第10話 混戦

 部屋の入口を見ると、そこには長身の男。ルネがいた。


「知世子、下がっていろ」

 教授の鋭い声がする。言われずとも、後ろの窓際に下がるしかない。そういえば、初めて名前で呼ばれたような……。


 教授はマットブラックの拳銃を構えながら、左手には逆手で短いナイフを持ってルネに照準を合わせる。

「博士、手荒なことは止しましょう。私はその娘に会いに来たのです。そもそもファミリーと博士は対立していないでしょう?」

 ルネは手を大きく広げて仰々しくお辞儀した。教授も大柄だとは思っていたが、ルネは痩身のせいかより背が高く見える。マントは翼のようだ。

「私が中にいれるとでも?」

 教授も余裕がある。吸血鬼は招き入れがない限り入ってこられないのだ。

「いやいや。なかに入る必要はないのですよ。そこの娘さんと話をさせてもらえればいいんですから」

「お断りだと言ったら?」

 教授が首をかしげながら言う。

「もしそうだとすれば力ずくで入るまでです。ところで、橘知世子さん、私の家族になりませんか?」

 今、フルネームで呼ばれたよね。一夜の間に、随分と私は有名になったらしい……。

「耳を貸すな」教授が私とルネの間に入ってくる。

「なるほど、その子を守ることで過去の贖罪ですか?」

「吸血鬼に襲われる人間を黙って放っておくことはできないからな」

 教授は拳銃の撃鉄を後ろにカチリと引いた。

「知世子さん、そこの男は一見すれば善良な人間の味方です。しかし数多くの仲間が殺されました」

 ルネの言葉にぞっとする。言われるまでもなく、そんなことは分かっていたが、それでもそう言われると教授も怖くなる……。

「騙されるな。こうやって問答をしながら中に入るつもりだ。決して招くなよ」

 私は教授の言葉にうなずく。こんなやつが入ってきたら手がつけられない。

「知世子さん、ルル、いや姉さんやそこの男がなぜ君をここまでしてかばうのか考えたことはないのですか? 不思議ではありませんか?」

 ルルとルネが闘った夜のことを思い出す。そう言われれば、ルルはなぜか私を守ろうとした。

「あなたにはどう考えても何かしらの力がある。私を刺したときのようにね。君なら私の力を分け与えるに値すると思いました。そして真実を知れば私のも元へ来たくなると」

 ルネは微笑しながらそう言う。

「真実?」

 私は言葉を繰り返した。

「あの日の夜にルルがいったい、なにをしたのか気にはならないですか?」

「ルルは関係ない!」

 私は自分でも驚くほど大きな声で断言した。

「ほう。それは興味深いですね。なぜそう言い切れるんですか?」

 私は沈黙せざるをえなかった。ルルが殺していないという確証はないからだ。

「知世子さんだってルルが怪しいと心の底では思っているのでしょう? この通り、吸血鬼は招き入れられなければその部屋にすら入れない。なら犯人はどうやって君の家に入ったのでしょう? 誰かに招き入れられたのではないですか?」

 ルネは淡々と話した。話に来たというのは本当かもしれない。

「理不尽な話だと思いませんか? 関係のない大人たちがあなたを引っ掻き回している。でも、あなたが私の血を受け入れ、力を手に入れればそれで形勢は変わる。あなたは今とてもいい目をしている。闘志。自分のなかの葛藤と戦いつつ、状況を判断している。実に魅力的です。それに、その子犬のような目も素敵です。昔の自分を思い出します。多くの人々に捨てられて、世界にも期待していない。私の元に来れば、あなたに世界を、そして人生の意味をお教えしましょう。魅力的ではありませんか?」

 ルネの目がキラリと光ったような気がした。すかさず教授が割って入る。

「こいつの言葉に耳を傾ける価値はない。こいつは自らの手で他の兄弟を殺し、他の吸血鬼を殺し、吸血鬼の王になろうとした。しかしルルという姉の存在がそれを阻んだ。血統はこいつを王とは認めなかったんだよ。いわば雑種よ」

 その言葉にルネが初めて表情を変えた。

「二度とその口を開けなくさせてやる」

 ルネは先程とはまったく異なった、怒りに震える声でそう言い、軽く口笛を吹いた。どこからともなく、ルネの足元に巨大で黒い狼のような四脚の獣が現れた。その頭をルネは軽く撫でる。

「ふん。またその犬ころか。蜂の巣になるぞ」

 教授は犬に照準を合わせてから、ナイフをゆっくりと握り直す。

「知世子さん、あなたなら分かるでしょう。私はここから入ることができない。だがこのブラックは違う。そして他の眷属たちも」

 そう言うと、またどこからともなくコウモリ、それもイエコウモリのような小さなものではなくカラスくらいの大きさのコウモリが数匹、ルネの周りを飛び回った。狼の数も増えている。

「この子たちを部屋の中に入れたらどうなると思います? 博士は君を守るために戦うでしょうね。しかし多勢に無勢。あなたは無惨に殺される。そんなの嫌でしょう? なぜ君はここまで生き延びてきたんですか? なんのために生きているんですか? その意味を私なら与えられる。姉殺しの犯人も教えましょう。真実を」

 私は……私は……なんのためにここにいる? いや、なぜここにいる? 死に損なって、ルルに助けられて、教授に助けられて……私の意思とは関係なくここにいる……。

「あなたには動機が必要だ。生きるためのです。だがそれを探すのは今である必要はない。時間をかければ、いずれ見つかる。そのために私の血を分け与えましょう。そうすればあなたは永久の魂と肉体を得て考えられる時間を手にできます」

 ルネは微笑した。

「……私には生きる理由がない……」

 振り絞るように言う。そう、私には生きる意味も希望もなにもない。

「それをあなたに与えよう。我が血を受け一族に入れば、君の欲しがっているものが手に入る。一度は失った家族ですら。私の動機はシンプルですよ。少なくともファミリーや姉さん、そこの博士よりずっとシンプルです。私はあなたの力を知った。そしてそれに魅力を感じている。だから仲間に、家族になって欲しい。さあ、ここを通してもらおう」

 ルネは両手を挙げて手が空であることを示すが、教授は銃の照準をピタリとルネに合わせている。

「知世子さんは知っているはずです。ルルと私の戦いを。そこの男など一ひねりです。だが君が私を招いてくれ、私を受け入れるなら見逃しましょう。これは我が血を賭けた誓約です」

 そう言ってルネは自らの手のひらを切った。血が滴る。

「この血に賭けて誓おう。あなたの居場所を与えてあげます。そしてそこの男も助ける。悪くない取引だと思いませんか?」

「ルルは?」

 私は咄嗟にそう言った。

「あなたはまだ姉さんにご執心ですか? なにかいいことでもしてもらったんですかね? ならこんな話はどうでしょう? 動機は分からない。だが姉さんにはあなたのお姉さんを殺す必要があった。君は天からの賜り物だったでしょうね。だって部屋に簡単に入れたのですから。だが姉さんは、ああ見えて弱いのです。だから彼女は君を救うことで贖罪とした、という話は?」

「ルルが? ルルはそんなことしない」

「また元の話に戻ってしまいましたね。なぜあなたはそう言えるのですか? 一度助けられたらその吸血鬼を信頼できるのですか?」

 教授が割り込んできた。

「お話の時間は終わりだ。お引き取り願おう」

 教授は私の前に立ちはだかる。彼の分厚い背中が逃げろと言っているような気がした。また目の前で戦いが繰り広げられようとしている。

 私は意外なことを口にした。

「もう止めてよ!」

 二人に聞こえるように怒鳴る。

「騙されるな!」

 教授が怒鳴り返す。

「違うよ。教授。ありがとう。私がもしルネの言うことを聞いて、こいつを招き入れたってきっとこいつは教授を殺す……」

「死んでも守る。君に出会った時、君がカズオの娘だと知った時、私はやっと終わりが見えたんだ」

 教授の声は冷静だった。

「死んでも守れるのは我々、吸血鬼だけですよ」

 ルネが横槍を入れる。今にも狼をけしかけてきそうだ。

 私はなかば独白のように語った。

「もう、充分なんだよ……私ね、さっき考えてたの。お姉ちゃんが殺されて、ルルもひどい目にあって、教授だって殺されちゃうかもしれない。私の周りには死ばっかり。真実? 復讐? そんなのなんの価値もないよ。生きる意味? そんなのこの世界の中のどこにもない!」

 そう言ってから、ルルの言葉が蘇った。「世界中を旅でもして回ったのか」。そうだよ。ルルは正しい。ほんとは私の生きられる世界はあるのかもしれないね。でももう充分なんだよ。

 私はゆっくりと窓際に近づいた。ここから飛び降りれば、流石に死ねるよね。窓からの風が気持ちいい。まるで私を呼んでるみたい。あのビルの時とは大違い。少しだけ、楽しかった。

 さよなら、私の世界。

 窓に腰掛けてゆっくりと背を倒す。

「ルネ、止めろ!」

 教授の声とともにルネが部屋に突風のごとく入り込み、私の手を掴んだ。

「ここで死ぬか? なにも知らずに?」

「もう、嫌なの! 解放して!」

「それはできない相談です。君の血筋は呪われているのですよ。だから多くの者が引き寄せられる。今も聞いたでしょう? 教授は君を救うためなら私をも利用する。憎んでいるといいながら。彼も君を助けたいと思っているのです。いや、君を利用しようとしている」

「手を離して」

 私は本気だった。このまま落ちれば死ぬ。もうどうでもよかった。死の真相? それを知って何になる? 私の家族はみな、死んだ。私にもう居場所はない。なら……私はさっきポケットに入れた剃刀を取り出した。今度のリストカットは、確実に死ぬ。しかも相手の手を切って。なんだか笑えてしまう。でもこれでよかったんだ。

 剃刀にありったけの力をこめてルネの指を切りつけた。

 私は落下しながら思う。私はただ居場所が欲しかっただけだったのにな。

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