第13話 コンビニエンスストア

 少し肌寒くて目がめた。日が落ちたのだろう。その瞬間にスイッチが入ったようにクロウに聞く。

「周りは?」

「大丈夫でさぁ。仲間を集めて監視してまさぁ」

 よかった。それから少し笑いがこみあげてきた。まるで夜戦かなにかしている軍人だ。こんな力が自分のどこにあったのだろうと思う。

 身体を起こすと全身が痛かった。腕や足だけでなく、腹筋なども含め全身筋肉痛だ。もう一度、床に身体を転がす。クロウがさっと寄ってきた。

「大丈夫、ただの筋肉痛……」

 と言うと、安心したように離れていった。天井を見上げる。シーリングファンに埃がたまっていて、これが回ったら大変だろうなぁ……なんてことを思った。

 今日は散々だった。いや、ルルに助けられてから散々か。くしゃみがでる。気がつくと私には毛布がかけてあった。クロウがやってくれたのだろう。みんなに助けてもらってばっかりだなぁ……なんでこんな私にそんなふうにしてくれるんだろう。

 教授のことが頭をよぎった。私がサンドウィッチにがっついている時に見せた笑顔……そんなことを考えていたらお腹が鳴った。口もカラカラだ。流石にこの家に食べ物はないだろうから、なにか買ってこなくてはと頭が正常に働いた。


 立ち上がるとめまいがする。両頬を軽く叩いて喝をいれる。腹が減っては戦はできぬ。今日のことで思い知った。冷静な判断と体力がなければ生き残れない。自殺なんてことは頭から吹き飛んでしまったようだった。ちょっと買い物に行ってこなきゃとクロウに言ってから、お金がないことに気がついた。クロウに集めてもらうこともできるかもしれないが、それでは頼りない……。

 ふとルルの方を見ると、ルルの上には教授のコートが掛けられている。そっとコートを拝借して袖を通す。相変わらずぶかぶかなので、袖をまくった。それから両方の外ポケットに手を突っ込む。あった。紙幣だ。掴みだすと、万札が何十枚も出てくる。ざっと見て二〇万くらいだろうか。それから小銭もばらばら入っている。教授、ありがと。

 そう思ってから、教授の最後の姿を思い出す。暗くてよく見えなかったけど……私は姉を失った。だがそんな感傷に浸る余裕はなかった。まるで感情がどこかに吹き飛んでしまったようで、涙も出ない。


 家のドアを開けると強風で押し倒されそうになって、踏みとどまる。“Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”ヴァレリーの言葉。風が立つ、生きようと試みねばならない。この詩のタイトルは『海辺の墓地』だったっけ。また苦笑してしまう。さて、どこにコンビニがあったかなと考えていると、クロウが肩にとまった。

「あっしの仲間を連れて行ってくださえ」

 そう言うと、三羽のカラスが私の周りに飛んできた。

「あー、えっとコンビニ、って分かるかな。どこかにあったりとか……」

 この子たちに言葉が伝わるか分からなかったけど、私は腰をかがめて彼らの目線にあわせて話しかける。でも逃走した時には意思疎通できてたんだっけ……カラスたちはお互いに顔を見合わせてから、何事かかぁかぁと話したかと思うと、ゆっくりと飛び立つ。伝わったみたいだ。

 こっちへ来いと言うように少し飛んでは、止まり、追いつくと、また少し飛ぶ。私は動物と会話できる童話の主人公のように歩みを進める。秘密基地に来た道とは反対の方向で、山道を降りるのにかなり苦労した。まず暗い。そのため足元がおぼつかずに、手探りで木々の表皮を確かめるように手を這わせながら一歩ずつ慎重に足を運ぶ。途中に広い空き地のような場所があって、夜空が広がっていた。星々が輝いていて、遥か遠くには黒々とした山脈が見える。暗闇に目が慣れてきているのだ。いつの間にか、暗い場所が怖くなくなってきているようだった。

 夜は二種類ある。一つは人を孤独にして、死を与えるような夜。もう一つは、木々や草花の存在が浮き立って日光の下で感じるのとは違う生命感がある夜。今は後者だ。


 彼らについていくと、無事にコンビニにたどり着いた。暗闇の中にぼんやりと光る店内が見える。何時頃だろう。深夜の雰囲気だけど……自動扉の近くに来てから、それに映った自分がひどい格好をしていることに気がつく。

 そうだった。慌ててコンビニの入り口から離れて、雑誌が置いてある方へ身を隠すように近づき、ガラスの反射を利用して服を正す。セーラー服には血がついているから、教授のコートのジッパーを下から首元まで上げてみると、すっぽり収まる。少しスカートの丈が見えるくらいだ。それから顔を袖で拭った。

 そこに映っていたのは、今まで見慣れていた私ではなかった。まるで老兵のようだ。自分の顔だけど、自分の顔ではないみたいだった。勇気が出る。堂々と、コンビニの自動ドアをくぐり抜けた。店員が覇気のない挨拶をする。怪しまれてはいないみたいだった。そう、自信をもって。堂々とするんだ。店員にとっては私が吸血鬼と寝泊まりしたり、死闘したりしたことなんて関係ない。

 買い物かごを手に持って最初に飲料水のあるコーナーに行く。スポーツドリンクと、ミネラルウォーターを一本ずつ取り出してから、ルルのことを考えてそれぞれ二本ずつにした。それから、それから……私は店内を物色する。カロリーメイトを二箱取って、生活雑貨のところを見ると包帯やらガーゼやらがあったのでそれもかごに入れた。事務用品を見ると切り出し式のカッターがあったのでそれも入れた。

 それからメロンパンとサンドウィッチをかごのなかに。だいたいこんなものかな……と思って店内を見渡すとアルコールが目にとまった。普段見慣れているようなサイズではない小さいサイズのウイスキーやらカップ酒なんかが並んでいる。棚に貼ってある「これはアルコールです」という文章で一瞬手がとまったが、黒いラベルのついたウイスキーを一つ買った。ワクワクしている自分に気がつく。こんな不良じみたことをしたのは初めてかもしれない。なら……と思って、重くなったかごをカウンターに持っていって、ピースを一つ。と口にした。タバコなんて買ったことはなかったが、なんとなくルルが吸っていたタバコには鳥のマークが入っていたのを覚えていたからだ。

 店員は気にする様子もなく「何ミリですか?」と聞いてきた。うかつ……そうだタバコにはいろんな種類があるんだ。咄嗟にルルがタバコを吸っていたシーンを思い出して「短くて小さいやつ」と答えると「ショートピースっすかね」と、店員は一つのタバコをもってきた。小さくて、ブルーの箱に入っているタバコ。ビンゴ! たぶんあっている。店員はバーコードを通しながら、ちらっとこちらを見る。やっぱり未成年だとバレるだろうか……視線をそらさずに、店員の方を見返すと、店員は目を伏せて「年齢確認お願いします」と言うので焦った。えっと、どうしよう身分証なんてもってないし、と思ってキャッシャーを見ると「二〇歳以上ですか?」とタッチディスプレイに表示されていた。「はい」をタッチする。

 合計金額の高さに驚きつつ、お金を払う。その間もちらちら店員がこちらを見てくる。まぁ無理もない格好だが、店員にしてみれば万引きしないかとか、店内を汚さないかとか、そういうことにしか関心がないのだろう。それが証拠に、年齢確認だってスイッチ一つだ。もし私が未成年でも、私が二〇歳以上とボタンを押したから売りましたと後から弁明できる。責任は他人に押しつける。


 二つになったコンビニ袋を抱えて店をでると奇妙な満足感とも優越感とも言えぬ感情を味わっていた。不良じみたことをしたからではない。それまでコンビニにお菓子を買いに行っていたのとは、全く別種の根本的な差異を感じていた。私はもと来た道を引き返す。今度はカラスは案内してくれなかったが、道は覚えていた。私は暗い森のなかへ、ルルの元へ歩みを速めた。

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