第9話 転換点

 教授の部屋から出ると、ホテルの廊下が無人でなぜか恐怖を感じて、すぐに自分の部屋に入って電気をつけて鍵をしっかりとかけた。相変わらず部屋はだだっ広く、教授の金銭事情が窺えた。


 シャワーが浴びたい。髪の毛はベタベタだし、服も着替えたい。そういえば……Tから渡されたバッグが気になって、恐る恐る開けてみた。中はシンプルだった。私の制服と、それから下着まで……彼らが私の部屋を物色したのかと思うとぞっとしたが今はありがたく着替えさせてもらおう。T……得体の知れないやつだが、案外気が利くのか、それともここまで織り込み済みなのか。まぁいい。

 私は服を脱ごうと思って、それまで羽織っていた教授のコートを脱いだ。そう言えば、私が吐いてからずっとこれを着ていたのだ。よく見るとそのコートはモスグリーン色で、ところどころ解れてはいるもののそれが縫い直してあり使用者が丁寧に着ていたことを表していた。生地はコットンで、分厚い。ミリタリーコートかなにかなのだろう。ヘビーユーズを想定して作られている。明日、返さなきゃと思って丁寧に畳んだ。

 それからセーラー服を脱ぐと、酷い有様だった。白かったはずの生地にはところどころに血のシミがつき、私の体臭が染み付いている。ついため息がでる。こんな格好だったのか。スカートはもっと酷かった、いたるところが解れ、破れている。ルルとルネが戦った時のものだろう。それらをゴミ箱に投げ入れて裸になってシャワーを浴びた。太ももの傷は完治していたが、ミミズ腫れのように周りの皮膚が引きつっている。風呂はジャグジーつきで、全身を伸ばしきってもまだ余りあるサイズ。今日までのことが頭のなかをぐるぐるした。

 ルルとの出会い、それから激しい戦闘。ルルはお姫様だったっけ。それからルルに舐められて、クロウに会って、教授に会って、Tに会った。リア充かもな、と場違いな言葉が浮かんだ。不思議と姉のことは思い出されなかった。


 ホテルには備え付けのバスローブのようなものもあったが、なんとなく制服を選んだ。バスローブはどこか頼りなかったからだ。それから冷蔵庫に入っているスポーツドリンクを飲み干すと、生きた実感がした。髪を丁寧に乾かしてからベッドの上に転がると、教授から渡された包みが視界に入る。こんなものを使う日が来るのだろうかと少し嫌な気持ちにもなったが、もともとは父のものであると言われたので改めて見てみる。

 短剣の柄にはザラザラとした紐が編み込むようにして巻かれていたが、あまり汚れてはいなかった。たぶんほとんど使われていなかったのだろう。鍔は銀色で、柄は黒の塗り物。ゆっくりと抜き出すと、刃がキラリと光る。先端恐怖はないがやはり不気味だったのですぐにしまった。それから、銃を眺めてみる。グリップは金属に木製の板が取り付けられていて、握ってみると白木の包丁のように手に馴染んだ。構えてみる。銃身は真っ黒で、スコープというのだろうか、照準を合わせるところをのぞいて対象を見ると、これが武器なのだと改めて感じた。どこかで銃の持ち方について解説を読んでいたのでそんな風に構えてみる。右手でグリップを握り、そのボトムを左手で固定する。スコープは両目で見る。でもこれで誰を打てばいいというのか。

 ルルのことが一瞬頭をよぎったが、首をふってから銃も短剣も革包みにもどした。それから銀製のコンパス。パカリと開けると、それは普通のコンパスのようだった。北を指し示しているのかそれとも、どこか遠くの吸血鬼の方角を指し示しているのかわからなかった。もう少し訊いておけばよかった。コンパスには細い、たぶん女性用の鎖がついていて首から下げられるようになっていたので、下げてみると重さに驚いた。これもボツ。すべて、革包にもどした。

 これからどうなるんだろう……。部屋の電気は消すのが怖かったので少しだけ照明を落とす。換気用のファンの音がしている。夜はすでに深まっている。室内にまで夜の気配が忍び込んでいる。部屋の広さが改めて実感されて怖くなった。さっき畳んだ教授のコートをまとうと、少し気持ちが和らいだ。


 姉は死んだ。その事実について少しだけ考える。死んだんだ。あまりに疲れているせいか、感情の起伏はあまりなかった。ショックが大きすぎて処理できないだけかもしれない。復讐か……たしかにお姉ちゃんを殺したやつがいるなら憎い。でもそんなことをして何になると言うんだ。教授も復讐は後悔を生むと言っていた。

 頭がぐちゃぐちゃになってきて、私は発作的にホテルにあった剃刀で腕を切ろうとしていることに気がついた。この癖は治らない。初めて切った時は痛かったけど、今はあまり気にならない。刃を皮膚に押し当ててから、ルルの怒声が聞こえたような気がした。はぁ……結局、腕を切るのはやめてスカートのポケットに突っ込む。

 私はコートをぴったりと身にまとってみる。ぶかぶかだが、なんだかカッコいい。教授の話が思い出される。彼は父の知り合いだったらしい。それから恋人のこと。みんな複雑な過去があってここまで来ているんだ。対して私は……私は、なんでこんなところにいるんだろう。そして何をすればいいというのだ。誰か教えてほしい。


 その願いが聞き入れられたのか、窓からコツコツという前にも聞いた音がした。ここは最上階。敵かもしれないと一瞬思ってから、なんとなくクロウのような気がした。それでも少し怖くてさっきしまったナイフをそっと手に取る。カーテンに近づいて耳を澄ませると、コツコツとまた音がする。軽いもので叩いている音。やはりクロウだろう。そう思ってカーテンをそっと開けてみる。

 やっぱりクロウだった。それを見て、胸をなでおろした。窓を開けてもすぐにクロウは入ってこず、外でホバリングしている。

「探しやしたぜちよこさん」

「ありがと」自然とそう口にした。

「ところで、その手に持っているのは?」

 クロウは目が早い。慌てて隠したが遅いだろう。

「ナイフ、ですかね」

 私はうなずいた。

「そうですか。ちよこさんはファミリーにつくんですかい?」

 意外な言葉にきょとんとしてしまった。

「いや、つくもなにも……」

 ではそのナイフは? クロウの口調は厳しかった。

「ごめんなさい。その、そんなつもりはなくて……」

 私は慌ててナイフをベッドに投げた。

「ちよこさん、今のあなたは三つのグループの間で揺れてやす。一つはあっしと姐さん、もう一つはヘルシング、最後の一つがファミリー。どこにつくんです?」

 そんなこと考えてもいなかった。

「どこって……」

「時間がないから、手短に言いやす。ちよこさんは決めなきゃいけない。どこにつくのか」

「そんなこと急に言われても……」

「時間がないんでさぁ。どこにつくのか、もしあっしたちにつくならとっとと、このホテルから逃げなせえ。下に出ればあっしの仲間が助けてくれやす。すぐに姐さんも来るでしょう。でも、ファミリーやヘルシングにつきたいというのなら、話は別でさあ。あっしたちの敵になる。あっしはお嬢さんが嫌いじゃないが、敵なら排除しなくちゃいけねぇ」

「そんな……待ってよ。だって、決めろって言われたって……たしかにファミリーは怖かった。教授はちょっと違うけと……でも、ルルだって……」

 そこで言葉が途切れる。ルルだって、私の姉を殺したのかもしれないのだ。

「ちよこさんは巻き込まれてしまったんでさぁ。とっとと決めないと、待ってるのは死だけでさぁ。この世界で判断の遅れはすぐに死に直結しやす。あっしの希望としては……」

 その瞬間に部屋のドアが開かれ、教授が駆け足で入ってくると同時に銃を撃った。サイレンサー付きのオートマチック拳銃。火花が飛んで、クロウのいたところをかすめる。

「そろそろ、来る頃合いだと思ったよ」

「ほら。ちよこさん、あなたがどこにつくか決める時間でさぁ」

 クロウは窓の上の方で飛んでいるようで、目には見えない。

「おっと、別の客人も来たようでさぁ」

 クロウの言葉で後ろを見ると、ルネが部屋の入口に立っていた。

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