聞いてみた。

 ロゼの悩みは複雑だが、ありきたりなものだった。

「毎日が息苦しくて……」

「具体的には?」

「友達と喋っているのに、全然楽しくないんです」

 ロゼの悩みを言い換えると、高校生活がつまらない。その一言に尽きる。

 念のために話を聞いてみたが、ロゼは随分と友達の多い、恵まれた高校生活を送っているようだ。クラスの友人に可愛がられ、部活でも先輩に愛され、その上で息苦しいなんて感想を漏らすのだから羨ましい。

 私の過ごした青春なんて、ロゼが現在進行形で送っているそれに比べればセピア色もいいところだ。名前を憶えている友達も、片手で十分に事足りる。しかしロゼは、夏休み中に遊びに行った相手ですら両手で足りないほどだった。

 ったく、もう。

 そんなに恵まれているのに、悩みすぎだ。

「贅沢な子」

「まぁ、だとしても、相談には乗るけどな」

「……そうね。従妹だし」

 ユリシスの言葉に頷いて、ロゼの問題を整理する。

 要は、演技疲れだろう。

 クラスの友達以外にも、部活や委員会活動など、高校生には様々な人間関係があって、時と場合に応じたペルソナが必要になる。クラスで一番の人気者も、委員会では上級生に気を遣って大人しくしていることもあるだろう。クラスでは地味な子が、部活になると上級生ともケンカするほど張り切ることだってあるのだ。

 人は、仮面を使い分ける。

 真面目一辺倒、努力一筋では社会の荒波を超えていけないのだ。

 大人になった私は、それを理解している。けれど、まだまだ子供のロゼには難しい話かもしれない。分かっていても、知らんぷりをして生きる道もある。だから私は、彼女に尋ねてみることにした。

「他に相談する人はいなかったの?」

「だって、お姉様こそが一番信頼している人ですから」

「……そう」

 友達や家族には見せられない仮面。

 それを、私には見せるのか。

 会わなかった数年間に、彼女は内心で信仰と尊敬を膨らませていたようだ。

「あなたも、難儀な性格の持ち主かもね」

 私の軽口を誉め言葉として受け取ったのか、ロゼのきらきらと輝く瞳が私を射抜く。いたたまれない気持ちになって目を逸らすと、ユリシスと視線がぶつかった。彼女が従妹を家に引き入れたことで、私達は彼女の人生相談に付き合わされている。そのくせ、ロゼの話を聞くのはほとんど私だった。小さく溜め息を吐いて、高校生の従妹へと向き直る。彼女はまだ、縋るような目を私に向けていた。

「どうして友達や家族には相談しないの」

「それ、説明しなきゃダメですか……?」

「えぇ。より正確なカウンセリングのためにはね」

「うむむ……。お母さんには秘密ですよ」

 今日初めて唇を尖らせた彼女が、悩みの表層を晒してくれる。

 なまじ優等生として過ごしてきたために、友達に相談しても軽く受け流されてしまう。両親に相談しても、彼女の内面に配慮しない頓珍漢な答えばかりが返ってくるらしい。

「あるあるだな」

「ですよねー」

 ユリシスが訳知り顔で頷いて、ロゼは机に突っ伏した。

 だけど、私は違う反応を示す。

「ロゼ。あなた、八方美人でしょう。苦しくなって当然よ」

 我ながら酷い決めつけだが、ロゼは無言のまま俯いた。

 図星らしい。

 私達をお姉様と呼び慕う彼女が笑みを浮かべるたび、その目元が僅かにひくつくのを見た。理想の妹を演じて、本音を隠して、相手の望む言葉だけを返す。それがどれほどストレスの溜まる行為なのか、想像するだけで気が滅入る。

 真面目な優等生として扱われたい。だから友達に弱みを見せない。

 出来の良い子供として扱われたい。だから親にも相談をしない。

 典型的な八方美人だ。彼女の反応から察するに、自覚もあるのだろう。それでも学校生活を続けていくためには演じ続けるしかない。演技に疲れた彼女が学校生活をつまらないと感じるのは、至極当然のことのように思えた。

「ロゼはどうして、そんなに頑張ってるの?」

 沈黙に耐え兼ねたのか、ユリシスが不思議そうな顔をして訊ねた。ロゼは少しだけ躊躇った後、ゆっくりと口を開く。私達が仕事を頑張るのは、生活のためだ。将来のため、金はあればあるだけいい。転職した先でも、必要とあれば私は労基署に報告できないレベルの仕事をやり続けるだろう。

 だけど、ロゼが友達や家族の前でも仮面をかぶるのはなぜか。

 分からないから尋ねる。私とユリシスは、黙って彼女の言葉を待った。

 やがてロゼが、ぽつりと言葉を漏らした。

「お姉様みたいになりたいんです」

「……ん? どういうこと?」

「お姉様みたいな、素敵な人になりたいんです」

「……?」

 翻訳を求めて、ユリシスに視線を向ける。彼女は困ったように首を左右に振った。どうやらユリシスにも分からないようだ。

 私は自分のことを、ただの平凡な女だと思っている。ロゼと最後に会った高校生の頃も、平々凡々な女子高生だった自覚がある。成績は中の下くらいで、運動神経が特別良いわけでもない。身長も平均的で、容姿も普通。胸だけは大きい方だったが、どこにでもいるような女の子だった。

 私は友達も少ない。

 誰にでも誇れるような何かを持ち合わせたことなどないのだ。こんな風に自分を卑下するのは嫌だけど、客観的に見て私が特別な人間だとはどうしても思えない。

「どうして、私に憧れたの?」

「お姉様は私を甘やかしてくれたじゃないですか」

「それは、だって、従妹だし」

「その程度の理由でいいんです。それでも、お姉様は私に構ってくれたから」

 懐かしむようにロゼが言葉を繰り返す。

 ふむ、困ったことになった。

 溺れる者は藁をもつかむらしいが、ロゼにとっては私の存在が唯一の救いだったのかもしれない。幼少期から、彼女は家族の前でいい子ちゃんを演じていたのだろう。親戚の集まりで私と遊んでいる間だけは、年相応の子供として心身を解放出来たのかもしれない。推測に憶測を重ね、説明不足なロゼの内心を覗き込む。

「それじゃあ、私からアドバイスをあげる――」

 本当にいいのだろうか、と内心で言葉を繰り返す。

 私は人付き合いが苦手だ。誰かに頼るということを知らないまま大人になってしまった。その結果が過重労働にも表れている。枯れ木も山の賑わいというけれど、役に立たない独活ウドの後始末をする破目になったなら、それはただの骨折り損なのだ。

 それでも私は、ロゼに蜘蛛の糸を垂らす。きっと、ユリシスがいなくとも、最後には救いの手を差し伸べてしまう私がいるのだろう。

「仲良くする相手を絞ってみたら?」

「でも、それじゃ……」

「疎遠になる子もいるかもね。だけど、相手はあなたを嫌いになるわけじゃないの」

 それは、今までのロゼを見ていれば分かることだ。

 あれだけ彼女のことを警戒していた私が、すっかり彼女の相談を聞く姿勢になっている。小柄な体躯に可憐な容姿、自覚の有無にかかわらず他人の心に隙を生むだけの才能を持ち合わせている彼女に、私からアドバイスすることなどないような気がした。

 私から彼女へ贈る言葉は、彼女の背中を押すためのものだ。

「中学の友達と、高校の友達に格の差なんてある?」

「ない、ですけど……」

「でしょう? それと一緒なのよ。毎日喋っているから親友、昨日喋らなかったから他人。そんなこと、あるわけないじゃない」

 友人の少ない私が、他人との距離感について語る。やや滑稽な気もするけれど、ロゼの瞳に少しずつ光が戻ってきた。延々と友達論を繰り返しても、彼女は熱心に耳を傾けてくれる。

 友人付き合いをこの上なく大切にしている彼女が私に求めるのは、自己肯定感を高めてくれる存在だ。友人ほど好意的でなく、家族ほど近くもない。親戚のお姉様というのは、とても都合が良いポジションなのだろう。

 他の誰にも晒せないペルソナを受け止めてくれる相手という意味では、結婚相手に求める条件と似通う部分もあるのかもしれない。いや、だからと言ってロゼとの結婚を受け入れるわけじゃないけれど。

「……私達に何が出来ると思う?」

 ユリシスが訊ねると、ロゼは考え込んだ。

 しばしの沈黙の後、顔を上げた従妹はもじもじと顔を赤らめた。

 そして、彼女はこう言った。

「ぎゅーっと、昔みたいに抱きしめてください!」

「なーんだ、簡単じゃん。お安い御用だ。おい、アゲハ」

「……ユリシスだけでいいじゃん」

「私達はふたり合わせて夢佳お姉様だからな」

 単体でも小町夢佳だが? と異論を差し挟みつつもユリシスの言葉に従う。

 私が左側に、ユリシスが右側に構えた。そして、ロゼを思いっきり抱きしめる。どちらか片方だけだと思っていたのか、ロゼはちっちゃな悲鳴を上げた。ただし、歓喜の叫びだ。昔はどうやってあやしていたかな、と手探りで色々と試してみる。髪をわしわしとかきまわしてみたり、背中を優しく撫でてみたり。

 思いつく限りのことをしてみた結果、ロゼは満足げに息を吐いた。

 どうやら正解だったらしい。

 それからしばらく抱き合った後、ロゼはぽつりと言った。

「ありがとうございます、お姉様」

 そう言ってくれた従妹の顔が晴れやかなものだったから。

「どういたしまして」

 なんてことのない言葉で返してしまう私達がいた。

 自分が抱えた問題も未解決なのに、従妹の相談を受けるのはどうかと思ったけど、意外となんとかなる――。けど、結婚とかを突然に持ち出してくるのはやめてほしいなと、私は胸に抱き留めたロゼが惚けたような顔をしているのをじっと眺めてみるのだった。

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