5. あの日の僕ら ⑥~⑩


-⑥ ボールペン-


 金曜日に履修登録を全て終えた守はその日の夕方からバイトに明け暮れた、母に渡す金と自らのお小遣いを少しでも多くしたかったので必死だったのだ。今の目標はもう一度松龍で贅沢なランチを食べる事、そして頑張って欲しい物が。

 土曜日、ランチタイムを終えて一旦閉めた喫茶店で店主の我原 聡(がはら さとし)は守に声をかけた。


我原「そんなに必死になってどうした?」

守「免許を取ったら自分の車が欲しくなると思ったので、せめて中古の軽を買える程のお金を稼ぎたいと思いまして。」


 ひたむきな守の姿に涙する我原、今度の給料は少しだけだが色を付けてやろうと誓った。

 月曜のイベントと木曜日までの授業とバイトをこなした翌日、そう例の「共通教養」のある金曜日。守と橘は大学で出逢った友人数人と共に学内で一番面積の広い大ホールへとやって来た、ここが授業の教室である。階段状になっていた通路の先にとても大きな黒板とスクリーンが設置されていて、アーチ状に設置された席には学部学科関係なく多くの学生が座っていた。


橘「端の方でいいよな、上の方が見やすいと思うのは俺だけか?」

守「いや、俺も思ってた。」


 通路の階段を数段降りた所に丁度人数分の空席らしき椅子を見つけたのでそこに座ろうとしたがもう既に取られていたので仕方なく前の席に、少し時間があるので木曜の授業から出ていた宿題を行う事にした。正直今しておかないと忙しくて他にタイミングが無い。


橘「お前、真面目だよな。感服するわ。」

守「今日はバイト休みだけどレポート書かなきゃだから。」

橘「俺も一緒にレポートしに行っていいか?おばちゃんに久々に会いたいし。」

守「お袋に聞いてみるわ。(メッセージ)今日橘がレポートしに家に行くかもだけど良い?」


 丁度その頃、真希子はいつもより多めにカレーを作っていた。


真希子(メッセージ)「勿論構わないよ、夕飯一緒に食べようと伝えておいておくれ。今日はカレーだよ。」

守(メッセージ)「分かった、サンキュー。」


 守が橘にOKサインを出すと橘は物凄く嬉しそうにしていた。


守「お袋が今夜のカレー一緒に食ってけって。」

橘「あん時のカレーか?!最高じゃねぇか!!」

守「おい、レポートするっていう今夜の目的を忘れんなよ。」

橘「分かってるよ。」


 守は気を取り直して宿題に取り掛かろうとした、ボールペンに手を延ばすと濡れていた為か手を滑らせ大きな音を立て真横に落ちて行った。


守「あ、ヤバい。ちょっと取るわ。」

橘「おう、それにしても守がドジするなんて珍しいな。」


 十数分前、履修登録を終えた好美は約束通り龍太郎に連絡した。現地点でだが水曜日だけは何一つ授業が無く、ランチタイムから入れると伝えた。


龍太郎(電話)「本当?助かるよ、もし今日入れるならシフトを詳しく決めようね。」

王麗(電話)「父ちゃん、まだ餃子足らないんだから早く包んで!!」


 また龍太郎が王麗に怒られている様なので好美はさり気なく電話を切って桃と大ホールへと向かった、教室内にはまだちらほらとしか学生はいなかった。


桃「前の方で良い?あたし目があれだから。」

好美「あれ?そう言えば眼鏡は?」

桃「イメチェン、カラコンにしてみたの。似合う?」

好美「似合ってるけどもう1回度数を合わせて貰った方が良かったんじゃない?いつも私が利用してるお店教えるわ。席は私も前で助かるから良いよ、でもこの教室だと何となく上の方が良いんじゃないかな。」


 好美達は上の方の端の2席に座り、時間を潰す事にした。好美はいつも使っているコンタクトレンズの店をメモして教える為にボールペンを取り出したのだがつるんと滑らせて数段下に落としてしまった。好美のボールペンもまた7、大きな音を立てた。


好美「ちょっと取って来る。」


-⑦ 奇跡の再会-


数段下の席の真横に落ちたボールペンを好美が取りに行くと、その席に座っていた守が同じタイミングでボールペンを取ろうとしていた。しかし、緊急事態が発生する。

2人が落としてしまったボールペンは偶然同じ種類だったが、好美のペンは買ったばかりで守の物はインクが切れかけていた。

 好美は慌てて1本取って上にある自分の席まで駆けあがった、ただその時に互いのペンが入れ替わっていた。


好美「すみません。」

守「こちらこそ。」


ペンが入れ替わってしまった事に最初に気付いたのは守だった、「共通教養」の授業を終えた後に橘と家に帰ってレポートを書こうとしていた時の事。


守「このボールペン、新しく買った覚え無いんだけどスラスラ書けるな。」


 ラッキーと思った守は効率よくレポートを書き上げた。

 ほぼ同刻、松龍でバイト中だった好美は注文を取ろうとしたのだが・・・。


好美「あれ?壊れちゃったかな・・・。」


 偶然好美の様子を見た龍太郎が声をかけた。


龍太郎「どうした?」

好美「ボールペン壊れちゃって、インクが出ないんです。龍さん、1本借りていいですか?」

龍太郎「うん、勿論良いよ。」


 今日は龍太郎に借りたボールペンで何とかやり過ごしたが、2人は同時に今日の出来事を思い出した。面識が全くない位に1度会った記憶すら消えてしまっているので、互いの連絡先なんて勿論知らなかった。


2人(同時)「来週の金曜日に返すか・・・。」


 翌週の金曜日、互いに先週と同じ格好で教室に入った2人はすぐにボールペンを返却する事にした。

 数段上の席に好美の姿を捉えた守が近づき声を掛けた、守は可愛い子でラッキーと思っていた。


守「すみません、これやっぱり貴女のボールペンでしたか。」

好美「やっぱりですか、私もごめんなさい。」


 ボールペンを返却し合った2人はそれから火曜日まで互いを意識し合いながら日常を過ごした。


守「あの子、何処かで・・・。ただ学部学科違うよな、誰だったんだろう・・・。」

好美「また金曜日会えるかな、今度は私から声かけてみよう。」


 そう思いながら迎えた水曜日、いつもは学内の食堂で昼食を食べていた守と橘はたまには違う物をと学生証を片手に松龍に来ていた。

 正直、食堂のランチは学生の味覚に合わせた料理なのは分かるが全体的にマヨネーズの味ばかりが目立っていたので飽きが来ていたのだ。


橘「お前、まさかまたダブルカツとか言うなよ。」

守「それ、まさかフリか?」


 2人は学生たちの行列に並び、順番が来るのを待った。15分後、やっと2人の番に。王麗が店から出て来て席に案内した。


王麗「守君、いらっしゃい。こっちこっち。お2人様です。」


 いつもの座敷に案内された守達はランチメニューの組み合わせを考えていた、そこに今週から水曜日はランチタイムでの勤務になった好美がお冷を持って来た。


好美「いらっしゃいま・・・、あ。」


 守は胸元の名札を即座に見た。


守「あ・・・、この前はどうも。倉下さんですか、ここでバイトしているんですね。」


 守に声を掛けられた好美は顔を赤らめていた。


-⑧ まさかの2人-


 座敷に座る守の前で顔を赤らめる好美の後ろから龍太郎が声をかけた。


龍太郎「俺の娘だ、手出すんじゃねえぞ守。」

王麗「いつからあんたのになったんだい!!」


 お盆で強めのツッコミをする王麗。龍太郎は頭をさすっていた。


龍太郎「痛ぇな・・・、この頃母ちゃん強いぞ。ツッコミというより暴力だよ、DVだよ。」

王麗「馬鹿な事言ってる亭主への愛情表現って事にしておきな。」


 2人の様子を見てクスクスと笑う好美。


好美「守さん・・・、ですか?今度の金曜日の授業来ますか?」

守「勿論、行く予定です。」

好美「それと、今日のランチはどうします?」


 少しの間、何故かその場が静寂に包まれた。きっと選択を誤るとまずい事になると守は察した。


守「ロースカツとメンチカツで・・・。」


 笑顔になった好美は楽し気に注文を通した、因みに橘はロースカツとポテトサラダ。


橘「お前、よく食うな・・・。というかもしかして今の子って・・・?」

守「ああ、思い出した。この前の人だ、また会えた。」


 店の奥に走った好美はまだ顔が赤かった、守にまた会えて嬉しかった様だ。


好美「今日、バイト代無しでも良い位嬉しい。」


 好美は笑顔で守の注文したランチを持って来た、意識してでの事か、気持ち白飯が大盛りになっていた。

 2日後の金曜日、好美と守は再会するとすぐに連絡先を交換した。その様子を桃と橘が傍らで見ながら話していた。


桃「あの2人、最近良い感じみたいですね。」

橘「そうですね、いっその事くっついちゃえば良いのに。」

桃「何か・・・、羨ましいですね。」

橘「あれが恋ってやつなんですかね。」


 何となくの流れで2人は互いの自己紹介をした。


桃「私桃です、鹿野瀬 桃。」

橘「橘です、橘 正(ただし)です。」

桃「あの、あたし達で2人をくっつけちゃいましょうか。」

橘「いいですね、やってみますか。」


 流れで連絡先を交換した2人は共謀して好美と守をくっつける事にした、ただ2人が何もしなくても良い様な流れになっているのだが。

 それから好美達は2人で食事をする様になった、桃は心配せずともくっつくと思ったので橘に連絡を入れた。


桃「余計な事はしなくても良いみたいです。」

橘「そうですね、ほっときますか。」

桃「あの・・・、あたし達何か気が合うと思いません?」


 桃の質問を聞いた橘は暫くの間黙り込んだ、どうやら同じ事を考えていたらしい。


2人(同時)「付き合っちゃいます?」


 2人は爆笑した、まさか同じ台詞が出るとは思いもしなかったからだ。そのまま2人はくっついた、そして2人で食事にも出かける様になった。

 一方、好美と守はまだだった。しかし常に互いの事を考えている。


2人(同時)「何しているんだろ、連絡して良いのかな。すぐにでも会いたい・・・。」


 その日の昼休み、いつもの様に遊びに向かった2人は咄嗟に切り出した。


2人(同時)「あなたが大好きです、僕(私)と付き合って下さい・・・。」


-⑨ 涙ながらの初めて-


 2人同時での突然の告白に嬉しくなった好美には生まれて初めての感情が芽生えていた、何となく今言わないと後悔する気がしていた。


好美「ねぇ・・・、「守」って呼んでいい?」


 まだ付き合う事が確定している訳でも無いのにもうその気になってしまっている、ただ守も同じ気持ちでいた。


守「俺の方こそ、「好美」って呼んでいい?」


 先程から顔を赤らめていた好美に加えて守も顔を赤らめ出した。


守「これから俺達、恋人同士で良いんだよな?」

好美「それ以外にどう表現すればいいの?」


 好美は涙を流しながら質問した、質問の答えに困った守は好美の手を掴み人気の無い場所へと誘導した。反射的に行動したが故にずっと考え込んでいたからか、静寂がその場を包んだ。


守「大好きだ・・・。」

好美「私も・・・。」


 良い大人と言える年齢の大学生が2人もいるというのにちゃんとした感情の表演方法をずっと探していた、決意を固めた守は好美の手を掴んでいた方の逆の手で拳を握った。


守「多分、これしか無いよな・・・。」


 かなり深めの深呼吸をした守は好美の唇に自らの唇を重ねた、好美も目を瞑り応えた。

数十秒もの間、2人はずっと接吻を続けた。


守「何となく、甘いな。こんな気持ち、初めてだ。」

好美「私の「初めて」を奪っておいて感想がそれ?」

守「ごめん・・・。」

好美「何それ、謝罪なんて・・・、欲しくない!!」


 好美は少し怒りながら無理矢理唇を重ねた、数分にも及ぶ先程以上の本気のキスだった。


守「好美、大好きだ・・・。」

好美「それが聞きたかったの・・・。」


 そう言うと改めて唇を重ねた、今度は唇を重ねるだけでは無く舌を入れる「大人のキス」だった。2人共、初めての感情に動揺していたからか呼吸が荒かった。


好美「嬉しい・・・、ボールペンを落としてからずっと守とこうなりたかった。」

守「俺は松龍の前で目が合ってからずっとだ。」

好美「ずっと覚えてくれてたんだ、嬉しい・・・。」


 かつての記憶を取り戻した守に対して好美は涙を流しながら再び唇を重ねた、守は全力で好美を抱きながら応じた。

 2人とも未だに呼吸が荒かった、ただ2人での「初めて」の時間は突然終わりを迎えた。


橘(電話)「お前何処にいるんだ、授業始まるぞ。」

守「分かった・・・。」

桃(電話)「好美ー、皆が探してるよ。」

好美「うん・・・。」


 一言で答えた守は改めて好美の目をしっかりと見た、好美も同じ様に行動して聞いた。


好美「また、会える?」

守「今日は、バイト休み。」

好美「私も・・・、後でまた会いたい・・・。」


 2人は再び唇を数十秒ほど重ね、その場を離れた。

 授業のある教室に入った守を見た橘が爆笑していた。


守「何だよ。」

橘「お前、顔が赤いぞ。もしや、好美ちゃんと何かあったな?」


 守は持っていたペットボトルの麦茶を一気飲みした。


-⑩ ある土曜日の昼過ぎ-


 興奮しながらキスをし続けた数日後、好美は朝から松龍でのアルバイトに明け暮れていた。表情が何処か生き生きとしている、王麗に教えてもらいながらランチタイム用の餃子を1つひとつ丁寧に包んでいた。


王麗「あら、上手いじゃないか。好美ちゃん、あんたセンスあるよ。」

好美「本当ですか?私、褒められて伸びるタイプなんです。」


 中国出身の王麗から本格的な餃子の作り方を手ほどきを受けながらニコニコして作っていた。

 朝11時、開店の時間だ。好美が店先に暖簾を掛けると、並んでいた客たちが一気に入っていた。学生たちに人気の「特別メニュー」は平日限定なので、土日は別の年齢層の客たちで賑わっている。

 土曜日、この時間のランチを好んで食べるのは40代と50代の男性が多いので餃子がどんどんと飛ぶように売れていた。

 料理を運ぶ好美の表情は相も変わらず生き生きとしている。


好美「いらっしゃいませ、A定食2つですね。龍さん、Aを2つお願いしまーす。」

龍太郎「あいよ。」


 ランチタイムにおけるこの店のA定食とB定食は日替わりで、両方共醤油味の鶏ガラスープと白飯を基本としていてメインのおかずが違っている。因みに今日はAが餃子でBがチキン南蛮、両方共この店の人気メニューだ。

 メインのおかずは当日決まるのでお客は店に来るまでワクワクしながらいつも店に来る、店先の立て看板を見て食べて行くかいつも考えていた。

 午後2時、激動のランチタイムを終えた好美達は息切れしながら水を飲んだ。


好美「ランチタイムってこんなに疲れるものでしたっけ?」

王麗「おかずを両方人気メニューにしたからこうなったんだよ、父ちゃんやらかしたね。」

龍太郎「好美ちゃんが人気者になったからじゃないか、雇ってある意味正解だよ。今日はありがとうね、上がって良いよ。」

好美「龍さん、あれ忘れてません?」


 中華鍋を丁寧に洗いながら会話に参加する龍太郎、好美の事を本当の娘の様に可愛がっていた。


龍太郎「悪い、忘れてたよ。」


 客足が落ち着いたので、龍太郎は好美と約束していたので炒飯を作り始めた。バイト終わりのこの昼食が何とも言えない位の美味さだった。

 そんな中、守と橘、そして桃が松龍の前にやって来た。


桃「そろそろ好美のバイトが終わる頃だと思うんだけど・・・、いた。ちょっと、1人炒飯食べてるじゃん・・・。」

守「え、あいつ1人で飯食ってんの?」


 3人は好美を待って皆で昼食を摂る予定だったので、空腹でいたのだ。その後4人でショッピングへと向かう予定だった。


橘「俺達も食うか?」

桃「良いと思うよ、店入ろう。」


 3人は松龍に入った、好美が未だに1人炒飯を楽しんでいる。


龍太郎「いらっしゃい、守達じゃねぇか。」

好美「あ・・・。」

桃「「あ・・・。」じゃないの、彼氏待たせて何1人食べてんのよ。」

龍太郎「何?俺の娘に彼氏だと?」

王麗「いつあんたの娘になったんだい!!あんたには美麗(みれい)がいるだろ!!」


 いつも通り王麗によるきつめのツッコミが入った所で、守達は3人共炒飯を注文した。龍太郎はほぼやけくそ気味に鍋を振った、好美に彼氏が出来た事が本当の父親の様によっぽど悔しかったのだろう。


龍太郎「畜生・・・、誰だ・・・。」

守「親父さん・・・、俺。」

龍太郎「守、手出すなって言っただろうが!!」

好美「龍さん、私も一緒に告白したんです!!」


 好美の言葉に龍太郎はポカンとしていた、2人が両想いだったとは思わなかったのだ。

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