも、本当のことなんだ。だからこれは橘さんに渡しておくよ。姫に見せたら真偽がはっきりするからね」
そう言ってナイフを袋ごと渡してきたので、素早く受け取ってポケットに入れた。いざとなれば武器が増えたわけだし、誰かに見られても困る。私のその動作が速かったのを見てTはまたすごく嬉しそうに声を出した。
「姫が殺したんだよってこの前みたいに動揺させようと思ったんだけど、今は別人みたいだね。そしてそれを受け取るってことはいまだ姫が犯人ではないという確信がもてないということでもある。冷静な判断だと思うよ」
「変わったかもね」
私はナイフをポケットに入れてから、そのまま銃のグリップに手をかける。
「おっと。そういうのはなしで。橘さんならとっくに気がついていると思ったけど?」
私はそう言われて周りを見渡す。黒服はいないし、客も普通だ。でもさっきのウェイターはどこか虚ろな目をしている。いや、客の中の何人かは目が虚ろだ。
「なにをしたの?」
「うーん! そこは企業秘密なんだけど、橘さんには特別に教えてあげるね! 吸血鬼には人を催眠状態にする能力がある。それを応用したってわけ。だから僕の命令一つで、橘さんは身動きできなくなるよ」
私はポケットから手をだした。
「いい反応。危機感。危機感だよ! 僕は本当に橘さんが好きになってしまったのかもしれない。胸がドキドキするんだ。澄んだ目とそれに似合わないどこか年老いた表情。そして冷静さ。
僕は初めて会ったときに感じたんだ。たぶんこの人は僕と同じ人種だって。生きることに馴染めないけれど、捨てられもしない。生の意味を求めているけれど、居場所がない……」
そのときのTの表情は印象的なものだった。いつもの天真爛漫な笑顔とも違う、人を殺す指示を出したときの冷酷な感じとも違う。どちらかと言えば、悲哀に満ちた下手をすれば泣き出しそうな顔だった。
「僕はね、小さいときに捨てられちゃったんだ。それも生まれてすぐにだよ。だから両親の顔さえ知らない。物心がついたら保護施設の中だった。
でも残酷だよね。捨てられてしまうことがどういうことか、家族がいないとはどういうことか、それさえも知らないで育ったんだから……」
私はこいつが私たちに危害を与えることも忘れて、つい聴いてしまった。
「でもある日、そんな僕をファミリーは拾ってくれた。理由はこの過去を知る能力があったから。施設には他にも孤児がいたけれど、可愛い容姿や発達の早い子ばかり先に貰われていく。
ちょっと発達が遅いかなと思われる子は貰われない。世の中の縮図みたいな、まるで体温を徐々に奪うような冷たい場所だったよ。
でも僕はファミリーに入って、家族というものを知った。そして僕の能力を充分に発揮できる居場所を得た。だから僕は自分のことを「T」と胸を張って呼べるし、「なにをしているのか?」と聞かれれば「過去の再構成」と言える。
生きる目的、理由、場所があるんだ。僕は心から橘さんにこちらへ来て欲しいと思っているよ。どうかな?」
Tは計算高いのでこの話さえでっち上げかもしれなかったが、自分のやるべきことと、居場所があることには素直に憧れてしまった。
強い信条と肯定感。それはルルにも言えることだけど……対して私はどうだろう。
たしかに姉を殺した犯人は知りたい……だからといって、それ以上のことは考えていない。
私の能力をファミリーが知ったら、有効活用してくれるのだろうか? と少し考えてしまう自分が憂鬱だった。
私の表情が暗くなったのを見て取ったのか、Tは先程とは異なった、もう少し明るいトーンで話を始めた。
「暗い話をしちゃったね! それに交渉は平行線だ。話題を変えて橘さん自身の話をしない?」
その表情には一点の曇りもなく本当に話したがっている小さな子どものようだった。
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