5. あの日の僕ら 51~55


-51 点心に詰めた想い-


 美恵が偶然近くにいた後輩刑事の吉馬文香(よしまふみか)を呼んだので覆面パトカーで帰る事が出来た好美と美麗、2人は酒が回っていたので後部座席でぐっすりと眠っていた。

 特に美麗はパトカーの中でまた泣いていたので目に涙を浮かべたままうなだれる様に眠ってしまっていた。


美恵「ごめんね文香、忙しかったんじゃないの?」

文香「良いのよ、他でもない美恵さんの頼みだもん。どうせ次の現場にはベタなドラマみたいに牛乳飲んであんパンかじっている町田君が待っているだけだから。」

美恵「相変わらずね、あの子。」


 先輩・後輩と言っても数か月しか差が無いので双方同意の上でまるで同期の様に親しく付き合っている2人、それなりに信頼度も高いと見える。


文香「そう言えばさ、後ろの子がひき逃げの被害者の彼女さんだって?」

美恵「うん、本人は平気だって言ってたけどまだ未練が残っているみたいよ。」

文香「ただ美恵さん、中国語なんて話せたっけ?」

美恵「大丈夫、あの子ハーフで日本語ペラペラだから。」

文香「じゃあ親御さんにはこの状況をどう説明する訳?」


 しかし、文香の心配は必要なかった。後部座席の2人が数分後に起き上がった上に松龍の前で連絡を受けた王麗が待っていた、ただ中華居酒屋の女将は刑事2人の了承を得た上で冗談をかましたかったらしい。

 冗談が好きなのは刑事達も一緒で、警察車両と分かる様にわざと覆面パトカーの屋根にパトランプを乗せたままにしていた。それを見た王麗はずっと笑っていた。


王麗「あんた達!!あたしゃ警察のお世話になる様な子に育てた覚えは無いよ!!」


 刑事2人は必死に笑いを堪えていた。


美麗「ママ、私と好美が良い子なの誰よりも知っているでしょ??」

好美「女将さん、私悪い子でも軽い女でもないです!!守以外の経験無いですもん!!」


 顔を赤らめ笑いを堪える刑事の横で酔っているせいか泣きながらとんでもない事を暴露してしまった好美、しかし本人はそれ所ではないらしい。

 それを聞いてか、美恵は兄である操に連絡するべきかどうか悩んでいたが女の子なら誰しも通る道だと自分を抑えつけた。


王麗「馬鹿かあんたは、何涙目で自分の経験について発表しちゃってんだい。」


 ただ泣いていたのは好美だけでは無かった。


美麗「私もかんちゃん以外としてないもん!!」

王麗「あんたそれ・・・、父ちゃんの前で言うんじゃないよ・・・。」


 いつの間にか着替えていた娘の酔っているが故の爆弾発言だと軽く流した王麗、一先ず予め用意していた餃子と春巻きが冷めるので急いでいつもの座敷へと案内した。

 ただ文香だけが勤務に戻ると覆面パトカーへと乗り込んだので王麗は不審に思った。


王麗「あれ?刑事さん、あんたは仕事じゃないのかい?」

美恵「私は今日非番でして、姪っ子と楽しく呑もうと思っていただけですので。」

王麗「あんた、好美ちゃんの親戚かい。世間は狭いもんだねぇ。」


 美恵の言葉に感心しながら先程今までで一番と言える位パリパリに揚げた春巻きと熱々の餃子を座敷へと持って来た、龍太郎のサービス精神からかいつもの倍の量の具材が詰められている。


王麗「父ちゃん、春巻きも餃子も詰めすぎだよ。皮が破れたらどうするんだい!!」

龍太郎「腹膨れたら色んな事がどうでも良くなって来るだろ、俺は美麗に腹一杯食って欲しいんだよ。」


 決して秀斗の事を忘れろという意味では無いが、美麗の泣き顔を思い出す度に自分も辛くなってくるので娘を泣かすまいという気持ちからの行動だった。

 しかし、その気遣いが逆に美麗を泣かせた。


美麗「パパ!!」

龍太郎「おいおい、何で泣くんだよ。」

美麗「だって・・・、だって・・・、これで同じ値段じゃ赤字になっちゃうじゃん!!」


 意外と現実的な台詞を吐く美麗だった。


-52 味の秘密-


 好美と美麗の食欲に美恵はただただ驚愕していた。


美恵「あんた達の胃袋どうなってんのよ、さっきまでバカ呑みしてたじゃない。」


 美恵は出された料理を1口食べた、とても居酒屋とは思えないクオリティだった。


美恵「こりゃ納得だわ。」

王麗「そりゃそうさ、特級厨師である私の父ちゃん仕込みだからね。」


 実は孫娘である美麗もこの事を知らなかった。


美麗「おじいちゃんってそんなに凄い人なの?」


 驚くのも無理は無い、美麗の祖父である張朴(チョウパク)は日本に来るたびに老酒(ラオチュウ)を呑みあさってばかりだからだ。

 因みに英検2級、そして日本語検定1級の実力を持っている。


男性「おーい、皆来たぞ。」


 店の出入口を見ると季節外れのアロハシャツを着た老人が1人。


龍太郎「げっ・・・、あの声は。」

王麗「あらあら、うわさをすれば何とやらというやつだね。」


 そう、やって来たこの老人が先程話にあがった張朴だった。正直、お世辞にも特級厨師には見えない。

 本人曰く、いつも通り龍太郎の味のチェックらしいのだが。


龍太郎「時期が違うじゃねぇか、くそじじい。」


 とても師弟関係がある様には思えない。


張朴「何を言っておる龍之介、可愛い孫が泣いとると聞いて来たんじゃないか。」

龍太郎「俺は龍太郎だ!!いい加減覚えやがれ!!」


 龍太郎がお玉で攻撃しようとしていた所に美麗が飛び込んできた。


美麗「じいじ!!」


 先程は普通に「おじいちゃん」と呼んでいたが何故か無邪気な子供の様になっている。


張朴「おお美麗、顔が赤いぞ。ずっと泣いていたんだな。」


 勿論、酔っていただけだ。


張朴「美麗を泣かせた男は何処だ!!出てこんかい!!」

美麗「やめて!!秀斗は悪くないの!!」


 さり気なく初めて秀斗の事を名前で呼んだ美麗が目に涙を浮かべていたのでこれ以上悲しませない様にと気を遣った母は他の人に分からない様に話しかけた。


王麗(広東語)「父さん、やっと立ち直って来たのに墓穴を掘ってどうすんの。」

張朴(広東語)「そうか、悪い事してしまったな・・・。」


 全く分からない言語での会話が突然始まったので、涙が引っ込んだ美麗は目を丸くしていた。


王麗(広東語)「先日指名手配犯が運転する車に跳ねられて亡くなったんだよ、それも美麗の目の前でね・・・。」

張朴(広東語)「まさかこの前逮捕されたってニュースで言ってた奴か?」


 犯人が国際的に指名手配されていた為か、逮捕されたというニュースは中国でも流れていた様だ。勿論、あの「無表情」と共に。


美麗「ママ、何言ってんの?」

王麗(日本語)「ただの世間話だよ、気にしないでおくれ。」

美麗「じゃあ、何でじぃじ泣いてんの?」

王麗「それはママが聞きたい事だよ。」

張朴(日本語)「息が出来ん・・・、山葵が・・・。」


-53 まだ淋しさが残る-


 好美には張朴と王麗が美麗に気を遣っているのが分かった、何処にも山葵など無かったからだ。龍太郎がわざわざ中国から来た師匠の料理に悪戯などするだろうか、いや十分あり得る話だ。

 しかし、店主はこう語りそうだった。


龍太郎「そんな冒涜の様な事が出来るかよ。」


 昔から龍太郎が料理に真摯に向き合っている事は師匠である張朴が一番知っていた、王麗もその姿に惚れて結婚したのだという。娘の美麗も料理をする父の姿が好きだった。

 一方その頃、レポートを書いていた守は不自然さを感じていた。好美が電話に全く出なかったのだ、ただ好美本人が酔っていただけとは知らずに。夕方ぐらいからずっとかけていたが全く反応がない、心配になった守は松龍へと走った、無我夢中で走った。


守「好美!!」


 会いたいという気持ちが前に出過ぎたが故につい大声を出してしまった守、それを聞いた好美は思わずビールを吹き出してしまった。


好美「何よ、唐突に。」

守「全く電話に出なかったから心配して・・・。」


 その言葉を聞いた好美は懐から携帯を取り出した、守からの着信が何十件、いや何百件もあると通知があった。


好美「ごめん、ずっとサイレントモードにしてたの。美麗と金上君のお墓に言ってたから、流石に墓前で電話に出るのもあれかなと思ってさ。」


 無念にも亡くなってしまった美麗の愛する恋人で、自らを救った良い友人に対するせめてもの敬意を表す行動であった。


王麗「こうなりゃもう彼氏じゃなくてまるで親だね。」


 ただ恋人の突然の登場に嬉しくなった好美は守に抱き着き唇を重ねた、赤らめた顔を動かしながら強く唇を押し付け合った。


王麗「キス魔なのはいつも通りってか、もう本当に変わらないね。」


 ただ思った以上に濃厚なキスだった為か、秀斗の事を思い出した美麗は涙を浮かべた。


美麗(中国語)「秀斗・・・、もう淋しい想いをさせないって約束してくれたじゃん・・・。」


 秀斗が松龍で大体的に行った告白を思い出した美麗、直前に自らが流した涙の重さを皆に訴えている様だった。

 十数年、ずっと我慢していた涙。

 美麗にとってあれ程辛かった、そして幸せになれた涙はなかっただろう。

 王麗はずっと美麗を抱きしめていた、何も言わずただただ抱きしめていた。


王麗(中国語)「もう次に進むって決めたんでしょ?」


 母が優しく聞くと、娘は首を縦に振って涙を拭った。


美麗(中国語)「うん・・・。」

王麗(日本語)「父ちゃん、いつもの用意しているんだろ?」

龍太郎「ああ、勿論だ・・・。」


 女将の言葉を聞いた店主は振っていた中華鍋からトロトロの餡をカリカリに揚げた麺へとかけた、美麗の大好物の一つである餡かけ焼きそばを前もって準備していたらしい。

 美麗はいつも泣き崩れた後にこの大好物を1人でやけくそ気味に食べていたらしい、しかし今日は違っていた。


美麗(中国語)「好美と・・・、食べる・・・。お酒・・・、頂戴・・・。」


 王麗は美麗の意図を察していた、墓参りに付いて来てくれた好美へのせめてもの礼だ。


王麗(中国語)「あんた、ちゃんと日本語で言わなきゃ好美ちゃんに伝わらないでしょ。」

美麗(日本語)「パパ、好美達と食べるからビール3本とグラス1個頂戴!!」

王麗(日本語)「馬鹿だね・・・、逆だろう・・・。」


 冷静な対処が出来ない位に震えていた娘を、母が再び抱きしめた。


-54 気にかけていた仲間達-


 龍太郎が調理場で調理に勤しんでいると、いつもの座敷から好美、守、そして張朴の笑い声がして来た。

 どうやら古いアルバムを見ながら昔、張朴の下で龍太郎が修業していた時の思い出話をしている様だ。


好美「おじいちゃん、面白すぎ!!」


 すっかり溶け込んでしまっている張朴、龍太郎は1人黙々と仕事をしながらその様子を見ていた。


龍太郎「くそじじいめ・・・。」


 義理の父であるかつての師匠に龍太郎が一言吐き捨てた所にやっと立ち直った美麗がやって来た。


美麗「私抜きで何楽しそうにしてんのよ、じいじ。」


 張朴が孫娘にもアルバムを見せると美麗は笑いが止まらなかった、龍太郎が現地の子供達と7つの球を集める事で有名な某アニメのごっこ遊びをしていて飛び上がっていた。かつての父の顔での演技がかなりリアルだった事が美麗の壺にハマった様だ。

 一方その頃、桃、正、裕孝、そして香奈子の4人は秀斗を偲んで宅呑みをしていた。好美や裕孝も所属している桃の学科には男女合わせて柔道部が3人いたのだがその1人、幼少の桃が和多家に遊びに来ていた頃からの幼馴染である桐生安正(きりゅうやすまさ)から着信があった。


桃「もしもしやっさん、珍しいね。」

安正(電話)「急に悪い、秀斗の彼女さんって最近どうしているのかなってさ。ほら、あのチャイナ服の子だよ。部の皆が心配しててさ、代表で電話してみたんだが。」

桃「チャイナ服・・・。嗚呼、美麗(メイリー)の事ね。」

安正(電話)「美麗・・・、って事は本物の中国人なのか?」

桃「ハーフよハーフ、あの子中国に行った事もないって言ってたもん。」


 お馴染みの件だ、正直この台詞が出て来るのも何回目だろうか。でも仕方がない、安正はいつも柔道部が終わる頃に迎えに来て秀斗達と帰って行く美麗を遠目に見ていただけなのだから。


桃「部屋で塞ぎ込んでるみたい、ずっと籠ってるって聞いたよ。」


 桃は今頃美麗が張朴と強めの老酒を呑み、祖父の語った思い出話により爆笑している事を勿論知らない。


桃「気になるなら行ってみれば?ほらあんたも昼休みは松龍でランチしているでしょ、あの子そこの娘なのよ。」

安正(電話)「そうか、じゃあ今数人でいるから呑みに行ってみるよ。」


 桃が電話を切ろうとしたら噂の美麗からキャッチが入った、電話の向こうからは好美と守、そして聞き覚えの無い男性の大爆笑する声がした。


美麗(電話)「桃ぉー、桃も来なぁい?うちのじぃじが面白くてさぁ。」

桃「あんたかなり酔ってんじゃん、何処にいんのよ。何か好美の声も聞こえるけど。」


 桃は先程の発言をすぐさま撤回したかった、どう考えても塞ぎ込んでいる様には聞こえない。


美麗(電話)「うちの店よ、美味しい老酒があるからおいでよー。」


 どうやら今夜、美麗は張朴と店にある老酒を呑み干すつもりらしい。ただ焦った桃は急いで安正に電話をかけた、まだ到着していないと良いのだが。


桃「もしもし、もう着いてる?」

安正(電話)「久留米(くるめ)が片付けにてこずってるみたいだからまだだよ、どうした?」

桃「なら良いんだ、実はさ・・・。」


 桃が美麗の今現在の状態を説明すると電話の向こうで安正が引き笑いしていた。


桃「一先ずあたしらも合流するわ、貢君があんたと呑みたいって言ってたし。」

安正(電話)「裕孝が?嬉しいな、大歓迎だよ。」


 桃達が再び電話を切ると、全員一斉に松龍へと向かった。


-55 密かに見守っていた男-


 電話から30分後、桃と安正達は松龍の前で合流した。全力で走って来たが故に全員息切れしていて、香奈子に至っては酒が回り過ぎてフラフラであった。


香奈子「もう・・・、走れない・・・。」


 一刻も早く香奈子に水を与える為に学生達は急いで店へと入った。


王麗「あんた達、どうしたんだい。」

桃「皆、美麗が心配で来たの。女将さん、一先ずお水貰えない?」


 その心配をよそに美麗は老酒を片手にかなり出来上がっていた。最初は香奈子1人分の水を頼んでいたのだが走って来た学生達を気遣った王麗は全員分の水を用意した、美麗も同様に全員を気遣っていたらしいのだが・・・。


美麗「はい、お水。」


 こうやって美麗が渡したのは水ではなく老酒であった。


桃「何よこれ・・・。」


 思わず吹き出してしまう桃、それを見て王麗は笑っていた。


王麗「美麗、あんたもやる様になったね。」


 今はまじめな性格をしているが中国の実家にいた頃はかなりのおてんば娘だったらしい。

 酔っているせいか、それとも照れからか、美麗は顔を赤くした。


安正「もう心配はいらないな。」


 美麗の様子を見て一安心した安正。


桃「別の意味で心配だけどね。」

好美「え、どういう事?」

桃「あんた達、夕方から呑んでいるんでしょ。」


 桃は何度か美麗と呑んではいたが今日程深酒をしている所を見るのは初めてだったのだ。


好美「よく考えれば本当、ここがあの子の家で良かった。」


 そう言う好美もすぐ近くに住んでいるので好きなだけ呑んでいる。本人曰く、この後も1号棟1階のコンビニで何本か買って吞むつもりだそうだ。


守「好美、1度烏龍茶でも挟んだらどうだ?」


 ただ王麗がオーダーを間違えたのか、来たのは烏龍茶ではなく烏龍ハイ。好美にとっては丁度呑みたかった物なのでラッキーであった。


王麗「ごめんね・・・、ってあれ?呑み干しちゃったのかい?」

守「わざわざありがとう、本当ごめんね。」

王麗「良いのさ、元々こっちに非があるし。」


 そんな中、いつの間にか着替えた美麗が1人大量のバタピーをむさぼっていたのでその様子を見た王麗は開いた口が塞がらなかった。


王麗「あんたよく食べるのね。というかそれ私のだよ。」


 安正は2人の様子を見て心から安心した。


桃「いつもの美麗に戻ったからもう大丈夫じゃない?」


 すると楽しそうに談笑する2人に美麗が近づき絡み酒を始めた。


美麗「何、私の顔に何か付いてる?」

桃「美麗、あんたの事ずっと心配していたのよ。この人の事覚えて無い?」


 安正の顔をまじまじと見る美麗。


美麗「えっと・・・、誰だっけ?」

安正「柔道部の桐生安正、秀斗を迎えに来ていたのをよく見かけていたんだ。」

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