慕われてみた。

 ベッドの上に寝かせた少女は、すうすうと穏やかな呼吸を繰り返していた。

 私の部屋に素性の知れない他人がいる。それは喉の奥に鉄の塊を突っ込まれたような違和感として私を苛んだ。平々凡々、代わり映えのしない毎日。そこに投げ込まれた異物は、心という水面を大きく波立たせる。

「アゲハ、大丈夫か?」

「……ダメかも」

「晩御飯の味付け、失敗しそうなら私に代われよ」

「むぅ……。バカにしないでもらおうか」

 余裕そうなユリシスを、しっしっと追い払う。

 私をお姉様と呼び、ユリシスに従妹だと呼ばれた少女について、私は何も思い出せない。過去の記憶の欠落は、私が「もうひとりの私」であることの確度を急激に高めてしまう。ユリシスだけが知っていて、私が知らない過去があるならば、私は出来損ないのスワンプマンだ。

 背筋を走る悪寒は、風邪だろうか。

 首を横に振って、料理を再開する。ユリシスはといえば、精神的に不安定な私を放置してのんきにお風呂なんかに入っている。着替え途中に乱入してやろうかと思ったけど、不毛な争いが発生しそうだからやめた。ユリシスは私と同じ身体をしているのだ。自分の裸を見たって、何も面白くはないだろう。

 ベッドに寝かせた少女の様子を窺いながら、フライパンを振る。せっかく気合を入れて美味しいものをつくろうと思っていたのに、なんだか興醒めしてしまった。興覚め? 言葉の使い方合ってるのかな。こう、気勢を削がれたってのを言いたいんだけど。

 私が晩御飯を作り終えたところで、ユリシスが風呂から上がってきた。寝室を覗き込んで少女が眠っているのを確認すると、ニッと歯を見せて笑う。

「おっ。まだ気絶してるのか」

「誰かさんのせいでね」

「それを言うなら、アゲハも同罪だからな」

 シャワーと半身浴で十分にリラックスしたのだろう、彼女はとても穏やかな表情を浮かべている。その様子からは、私ほどの困惑が感じられない。やはり彼女は、少女の正体に確信を持っている。私が掘り起こせなかった記憶を手にしているのだ。それを教えてくれないのだから、意地悪な子だ。

 ユリシスは濡れた髪をタオルで拭いながら、少女の眠るベッドへ腰掛けた。

 彼女の視線は、私に向いている。

「アゲハは、この子の名前思い出せたかい」

「えっと、確か……」

「…………ぶぶー。はい、時間切れ」

 にしし、とユリシスは楽しそうに笑う。

「正解は、能井のい葉良ばら。ほら、お盆に親戚で集まったときとか、覚えてない?」

「のいばらちゃん……。んん?」

 親戚に能井さんがいるのは知っている。だが、私を慕ってくれる妹分なんていただろうか。

 過去を、静かに掘り返す。

 私の母親は兄弟姉妹の多い人で、私も就職するまでは親戚の集まりによく参加していた。年末年始、お盆は当然のように泊まり込みで遊びに行ったし、なんてことのない日にも晩御飯を食べるためだけに集まったりもした。親戚は、とても賑やかで楽しい人が多かった。

 しかし、妹分か。親戚には朗らかな人が多かったけど、私は物静かな性質タチだ。ご存じの通りに友人が少なく趣味もない人間である。こんな私を好きになってくれる妹分など、あの親戚の中にいたのだろうか。

「んー……。んん?」

「早く思い出せよ、アゲハ」

 悩む私を尻目に、ユリシスは少女の頬を指先でつついている。

 ふにゃりと柔らかい感触を楽しみながら、彼女は言った。

「いやー。葉良ちゃん、大きくなったなぁ……」

「最後に会ったの、何年前よ」

「さぁ? 高校を卒業して以来じゃない?」

 就職してからは親戚と一度も会ってない。それは私の認識通りらしい。私達の認識が正しいとするならば、その疎遠な状況下で従姉の家に単身突撃してきたわけだ。この子、相当に肝が据わっているらしい。

「そもそも、私がここに住んでいるの、どうやって知ったの」

「ウチの家族伝いに聞いたんじゃない? 葉良ちゃん、行動力の化身だし」

「……盆正月の集まり、未だに誘われるもんね」

 仕事がクソ忙しくて有休すら取れないのに、お盆や正月の時期に遊ばないかと誘われる。相手が善意で誘ってくれていると分かるだけに、メンタルへの影響もそこそこあった。

「お母さんなら、誰にでも教えちゃうかもね」

「な。プライバシーに対する意識とかないもん」

 従妹が遊びに行きたいと言ったから。親戚と家族の線引きが曖昧な母なら、その程度の理由で従妹に私の住所くらい教えてしまうだろう。まぁ、私は葉良という少女が本当に親戚で従妹なのかも思い出せてないんだけど。

「とりあえずご飯にしよう。お腹空いた」

「味付けは完璧にしといたから。文句は許しません」

「怖いおばさんだなぁ」

「まだ20代よ、お姉さんでしょうが」

 一向に目が覚めない能井はひとまず放置して、私達は晩御飯を食べることにした。材料を普段よりもグレードアップしたせいか、ユリシスからの評判は上々だった。

 葉良が目覚めたのは、それから一時間以上経ってからのことだ。私とユリウスが手分けして皿洗いをしていたら、寝室からキッチンを、警戒心剥き出しに覗き込んでくる。正体こそ理解したものの、未だ本心からの納得に至っていない私は、彼女からの視線を不快に感じていた。ピリッと張り詰めた空気を無視するように、ユリシスが葉良を手招く。

「おはよう。お腹減ってないか?」

「あ、うん……。すいてるかも」

 じりじりと近づいてくる葉良は、明確に私を警戒しているようだ。

 まったく同じ顔、同じ声、同じ姿をしている私達なのに、彼女はどうやってか見極めているようだ。単純に、私とユリウスでは彼女へ向ける好感度が違うから、そこを敏感にかぎ分けているのかもしれない。

 ユリウスからおにぎりを受け取って、葉良はもぐもぐと食べ始めた。ハムスターのように頬を膨らませる姿に、なんとなく記憶がよみがえってくる。

「……ロゼちゃん?」

「ん! はい! 思い出してくれましたか!」

「え、ええ。少しだけど」

 ロゼちゃん。そう、ロゼちゃんだ。

 能井葉良、のいばら、野茨。中学生の頃だったか、薔薇は茨が訛って変化したものだと授業が何かで教えられた記憶がある。つくづく縁があるみたいね、と幼少の従妹にローズちゃんと渾名をつけて可愛がったのを思い出した。ローズと上手く発音できなかった彼女が、ろぜちゃんと自らを名乗ってからはそちらが親戚間での彼女の呼名になっていたはずだ。

「あー、うんうん、思い出してきた」

「そっか。良かった」

「……いや、何も解決してなくない?」

「それは追々考えようぜ。な?」

 明日が休みだからって、ユリシスの奴は浮かれすぎだ。

 しかし、なるほど。ひとつ思い出せば連鎖的に色々と思い出せるものだ。人付き合いの苦手な私は親戚の集まりでも部屋の隅で穏やかに過ごしていることが多かったのに、決まってロゼは私に遊ぶようせがんできた。他にもイトコはいたはずなのに、いつも私にくっついてくる子だった。

 高校生にもなって外を走り回るのは嫌だったから、膝の上に乗せてあやしたりとか、絵本を読み聞かせたりとか、そういう室内遊戯ばかりしていたような気がする。膝に乗せたロゼは小さくて、可愛くて、あと撫でているうちにぐっすり眠ってしまう子だったから、お世話をするのも楽だった。懐かしいな、と思うと同時に、そんな子がどうして私の家にいるのかが分からなくなる。

 彼女は、いったい何をしに来たのだろう。

 私が考えている間にも、ロゼはもりもりとおにぎりを食べ続けている。あっというまに最後のひとくちを飲み込んだ彼女は、満足げに息を吐いた。

「ご馳走様でした、お姉様。……達?」

「思ったよりも慣れるの早いな」

「んー。確かにビックリはしましたけど、どっちも本物のお姉様ですよね」

 だったら平気です、と笑みを浮かべた少女を前にしてこちらが困惑する。

 ロゼは私達が小町夢佳だと認識している。姉妹や親戚に酷似した相手がいるとか、他人の空似だとか、そういった類の納得をしているわけじゃないようだ。彼女は、私達が双子でもないことを正しく理解した上で、現状を受け入れようとしていた。有難いような、嬉しくないような、複雑な気分が胸中に渦巻く。

 気付けばユリシスと一緒に、ロゼへと顔を寄せていた。突然、年上女性ふたりに囲まれた少女は、慌てたように前髪を整えている。口火を切ったのはユリシスだ。

「葉良ちゃん。どっちがオリジナルだと思う?」

「オリジナル、と言いますと?」

「私達、ある朝目覚めたらふたりに増えていたの。どっちが複製コピーだと思う?」

 私とユリシス、どちらが本物で偽物なのか。あるいは、どちらがオリジナルで複製なのか。当の本人ですら分からない疑問を数年振りにあった従妹に振ってみる。かなりの無茶ぶりだと思いつつも、この子なら正直に答えてくれそうだと思った。それが事実だろうと、嘘だろうと関係ない。他人から見た私達は、どちらがより本物の小町夢佳なのか。その問いへの答えを知るだけで十分だ。

 ロゼはしばらく考え込んだ後、かくん、と首を傾げた。

「やっぱり、どっちも本物ですよ。オリジナルです」

「……そう」

「なんか、つまんない結果になったな」

 ユリシスと顔を見合わせ、互いに肩を竦めた。

 洗い物に戻った私達の隙間へ、ロゼがぬるりと顔を出す。なまじ小動物系の可愛い顔をしているだけに、強く出られると困ってしまう。ロゼとの懐かしい記憶を思い出した今となっては、微妙に愛着も取り戻しているし。

 私とユリシスの顔を交互に見つめたロゼは、何が気に食わないのかぷっくりと頬を膨らませた。私的にはキミが自分から名乗りを上げたり、来訪の目的を口にしないのが不満だよ、とは言わない。言ったらまた泣き出しそうだし、それも面倒臭いし。

 皿を泡だらけにする担当の私と、すすいで乾燥機に放り込む係のユリシスのちょうど真ん中に立ったロゼは、洗い物を手伝うこともなくふんすと鼻を鳴らした。

「私、お姉様との約束を果たしに来たんですよ」

「へぇ。その約束って?」

「お姉様と結婚するんです!」

 自信満々に言い切った少女の台詞に、ユリシスが絶句した。

 私は逆に、噴き出すほどに笑ってしまう。

「あー! 笑いましたね? 私は本気ですよ!」

「いや、でも、急に結婚とか言われても。なぁ、アゲハ」

「私、もう17歳なんですからね!」

「法的な根拠は聞いてないんだけど……」

 それ以前の問題が色々とあるのだけれど、ロゼはお構いなしだ。言いたいことだけ言い放って、彼女は私達の寝室に腰を落ち着ける。皿洗いを終え、お茶を飲んで一息ついたところで、改めてロゼの話を聞くことにした。

 曰く、幼少期からロゼは私を慕ってくれていたらしい。彼女が取り出したスマホケースには、親戚の家で遊んでいた頃に撮ったのだろう写真が挟んであった。念のために見せてもらうと、私がロゼを膝に抱えている場面だった。ややげんなりした顔をした私の頬へ向けて、小学生――ひょっとしたら未就学児かもしれないロゼが、チューをしようとしているところだった。

 どうみても一方的な好意だが、まぁ、この際それはおいとくとして。

「あのさ、葉良ちゃん」

「なんでしょう、お姉様」

 ユリウスが声をかけると、彼女はぴょんと飛び跳ねた。弾んだ声で返事をした少女に向かって、ユリウスはひとつだけ質問を投げかける。

「私達……、っていうか、この時の私ね。本当にそんな約束したのかな」

「当然です! お姉様がふたりに増えたのは予想外でしたが、問題ありません! 重婚万歳です!」

「えぇ……。せめて片方だけにしない? アゲハをあげるからさ」

「おい。ユリシスが家に招き入れたんだぞ」

 私を生贄にして面倒ごとを回避しようとしたユリシスの脇を小突く。彼女は一瞬、恨みがましい視線を送ってきたが、すぐに諦めたようだ。ひとつ咳払いをして、ロゼに向き直った。

「悪いが、私は葉良とは結婚できないんだ」

「えーっ、どうしてですか」

 理由は一億個くらい思い浮かぶけど、と口を挟みかけた私をユリシスが制する。可愛い従妹ちゃんを傷つけず、しかし穏便にことを収める秘策を持っているらしい。

 自信満々に、ユリシスが私の肩を抱く。ん?

「私達、結婚を前提に付き合ってるからな!」

「え、えーっ! お姉様、自分と結婚するんですか!」

 そんなわけないだろ、と無言でツッコミを入れる。強めのグーだ。

 従妹の無謀なお願いを突っぱねるために、ユリシスが咄嵯に思いついた苦肉の策はあまりにもバカげている。しかし、ロゼには効果てきめんらしかった。真剣な表情でユリシスの与太話に付き合うロゼを眺めながら、私は小さく溜息をついた。今夜も、私は眠れないかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る