5. あの日の僕ら 56~60


-56 宝田家と好美-


 影ながら自分達を見守っていた柔道部の仲間にお礼の盃を酌み交わそうとする美麗。


美麗「なるほど、心配かけてごめんね。ほら呑んで。」


 グラスに入ったビールを必死に呑み干す安正。


美麗「早く、それとも私の酒が呑めないっての?」

安正「いや、そういう訳では。」


 美麗と安正は人生で1番と言える位に吐くまで呑んだ、宴の夜は楽しいまま更けていった・・・。

 翌朝、家でも呑んでいた好美はソファの前で倒れ込む様に眠っていた。テーブルの上には開けっ放しのチー鱈と中身が半分程残った缶チューハイが残っていた、本人は覚えていなかったのだがどうやら松龍から帰った後に守と部屋で宅呑みをしていたらしく、隣で彼氏が倒れ込んでいるのを見つけた。


好美「守、起きて。朝ごはん食べよう。」

守「嗚呼・・・、俺が作る約束だったもんな・・・。」


 酒のせいで約束をすっかり忘れてしまっている好美、ただキッチンを貸すだけで楽に食事が出来るので流れに任せておくことにした。


好美「そ・・・、そうだったね。冷蔵庫の中の物何でも使ってくれて良いから。」

守「分かった・・・、見てみるわ。」


 ゆっくりと重い体を持ち上げた守は頭をかきながら冷蔵庫の扉を開けた。


守「おいおい、酒しか入ってないじゃん。」


 そう、昨日美麗に会った後に商店街へ行く予定だったので何も買っていない事を忘れていたのだ。


好美「ごめん、一昨日冷蔵庫の中の物全部放り込んで美麗とラーメン鍋作ったのを忘れてたわ。」


 一緒のマンションに住んでいるが故にちょこちょこ一緒に食事をする様になっていた2人、すぐに戻って来れる範囲でなので龍太郎も王麗も安心していた。

 ただ問題はそこでは無い、今朝はどうするつもりなのだろうか。


守「時間は・・・、8時50分か。今から歩けば丁度商店街の店が開く時間になるかもだな。」


 その時、守の携帯に着信が。相手は母の真希子だった。


真希子(電話)「守、あんた昨日からどこにいるんだい?」

守「ごめん、松龍で呑んで彼女の家に泊ったんだ。」

真希子(電話)「やっぱりね、車があったからそうだと思ったよ。朝ごはんはどうするんだい?」

守「今から商店街に買い物に行って作るつもり。」

真希子(電話)「何だい、何もないのかい。」


 流石に酒しか入っていないとは言いづらい。


守「今日火曜日だろ、「魚政(うおまさ)」の大きいホッケの開きが出る日じゃないかと思ってさ。」

真希子(電話)「そうだね、すっかり忘れていたよ。あれ美味しいから後で母ちゃんも買いに行こうかね。」


 電話を切った守は電話の間に着替えた好美を連れて商店街にある魚政へと歩いて向かった。


好美「朝に焼き魚って贅沢だね。」

守「そうか?うちはいつもそうだけど。」


 魚がメインになる和定食は結構一般的なはずなのだが、徳島にいた頃から朝は大抵パン1個だけの好美からすれば豪華な朝食に思えた。

 ただ問題が発生している。


好美「あ・・・、ご飯炊いてない・・・。」

守「本当だ・・・、やらかしたな・・・。」


-57 深夜の海と贅沢なご馳走-


 松龍からの帰り道、裕孝は香奈子に歩幅を合わせて歩いた。


裕孝「今日は呑んだな。」

香奈子「本当、久々にひろ君と呑めて嬉しいよ。」

裕孝「駅まで送ろうか。」


 終電まであと10分、駅まであと数百メートル、突然香奈子が目に涙を浮かべて立ち止まった。


香奈子「帰りたくない、海行きたい。」


 初めての我儘だった。

 人気の無い夜の海、灯台の灯りと過行く車のヘッドライトだけが辺りを照らしている中、裕孝は香奈子が乗るはずの終電が線路上を走って行ったのを眺めていた。


裕孝「行っちゃったな・・・。」


 裕孝の優しい声に全く気付かない様子の香奈子。数分程静寂が辺りを包んだ後、小さい声でつぶやいた。


香奈子「良いの、こうしてたかったから。」


 授業や部活、そしてバイト等によりなかなか作る事が出来なかった2人の時間を終わらせたくなかったらしい、香奈子はやわらかな波の音にずっと耳を傾け黄昏ていた。

 数十分後、家が近かった裕孝はダメ元で聞いた。


裕孝「ウチ、来る?」


 それから数分程黙り込んだ香奈子は灯台の明かりに照らされながら答えた。


香奈子「うん・・・。」


 香奈子は再び涙を浮かべていた。

 2人は付き合い出してからよく会う様になっていたが、恋人らしい事をあまりしていなかった。それが故に裕孝の心が自分から離れているのではないかと思っていたのだ。ただそれは香奈子の勘違いで、ただの時間の食い違いが香奈子に切ない想いをさせていた。

 一歩も動かず立ち止まったままの2人、裕孝は意を決して声をかけた。


裕孝「あのさ・・・。」


 緊張から声が裏返ってしまった裕孝は大きく深呼吸した。


裕孝「キス、してみない?」


 少し抵抗しながら発した言葉につい恥ずかしくなってしまった。


 月明りの下、香奈子が何も言わず近づきそっと唇を重ねた。それから数十秒程、2人は目を閉じて動かずにいた。


香奈子「行こっか。」


 そう言うと海沿いの道ゆっくりと歩きだした、数分歩いたところにあるコンビニに立ち寄り缶チューハイを買った。互いをイメージしたのだろうか、香奈子はマスカット味を、裕孝はサクランボ味を選んだ。2人は車止めに腰かけるとゆっくりと缶を開けて乾杯した。偶々夜勤で店にいた店長がやめさせようとしたが、いい雰囲気だったのでやめたという。

 しかしこの寒空だ、自分に出来る事は無いかと考えた後、おでんを数種類詰め込んで自分の財布からレジにお金を入れて外の2人に近付いた。


店長「お客様恐れ入ります、少しご協力をお願い出来ませんでしょうか。」

香奈子「何でしょうか。」

店長「実はおでんを作り過ぎちゃいまして、宜しければお召し上がり頂けませんか?」


 勿論嘘だ、この日は足りないと言える位におでんがバカ売れしていた。


裕孝「良いんですか?」


 裕孝は湯気の立つ容器を見つめながら聞いた。


店長「はい、余り物なのでお代は結構です。では。」


-58 朝ごはんをきっかけに-


 店長が店に入って行くと2人は海を眺めながら目の前のご馳走に食らいついた。おでんの温かさが店長の心の温かさだと思うと嬉しかった。

 2人は容器を店内のゴミ箱に入れ発注業務を行っていた店長に軽く会釈をした。


店長「またいらして下さい。」


 そう言うと店長は手を振って2人を見送った。

 午前3:00、コンビニから裕孝の家までの道を月明りだけが照らしていた、波の音が優しく響く中、2人は小さなアパートに着いた。廊下を照らす赤い豆電球の光が2人を出迎えた。

 奥の階段を上がってすぐの203号室、そこが裕孝の部屋だった。直前に掃除をした訳ではなかったのだが、部屋は綺麗に片付いていた。

 午前9:00、窓から差し込む陽の光が2人を起こした。裕孝は2人分の珈琲を淹れて1つを香奈子に渡した。


香奈子「何か作ろうか、冷蔵庫開けるね。」

裕孝「あ・・・。」


 香奈子は冷蔵庫を開けて驚いた、中には缶ビールと栄養ドリンク、そして牛乳しか入ってなかったのだ。


香奈子「どういう事?」

裕孝「料理得意じゃなくてさ、いつも栄養ドリンクとプロテインだけなんだ。」


 裕孝の言葉を聞いた香奈子は朝早くから開いているスーパーへと向かった、30分後、両手に買い物袋を抱えて帰って来た。


香奈子「そんなんじゃ死んじゃうよ!!私許さない!!」


 少し怒った様子の香奈子は殆ど使われた形跡がないキッチンに立つと2~3品程手早く作った、眼前の美味そうな品々に裕孝はつい体が震えた。


香奈子「大袈裟だよ。」

裕孝「食べて良いの?」

香奈子「良いに決まってんじゃん。」


 裕孝は出された料理を1口食べると、じっくりと咀嚼して味わった。不器用な自分の為に用意された贅沢な料理、このアパートに住み始めた頃には想像も出来なかった位の幸せ。


裕孝「美味い・・・。美味いよ、かなちゃん。」


 感動した裕孝は涙を流していた、自分を心配した目の前の女性が用意してくれた料理の温かさと女性の気持ちが本当に嬉しかった。


裕孝「こんなに美味いの初めてだよ。」

香奈子「隠し味を入れたからね。」


 裕孝は隠し味が何なのか聞こうとしなかった、本人だけが入れる事が出来るものを香奈子が入れてくれたことにしたかったのだ。


裕孝「嬉しいよ、白飯が足らないな。」

香奈子「そんなになの?5合は炊いたはずだよね?」


 図書館で初めて出逢った頃からの事を思い返すと決して5合では足らない。


裕孝「これも食べて良い?」

香奈子「良いってば、食べないと勿体ないでしょ?」

裕孝「こんなに人生で嬉しくなった朝ごはんは初めてだよ。」


 裕孝は改まった様に全ての料理に箸を付けた、どんどんお代わりをするので炊飯器の底が見え始めていた。


香奈子「いくら何でも食べ過ぎだよ、この後大丈夫なの?」


 別に予定の無い裕孝は改まった様子で箸を茶碗の上に置き、涙を流しながら正座をした。


裕孝「かなちゃん、いや山板香奈子さん。俺と・・・、結婚して下さい!!」

香奈子「勿論・・・、喜んで。」


 狭いアパートの1室でプロポーズを受けた香奈子は思わず涙を流した。


-59 涙の理由-


 恋人が涙を流す中、折角の朝食が冷めると勿体ないと思った裕孝は香奈子にティッシュを数枚渡した。

 正直言うと自分の気持ちをそのまま打ち明けただけだった為に動揺していたのでどうすれば良いか分からなかったのだ。

 香奈子が裕孝の膝で泣き崩れると裕孝は人生で初めてだと言う位に焦った。


裕孝「どうして泣くの?」

香奈子「こんなに嬉しくなったの初めてなの、大好きなの!!とにかく裕孝が大好きなの!!」


 香奈子は裕孝に跨りながらボタボタと大粒の涙を流していた、裕孝は恋人の涙を顔全体で受け止めていた。

 裕孝はどうすれば良いか分からなかった、目の前の女の子を泣かせてしまった事に罪悪感を感じていた。


香奈子「ごめん・・・、ずっと泣いてる女なんて嫌だよね。」

裕孝「嫌じゃないよ、嫌だったらプロポーズなんてしないよ。」

香奈子「ありがとう・・・、嬉しい・・・。」


 香奈子が涙を流しながら唇を近づけると裕孝が応える様に唇を重ねた、2人はお互いの体温を感じ合っていた。


裕孝「ねぇ、俺も今以上に香奈子の事を好きになって良いか?愛しても良いか?」

香奈子「嬉しい、一生その台詞を聞く事が無いと思って無かった。」


 裕孝は香奈子の言葉に深い意味がある様に思った、ただ思い出したくない位辛い過去なのかも知れないと思い深く掘り下げるのはやめた。

 しかし、意外にも香奈子の方から過去を語り始めた。


香奈子「私ね、小学生の時いじめが理由でずっと不登校だったんだ。学校に行くのが怖かったの、両親からはしつこく行く様に言われていたけど行ったら行ったで恐怖が待ってると思うと足が動かなくてね。家の中だけが、いや自分の部屋だけが安心できる世界に思えた。罪悪感を感じながら両親にずっと仮病で休むって嘘を言ってたけど、自分を守る為には仕方なかったのよね。

それからは本が唯一の相手だと思って本の世界に没頭した、本を読んでいると嫌な事を忘れることが出来ていた。

ただそれまでは本が私にとっての唯一の救世主だったけど裕孝と出逢ってからは自分の中で裕孝が一番の救世主になってた、ずっと裕孝に会いたくて仕方がなかった。

その裕孝と一生歩んで行ける、そう思うと本当に嬉しくなっちゃって。裕孝の為なら何でもしようって決めたの、私裕孝と一緒に歩んで行きたい!!本当に・・・、大好き!!」


長々とした台詞を言った後に香奈子は裕孝に抱き着いた、数分程抱きしめた後に深くキスをし始めた。

それから数分後、垂らした唾液を拭いながら顔を離した。


香奈子「幸せ・・・、大好き!!」

裕孝「俺も・・・。」

香奈子「あっ・・・、ご飯食べようか。」


 既に冷めてしまったご馳走を電子レンジで温めなおして食べ始めた、裕孝は食べ終わった後に最寄りの駅まで香奈子を送って行った。


香奈子「今日はありがとう、これからずっと好きでいさせてね。」

裕孝「勿論だ。」


 香奈子が乗る電車がホームへと入って来た、そこら中にブレーキ音が響く中2人は涙を流しながらずっと抱き着いてキスをしていた。


香奈子「離れたくない、我慢できない!!」

裕孝「俺も・・・。」


 2人は再びキスをした、舌を入れる濃厚なキス。


車掌「お客様・・・、乗らないのなら行きますが?」

香奈子「すみません、乗ります。」


 香奈子が列車に乗り込んだ後、汽笛が鳴った。


香奈子「また、大学でね。」


-60 衝撃と冷静さ-


 香奈子を見送った後、裕孝が軽食を買いに自宅へ戻ろうとしたら、駅で2人を見かけた先日の店長が慌てて裏から出て来た。


店長「良かった、無事だったんですね。」

裕孝「どういう事ですか?」


 何も知らない様子の裕孝をテレビのあるバックヤードへと連れて行った。


店長「ほら、御覧なさい。」


 画面を見て裕孝は驚いた、先程香奈子が乗った列車が大破して煙を上げていたのだ。テレビによると、先日秀斗を轢き殺した殺人犯の仲間である爆弾魔が先程駅で会った車掌に扮していたらしく、丁度線路沿いの警察署の真横で列車に積んでいた時限爆弾を爆発させるために駅で2人を急かしたのだ。

 目的は勿論、警察に捕まっている仲間の奪還だった。

 裕孝は映像の続きを見てより一層驚愕した。


裕孝「香奈子!!」


 そう、頭に包帯を巻いた香奈子が救急車に運ばれていたのだ。裕孝は慌てて駆けだそうとした。


店長「お待ちなさい!!何処に運ばれたか分かるのですか?!兎に角今は落ち着いて!!」


 確かにそうだ、闇雲に探しても時間が過ぎるだけだ。


店長「私に伝手があります、信じて頂かなくて結構です!!ただ、お役に立ちたいのです!!」


 そう言うと香奈子の服装等の特徴を聞いた店長は何処かへと電話をかけた、電話から漏れて来る声からして、どうやら相手は女性らしい。


店長「もしもし、忙しい所すまない。先程の爆弾魔のニュースを見て電話したんだ、すまないが女の子を探して欲しい。救急車で搬送されたそうで、その子の彼氏が心配しているんだ。頼んで良いか?」


 数分後、偶然居合わせた副店長に店を任せた店長が息を切らせて戻って来た。


店長「香奈子さんの搬送先が分かりました、お送りしますので私の車に乗って下さい。」


偶然の事なのだが、香奈子はコンビニから車で15分の所にある美麗の通う大学の医学部付属病院に運ばれていた。


店長「文香!!」

文香「お父さん、こっち!!」


 そう、コンビニの店長である吉馬隆彦(よしまたかひこ)が連絡したのは刑事課に所属する娘の文香だった。

裕孝と店長が到着した時、病室の前には友人から連絡を受けた美麗が到着していた。

 2人が到着した直後、病院の入り口から好美が慌てた様子で走って来た。


好美「叔母さんから連絡があって。」


 香奈子が好美の友人であると知っていた美恵からの電話を受けた好美は、松龍でのバイトを抜け出して病院に駆け付けた。


裕孝「香奈子は?」

美麗「意識は取り戻したみたい、中に入って。」


 香奈子のいる病室に入った一同、裕孝はベッドの上の香奈子の肩を必死に揺すった。


裕孝「香奈子?香奈子?」

香奈子「あの・・・、どちら様ですか?」

裕孝「香奈子・・・。」


 担当教授によれば香奈子の記憶喪失は一時的な物らしく、少しの刺激で戻ると思われるのだが事件の衝撃が強いので今はそっとしておく様にとの事だった。

 しかし、香奈子以上に美麗が強い刺激を受けていた。

 そう、偶然テレビにあの「無表情」が映っていたのだ。

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