第14話 決別

 森に入るとあたりがぐっと暗くなったような気がした。たぶんコンビニが明るかったせいだ。少しの間、足をとめて目を慣らす。空を見上げると星空が綺麗だ。風が心地よい。コンビニで年齢をごまかせたこともあったし、ルルが回復しつつあったのでつい浮かれていたのかもしれない。ログハウスに近づくと先に一緒にいたカラスがドアをコン、ココンとノックした。なにかの符号なのだろう。それから私はドアを開けた。もちろん中は暗かったが、目が慣れているせいで様子は窺える。


「ルル! 色々買ってきたよ!」

 と私は少し自慢げに声をはずませる。


 でもその返答はうめき声だった。私はコンビニの袋を投げだしてルルに近づいた。息が荒い。どうしたの? とクロウに聞くと、こんな答えが返ってきた。


「姐さんの状況は……たしかに悪くはないでさぁ。でも、傷から銀が回っている。いわば毒に侵された状態でさぁね。毒が回っても死にやしません。ただこの状態が何日続くか……」


「どうしようもないの?」


「あるっちゃあるんでさぁ……人間の血でさぁ……ただ……」


 人間の血。そんなもの簡単に手に入る代物じゃない。献血の車両でも襲うしかないのだろうかと馬鹿げたことを考えてからよいアイデアが浮かんだ。人間の血ならここにある。


 私は買ってきたばかりの切り出し式のカッターを取り出した。刃が冷たく光る。私は袖をまくりあげるとためらいなく腕を切りつけた。それも深く腱に届く深度で。思わず痛みにうめいたがリストカッターなるものこれくらいではへこたれない。どす黒い血が滴る。流石に自分で切るとなると動脈までは切りつけられない。


 それから溢れ出る血をルルの口元へ運ぶ。ルルはまた脂汗をかいており、ふーふー息を荒げている。ルル、人間の血だよと言って腕をルルの口にあてがった。その瞬間、ルルが私の腕に噛み付いたのが分かり激痛が走った。こりゃぁ動脈まで達したなぁと思ったが案外冷静だった。動脈まで切ったことはあったがそれくらいでは死なないからだ。経験、実証済み。


 ただ痛みは増していく。映画では吸血鬼が噛み付くと、麻酔にでもかかったかのように吸われる側が恍惚とするが、そんなことはなかった。痛い! と言って少し手を引こうとするとルルが私の手を鷲掴みにした。爪が刺さって、更に激痛が走る。その間もルルは血を吸っている。点滴やリストカットではありえない出血の仕方だ。流血ではなく吸血。明らかに自分の血液が減っているという感触がある。


 軽いめまいがし始めた。流石にまずいと思ってルル、流石に……と言うが、ルルの目は血走って声さえ届かないようだった。朦朧として痛みも感じなくなってきた。死ぬのかな……となんとなく思う。まぁそれも悪くないか……せっかくコンビニで色々買ってきたのになぁと、案外のんきな自分がおかしかった。たぶん私は自殺に取り憑かれているせいで感覚が鈍くなっているのだろう。


 その時だった。ルルの顔面にステンレス製の鍋が落ちてきた。何事かと思うとクロウが空中から放っているのだ。


「ちよこさん、このままじゃ死んじゃいますぁ。早く手を離して」


 と言われたがもうなんのことか分からない。私は床にへなへなと座り込んでいる。ほとんど視界が失われつつある。今度は私の頭にフライパンが落とされた。痛みで意識が若干もどる。


 それからは食器の嵐だった。クロウが次々と部屋にある重そうなものを私とルルに投げつけてきたのだ。痛いよ! と不満を言うが、ろれつが回らないことに気がついた。これは本格的にやばいなぁ……。


 クロウが部屋にあった花瓶をルルの顔面に直撃させて割れて、はじけた。その瞬間にルルの目つきが変わった。いつものルルの目。漆黒でどこまでも透き通った目。ルルは事態に気がつくと、慌てて私の手を離した。


「チョコは?」


 明らかに動揺している。私はうーんと言ったのを最後に意識を失った。


 でもすぐに叩き起こされた。口に無理やり水を流し込まれて、むせ返ったのだ。咳をすると全身に力が入らないことに気がつく。ルルはベッドから降りていて、私に水を飲ませようとしている。ありがと、大丈夫だから……と返したがルルは怒鳴った。


 二度とこんな真似はするなと言っただろう! それでも私の意識は朦朧としている。次にスポーツドリンクを飲まされる。くそっ……とにかく水分を飲ますんだ。そんな声が聞こえる。大丈夫か⁉ ルルの怒ったような声が響く。大丈夫、大丈夫と私はろれつの回らない舌で酔っ払いのように繰り返した。


 でも少し寝かせてと言うと、今度はルルが私をさっきまで寝ていたベッドに運んでくれた。


 私は浅い眠りについた。時々、意識が戻ると強制的に水を飲まされる。また意識を失う。それを繰り返しているうちに、身体が楽になってきているのを感じた。まずいな……とルルの声が聞こえる。でも私としては、そんなに大したことだとは思っていなかった。この感覚はなんとも言い難いのだが、死には至らないという感覚だ。


 何時間経ったのだろう。それからゆっくりと身体を起こした。軽い貧血を感じたが、これも慣れたものだ。「ルル、元気そう」と私はたぶんほほえみながら聞くと、ルルは唐突に怒鳴った。


「二度とこんな真似はするなと言っただろう! 覚えていないのか!」


 そう言って、平手打ちをしそうになってギリギリのところで止めた。


「二度とするなと言っただろう」


 私は平気だってばと言って、ベッドから立ち上がってみせた。ほらね。多少の貧血は感じたが本当に平気だったのだ。ハイになっていたのかもしれない。それともルルが元気になっていて嬉しかったのかもしれない。


「出ていけ」


 ルルは吐き捨てるように言った。私は「えぇ?」とふざけたように言ってから、くるくると床の上で回ってみせた。ほら、大丈夫だよって。


 ルルは押し殺した声でまた「出ていけ」と言った。ぞっとした。その声はまるで地獄から聞こえたようだった。歩けるんだろう、なら出ていってくれ。ルルの声は静かだったがそこに怒りがこもっているのは明らかだった。


 どうして? と聞いたが、ルルは少し黙ってから、出ていってくれ、と繰り返した。私はなんでよ! と言い返すこともできた。でも、できなかった。姉のイメージと重なったのだ。急に気分が落ちる。助けてあげたつもりだったのに、余計なお世話だったんだ……またやっちゃった……。


 そっか、と私は小さくつぶやいてドアに向かう。


 クロウが「姐さん、流石に酷いでさぁ!」と言っているが、ルルはクロウも殴りつけたみたいだった。


「お前らは不要なんだ! とっとと立ち去れ!」


 それが合図だった。私はドアを開けて外に飛び出した。慌てて、クロウが追ってくるのを感じる。森を走り抜けたが、足が絡まって時々倒れる、それでも走り続けた。


 だって、私は不要だから。

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