第7話 戻し屋

 その少年の背丈は小学生くらいで髪は白く、真っ赤なチュッパチャプスを舌で弄んでいた。周りには透明のレインコートを来たような黒いスーツの男が何人かいたが、彼が合図するとさっと部屋の外へ出ていった。この部屋には少年と、私、教授しかいない。

 少年は嬉しそうにこちらを向いてあいさつした。


「僕はTって呼ばれてる。お茶みたいで気に入ってるんだ。もちろんコードネームだけどね。僕の修復はどう? もう少し時間があれば完璧に君の記憶の方が誤っていたと思うくらいには元に戻せるんだけどね。でも、今回はちょっと手間取ったんだ。本当は姫に事情を聞いておきたかったんだけど、まさかまさか、橘先生の娘さんが見つかるなんて思ってもみなかったよ。だから、彼に頼んでここまで連れてきてもらった。というのも、吸血鬼二体がしかも一方的な形で戦闘したところまではわからなくもない。けれど、なぜ君たちが逃げられたのか分からないんだ。

 後から来た方が圧倒的に強かったことを物語っている。でもね、姫がこんな無様な戦いをするとも思えない。彼女はなにかを気にして動いていた。そしてたぶんそれは橘さんなんだけど、その理由は置いておくとして。なにより不思議なのは襲来者が一瞬の隙に二箇所も刺されていることだよね。すべての痕跡がそれを物語っている。そしてその傷は彼が身を引きざるをえないほどの重症だったこともね。そこから導きだされる結論は、ひとつ。つまり君が吸血鬼並みの反射神経と移動速度でもって襲来者に斬りかかった。でもそれは人間業じゃない。ならまぐれ当たりでの突進? そんな痕跡は残ってない。君の足取りに迷いはなかった」

 私は嫌な予感がした。この少年の目は冷たく、私の目を見てはいない。まだ後ろの教授のほうが人間臭い。

「つまり?」

 私は冷静に返した。本当は今にも昨日の光景がよみがえって吐きそうになっているのだが、この部屋に来てからなにか感触がおかしい。ここで私が大声を出したり、逃げようとしたら危険だということが肌をピリつくように感じられた。

「僕は橘さんに興味がある。僕の巻き戻しはいつも完璧だ。物質が存在している以上、その痕跡はこの世界に残る。そして僕はそれらから演算して得られる可能性をすべて導き出し、最も整合性の高いものを取捨選択する。しかし、今回の場合はそれに困った。もっとも合理的な回答は君が特殊な人間であるというものだが、どのように特殊なのか分からない。だから教えてほしい。君の秘密を」

「そんなのないよ」

 私は動揺していることを隠すために、ぼそぼそと話した。

「なら君は気まぐれで姫の二倍もある吸血鬼の足を寸分の狂いもなく貫いたと?」

「気がついたら、そうなってた」

 もちろん嘘だが、言葉数を絞って相手の出方を伺うべきだろう。

「嘘が下手だね。もしそんなことができるなら、君は無様にこんなところにやってこない。博士に捕まるとも思えないし。そもそも、君の姉上の件も」

「お姉ちゃん?」

 動揺し、それをTは鋭い番犬のように察知した。

「情報は常に完璧に。これがモットーでね。君の姉上、えーっと、千鶴さんだっけ?は吸血鬼に殺されている。君は目撃したはずだ。それとも、それも否定する?」

「お姉ちゃんは、殺された……」

「そうだね。脈はとった? つまり、君のお姉さんはいつ殺されたのかな?」

「やめて」

 私は声を押し殺した。ここで感情的になってはいけない。

「僕の構成によれば、君のお姉さんは君が見た時、まだ生きてたんじゃないかと思っている」

「そんなはず……」

 ない、と続けられなかった。実際に脈は取らなかったのだから……。

「だから、脈はとったのかい? と聞いたんだよ」

「ルルが、見るなって」

「そうそう。その調子だよ。なんで姫は君のお姉さんの死体から君を遠ざけたのかな?」

 それは……そんなの肉親に見せたくないからだと思うけど……。

「もしだよ。もし、君のお姉さんが姫によって殺されていたとしたらどうだろう?  つまり君が見たのは殺されたばかりの死体だったとしたら?」

 少年はさも愉快そうに口元をつり上げて笑みをうかべる。

「そんなはずない。あれはきっともっと前だった」

 私はTに表情を見られないようにうつむいた。

「君は家に入ってきた時、血の匂いを嗅いだんじゃないかな? つまり新鮮な血の匂いだけどね」

「ルルがそんなことするわけない!」

「誤解しないでほしいな。僕は君のお姉さんを殺した犯人を追っている。橘さんだって知りたいでしょ?」


 私は一瞬、沈黙した。その沈黙を破るようにして部屋のドアが乱暴に開けられた。Tの仲間と思われる黒いスーツの男二人が太った女性を羽交い締めにして連れてきた。女性には見覚えがあった。お隣さんだ。

 彼女は「あんたたちは誰なの! 警察を呼ぶわよ! 離しなさい!」といったことを終始、わめいていた。Tの顔が一瞬だがひきつった。私は嫌なものを感じる。

「その方は?」Tは先程と変わらない抑揚で、男たちに聞いた。

「はい、この家の外でわめきちらし、警察を呼ぶと言っていたので確保しました」

「おばさん。僕はね、今こちらの女性と話している最中なんですよ。邪魔しないで下さい」

「あら、知世子ちゃんじゃない! どうしたの? 大丈夫? 服もボロボロじゃない」

 たしかに……服はひどい有様だ。ところどころに血が跳ねているし、髪もぼさぼさ。一夜にして浮浪者みたいな身なりになっているだろう。彼女は私が小さい頃、よく声をかけてくれていた。

 そんな言葉をTは無視して話しかけた。猫なで声だが、その奥にはなにかもっと暗いものが潜んでいる。

「おばさんね、繰り返しになるけれど、僕とそこの橘知世子さんは重要な話をしているんだ。昨日、ここで二人の吸血鬼が戦い、そして彼女のお姉さんが殺された。だから僕らはそこで本当はなにが起きたか探求しているんだよ。分かるかな?」

 Tの口元はつり上がって、一見すれば笑顔のような表情だったが、目は笑っていない。

「吸血鬼? なにを言ってるの? 意味が分からないわ! 警察! 警察よ! 知世子ちゃん早く警察を!」

「残念だなぁ。見てごらんよ。橘さんはこんな状況でも僕と渡り合おうとしているんだよ。膝を震えさせて、自分を鼓舞している。今すぐにでも泣き崩れたい思いを抑えて、そこに立っている。分かる? 彼女は警察なんかあてにしてない。自分の足で立って、たった一人で僕が何者か問おうとしているんだよ? なのにあなたは警察だとかなんとか、意味の分からないものについては誰かに任せればいいと思っている。なにより最悪なのは、危機感がないってことだよ。き、き、か、ん」

 Tは最後の言葉を一語一語、区切るようにして発話した。私はTの最後の言葉にぞっとした。たぶん彼女は殺される。ヴィジョンではない、直感だった。なにかこの場所にはルールのようなものがあって、そのルールのネットのようなものはレーザー光線のように触れたものを一瞬で焼き尽くす。

「なによ! 子どもが偉そうに! 早く離しなさい!」

 おばさんは、それでもやめなかった。私にはおばさんがルールに触れるのが見えるような気がして、止めようと思ったけれどどうしたらいいのか分からない。

「はぁ。人を外見で判断しちゃだめだよって習わなかった?」

 とTは心底、つまらなそうに人差し指を左右に振っている。まるで子どもをたしなめるように。それからその人差し指をゆっくりと折り曲げた。

 その瞬間に低い音とうめき声がした。男たちによって彼女の首が一八〇度回転させられたのだ。たぶん一瞬で殺された彼女はそのまま部屋の外へ連れ出され、ドアはゆっくりと閉められた。


「邪魔が入って悪かったね。どこまで話したっけ? いいところだったような気がしたんだけど……興ざめだったよね。彼女のような人間には興味がわかないんだ。だってつまらないでしょ? 現状を理解する知性もなければ、受け入れる勇気もない。その点、橘さんは賢い。ここに入ってきてから暴れたり、大声を出したりしていない。そればかりか、僕に対してしっかり警戒して、情報もほとんど渡さないようにしている。状況をよく理解している、つまり危機感というものをよく知っているんだ。人間の限界、恐怖、そういったものと常に向き合ってきた。僕はそういうのが大好きなんだ。そうそう……」

 Tは紙製のファイルを机の上からとりあげた。

「橘さんについては調べさせてもらった。お母さんは気の毒だったね。それから君のお父さんも。なんでこう、親っていうのは無責任なんだろうね。生命を誕生させるということは、同時に死を与えるってことを理解していないのかな。それにお姉さんも。心からお悔やみ申し上げるよ。たしかに、君は今、不幸な状況にいる。けれど、それ以外はいたって平均的。言語コミュニケーションの能力に優れ、身体的にも優れていることが報告されているけどね。でもこれは人間の平均的な数値の範囲内だ。そして君は吸血鬼でもない。いったいなんで、君は吸血鬼を刺すことができたんだろうね」

「気がついたらそうなってた」

 お隣さんが殺されたのは当然、ショックだったが今はそれどころではない。私は可能な限り、感情を隠してボソボソと呟くように話した。相手から情報を聞き出すのに多弁は不利だ。

「そうか。やっぱり君はなにかを隠しているんだね。でもいいや。それはいずれ分かることだろうし……それよりも、僕らの共通の利害のある話をしよう。君のお姉さんだ。いったいぜんたい、誰が殺したのかな? この部屋で、見えるでしょ。少し前までここが血の海だった様子、そして臭い、姫の動き」

 私は段々と気持ち悪くなってきた。Tの言う通り、私は昨日の光景を思い出している。

「今も君のお姉さんがここで死んでいたことがフラッシュバックしているね。それでいいんだ。それがいいんだよ、橘さん。そして君は、あの時、脈をとればよかったと後悔している。だって、もしかしたら助かったかもしれないんだからね。でも姫はなにをした? そう、君をお姉さんから遠ざけた。意味は分かるよね」

 そんなはずない。だってルルはあのあと、すぐに私のことを助けてくれた。でも、なにか別の理由があったら? 私の脳裏に姉の死体がフラッシュバックした。軽くめまいがしてよろける。


「T。この娘は君の玩具じゃない。私は君たちのようなやり方は嫌いだ。この娘を連れてくれば、私の獲物についての情報がもらえると聞いたから来たまでのこと。人のトラウマを引っ掻き回すだけなら、連れて帰る」

「ふぅー! 男らしい。博士はバカだよねぇ。それだけ優秀なのに僕らのグループにも属さず一人孤独に吸血鬼を狩り続けている。僕らの仲間になりなよ。一緒にこの世界から彼らのような存在を駆逐しようよ?」

「私は君たちを信頼していない。君たちは彼らを駆逐するのではなく、研究し応用しようとしている。私は彼らを駆逐するのが使命だ。協力はできない」

「あーあ。お友達になりたいなぁ。僕は。君みたいなハンターはうちの班にはいないからね」

「それで。私はこの娘を連れてきた。対価として連続殺人鬼の情報をもらおう」

「どうしよっかなぁ。だってその子、なーんにも教えてくれないんだもん」

「それはこの娘の判断だ。私と君の取引には関係ない」

「なら、その子を置いてって。僕がたっぷり情報を引き出すから、君にもその余りカスをあげるよ」

「外道」

 教授は吐き捨てるように言う。

「ねーねー! 橘さん、君はどっちがいい? 今ここで君が知ってることをぜーんぶ話しちゃうのと、ちょっと痛いお薬で眠ってる間になにもかも話しちゃうの? はっはっ、結果は同じかぁ」

「だから、知らない」

「でも、僕は知っている。君のお姉さんを殺したのは、君がつい昨日まで行動を共にしていた女の子だってね」

「ルルが?」

「食いついてきたねぇ。そうこなくちゃ。そうだよ。あのお姫様は昨日と同じ顔で君のお姉さんを惨殺したんだ。だって姫は迷いなく、この部屋に入っていったでしょ? そして過去にお父さんも殺し連れ去った。今頃、どこぞで白骨化してるだろうね。このお話、もっと聞きたくなーい?」

「嘘だ!」

 私は声を押し殺したままだったが、怒鳴っているようだった。

 ルルが? 私の姉を殺した? 私はまた癇癪を起こしそうになったが、後ろから教授に羽交い締めにされて正気が戻る。行くぞ、と鋭い声で部屋から私を連れ出した。

「またね〜」

 とTが無邪気に手を振った。ドアを出ると、例の黒ずくめが私のバッグを手渡してくれた。何が入っているのか少し恐怖を覚えたが、T様からですと言われそのまま受け取った。

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