第11話 逃走
でも私の願いは受けいれられなかったらしい。前にも味わったこの感覚。誰かに受け止められた感覚。目を開けるとルルがいた。出会ったときと変わらない無表情な顔で。そしてこう言った。
「日が昇る」
「ルル……」
私はまた泣いているようだった。
「命の恩人に死をもって報いるなどこの私が許さない。生きてもらおう」
ルルの声は冷たかったが、どこか暖かかった。ビルの上階から銃声が聞こえる。逃げなきゃ! 即座にそう感じた。自分でも呆れる。自殺しようとした直後に逃げなきゃなんてまったくおかしい。
「上はヘルシングが持ちこたえるだろう。今のうちに行くぞ」
ルルのその声が終わらないうちに、すぐそばから銃声が響いた。黒いスーツを着た男が数名。銃を構えている。
「クソが!」
ルルの声は誰か別人のようだった。何発もの銃声が響き、それは確実にルルに狙いを定めていたが、どれも当たらないようだった。どれも当たらないようだったというのは、結果論でしかない。私が理解したのは、銃声となぎ倒される黒服たちだったからだ。彼らはみな、首を切られその場に倒れ込んだ。
「ルル!」
すぐに私の近くに戻ってきたルルを見て、愕然とした。ポンチョから血が滲んでいる。最初の一発が当たったのだ。ルル! ルル! 大丈夫⁉ 私は後ろから抱きついてしまった。
「弾丸など……」
と言った彼女の声には苦しさが溢れていた。たぶん、銀の弾丸なのだろう。
「急所は外れている。問題ない。クロウ!」
空からクロウが舞い降りてきた。チョコを守れ。来るぞ。ルルは短くそういった。私にはなんのことか分からない。あっという間に数羽のカラスに私は囲まれた。
「大丈夫でさぁ。ちよこさんはあっしたちが守ります」
誰から? という問いを発する時間もなかった。
ビルから何かが急降下してグチャリと嫌な音を立てた。最初はルネが飛び降りてきたのだと思ったが、その足元には誰かが下敷きになっている。教授……。
「いやぁ。姉さん。奇遇ですねぇ。またお会いできて光栄です。おや、怪我をなさっているのですか? 姉さんの血の匂いは格別ですね。ここからも分かりますよ」
ルネの足元で教授の身体が動いた気がした。
「ルルと共にいろ」
教授ははっきりとそう言った。
「流石にしぶといですね。これで人間だとはとても思えない」
そういってルネは足で教授の頭を押しつぶした。
「ここは任せてチョコは逃げろ」
ルルが言い放つ。その傷でまだ戦おうというのか。勝算は? ヴィジョンが飛び込んできた。それも複数同時に。
「クロウ! ブラックがすぐに飛び降りてくる。空中で思いっきり顔を引っ掻いて!」私は命令しているようだった。
「いやぁ、でも相手は狼であっしは」
その言葉を遮る。
「早く!」
クロウは私の言った意味を理解したのか、すぐに上昇した。
「それからあなたたち、ルルを押し倒して上から覆いかぶさりなさい!」
次は他のカラスたちに言う。一瞬、カラスたちは迷ったようだったがすぐにそうした。
ルルがカラスたちに押し倒された直後に、ルネの投げたナイフがコンクリートに当たって弾けるような高音がした。カラスは黒い。いくら吸血鬼のルネと言えど、完全には見えないだろう。ブラックがルネのはるか、後方に落ちてきた。ルネは振り返る。 どうやらクロウはうまくやってくれたみたいだ。
「ブラック!」
ルネが声を上げる。
「問題ねえ」
ブラックも喋れそうだとは思っていたが、やっぱりか。この世界はまったく……。
だが、ブラックはよろけたようだ。そう、翼を持たないブラックは空中で身体の自由がかない。その瞬間にクロウに襲われれば、バランスを崩す。もちろん着地もうまくいかない。ルネはブラックに駆け寄ってから、くそっと小さくつぶやいた。脚の骨でも折れていればいいんだけど。
ルネがブラックに気を取られているうちに私は走り出す。「みんな、ルルを運んで!」
カラスたちは私の言葉を一瞬で理解したようだった。ルルは若干、抵抗したようだが私がヴィジョンを見ていると察したのか、すぐにカラスに身を任せた。
「ルネが私に向かって短剣を投げる! 払い落として!」
今度はクロウへ命令を下す。コンマ数秒、後ろで金属が弾かれる音がした。私はその間も走り続ける。道を曲がれば、ルルのバイクが停められている。そしてルルはいつも鍵を挿しっぱなしにしている。だがその前に黒ずくめがいる。私はタックルするように道を曲がった。黒ずくめは完全に虚をつかれ、その場に倒れ込む。押さえつけて! カラスが上から群がった。
その間に私はバイクにまたがった。スクーターなら経験があるけど、バイクは……えっと、アクセルは同じだよね? 私はアクセルを全開にした。その加速に私が振り落とされそうになる。バイク自体も重くて、制御がかない。でも、ついてきて! クロウたちに指示する。カラスはルルを抱えると私の方へ飛んでくる。
「クロウ! もう一本飛んでくる!」
またナイフは空中で弾かれた。
「くそっ!」
ルネの声が遠くからした。
私は慣れないバイクをどうにか操作している。ギアは……足元? おぼつかないがなんとかなる。太陽がある。うっすらと空が明るくなってきた。
「クロウ! 日が昇る! みんなでルルに覆い被さって!」
カラスが増えた気がした。ルルを抱えるカラスたちと、それを覆うように別のカラスたちが傘のように舞った。
向かうは、墓地だ。母親の眠っている墓地。ホテルのある市街地から橋を渡った先にある。墓地の背後に広がる山のなかには姉の秘密基地がある。山の麓までバイクは風のように走ったが、ブレーキがき切らず私は木々の間に突っ込んだ。普通だったら、ここでうめいて立ち止まっているだろう。そんな時間はない。太陽光がすでに森に差し掛かっている。
私は教授のコートを脱いでクロウに投げる。
「それでルルを包んで!」
その瞬間に日が昇り、太陽光がルルに突き刺さった。コートがどれくらい意味を成すのか分からなかったが、それでもないよりはマシだろう。山を駆け上がる。全身、泥と汗でぐっしょりだ。すでに脚は限界で、息も絶え絶えだ。このままだと倒れる。
「ごめん! 私を押して!」
カラスたちが私のことを後ろから突風のように押す。秘密基地が見えた。秘密基地といっても、子どもが作ったようなものではない。放置されたログハウスのようなものだ。その側面に回る。私の記憶が正しければそこに小さな入口がある。私と姉はまだ小さかったから、そのネズミだかなんだかが開けた穴から入ることができた。
ルルをこっちに。もう、あたりは太陽に照らされているが、木々がまるで私たちを守るように日差しから守ってくれていた。カラスたちがルルを地面に下ろす。見れば、ルルは意識を失っているようだった。動かないルルを太陽光が当たらないように穴から強引に押し込んだ。
日が昇りきった。
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