慣れてみた。

 もうひとりの自分と生活するのにも慣れてきた。

 最初の数日こそ互いに遠慮したり緊張したりしていたが、一週間経つ頃にはすっかり普段通りの生活に戻っている。ベッドがやや手狭に感じるのが難点だが、それ以外は不満もなく、生活のレベルも向上している。

 まず、洗濯物が溜まらなくなった。以前は休日にしか出来なかった洗濯も、平日の昼間に済ませることが出来るようになったからだ。増えていく洗濯物に頭を悩ませることもないし、これは昨日着たような? などと小首を傾げる必要もない。シワシワのパジャマともおさらばだ。

 最高にハッピーである。食費がかさんだりゴミの量が増えたりと、デメリットはいくつかある。だが、その辺りは二人で協力すれば解決できる範囲に収まっていた。困難が増えたとは思わない。

 更にハッピーなのは、土日を挟むと三連休になるのが発覚した時だ。国民の祝日だろうと関係なく出社して仕事をしていたが、ここに来てようやく連休を手に入れることが出来た。

 入社して以来、初の快挙である。

「やばい。幸せすぎる」

「アゲハ、また顔がキモくなってんぞ」

「そういうユリシスも、めっちゃ笑ってんじゃん」

「うるせぇ。っはー、三連休……! 甘美!」

 ハイタッチをしてキャッキャと騒ぐ。こうしてはしゃぐ時だけ、私はちゃんと若い女の子なんだなって感じだ。華があるというか、ちゃんと輝いているというか。ま、私のことはどうでもいいか。

 お休みってのは最高だ。

 仕事がないってだけで、何にも勝る開放感を感じる。

 土曜日の昼下がり、ふたりでベッドに寝転びながら幸福を噛み締めていた。

 私は昨日も仕事だったけど、ユリシスは休み二日目だ。そして、まだ明日も休みがある。感動のあまり、彼女は目元に涙を滲ませていた。私だってそうだ。憂鬱な月曜日に会社へ行かなくてもいい、それがこんなにも幸せだとは思わなかった。有休が本当に休みだったのは会社からの命令でワクチン接種をしに行った時だけで、正しく有休を消化したことがない。

 だからこそ、沁みる。休みが、心に。

「究極の贅沢ぅ……」

 ゴロリと寝返りを打って、ユリシスの方を向く。すると、彼女は私から露骨に顔を背けた。これは誘い受けの合図だ。漫画で読んだことがあるぜ、などと胡乱なことを考えつつその背に抱き着いた。相手は自分とまったく同じ姿形ナリをしているが、抵抗はない。というか、薄れてきた。

 相変わらず、もうひとりの私は照れ屋だけど。

 ユリシスが、むすっと頬を膨らませる。フリをしている。

「くっつくなよ、アゲハ」

「いいじゃん。魂まで癒してくれ」

「お前は本当に我が強いな……」

 はぁとため息を吐いたユリウスは、それでも私を拒絶することはなかった。

 自分と触れ合うことに違和感がなくなったわけではない。けれど、他でもない自分自身だからこそ、気兼ねなく接することが出来た。人付き合いの苦手な私にとっては、それが何よりも大きい。

 ユリシスに抱き着いたまま、ぼんやりと部屋を眺める。1Kのアパートに暮らす私は、家具も最低限のものしか用意していない。キッチンと寝室を隔てる扉のすぐそばに、食事用のテーブルと、椅子がふたつ。

 寝室にあって目立つものといえば、テレビとパソコン。そのくらいか。クローゼットを用意するのが面倒だからと、押し入れをそのまま洋服箪笥の代わりにしているほどだ。あとは小さなテーブルの上に、化粧品やヘアケア用品が置かれているくらいだった。

「あれ、テレビって家具だっけ」

「急にどうした」

「んー。いや、なんとなく」

 箪笥とかテーブルのことを家具と呼び、それ以外のものには別の呼び方があったような、なかったような。少し考えてみたけれど、答えが出なかったので考えるのをやめる。ついでに、ユリシスの背中に顔を埋めた。微かに滲んだ汗の匂いがする。ぐしぐしと頬をこすりつける私は、猫のようだった。

「家具、増やしたいよねー」

「……部屋、狭くなるけど」

「でも、便利なモノは取り入れたいじゃん?」

 具体的に何が欲しい、と思いつくものは少ない。けれど、少しずつ、過ごしやすいように環境を変えていくべきだろう。最低限の生活を続けていたら、いつか普通が分からなくなってしまうから。

 それは、豊かさの放棄だ。

「ふぅ。起きるか」

 休みだからとずっとベッドの上にいるのも健康に良くない。

 のそっと身体を起こしたら、ユリシスにお腹を突かれた。彼女の側から触れてくるなんて、珍しいこともあるものだ。……そうだな、珍しいと感じるほどに、私達の間には差異が生まれつつある。元々は同じ人間、小町夢佳だったはずなのに。

「どうしたの?」

「……別に」

 ぷいっと視線を逸らすユリシスは、私よりも照れ屋の側面が強くなっていた。日々、少しずつ異なる環境が私達の変化を誘発しているのだろうか。

「アゲハ、考え事すると間抜けな顔になるよね」

「そう? ……いや、だいぶ失礼なこと言われたな」

 わしわしと同じ顔の相手ユリシスの髪を乱す。平和な時間だ。

 せっかくの休みだからお出掛けしたいよなー、と天井を見上げた。かといって、趣味もない私が出て行って楽しい場所など思い浮かばない。夏場と言うこともあって、有名な屋外施設なんかに出掛けるのも億劫だった。すぐに日焼けして、翌日には肌が痛くなるタイプだし、私。

 今日はどうやって過ごそうかな、と久しぶりにわくわくしながら頭を悩ませる。気付けばユリシスが私の膝を枕にして二度寝を始めていた。じっと眺めていたら、彼女が目を開く。そして、気まずそうに視線を逸らした。

「な、なんだよ、アゲハ」

「いやー、別にー。なんでもないっすよー、ユリシスちゃん?」

「お前だってやってたことだろうが!」

「そっすね」

 あははと笑ったら、ユリシスは頬を膨らませた。もうひとりの私は、私よりも羞恥心に弱いらしい。こっちは強制レベルアップを済ませた後だからな、差がついてしまったのもしょうがないだろう。

 よしよしと頭を撫でていたら、しばらく経ってから振りほどかれた。耳が真っ赤に染まっていて、こっちまで恥ずかしくなってくる。ユリシスは本当に甘えるのが下手なようだ。すぐに振りほどかない辺りに、甘えたがりな心が透けている。

「なぁ、アゲハ。実は、ここ数日で思ったことがあるんだけど」

 そう切り出した彼女が身体を起こして、真剣な顔をした。思わず、私も身構える。

 これは、アレか。どちらの私がオリジナルかを見極める方法でも思いついたのだろうか。結果がどうなろうと雰囲気が悪くなるから、アンタッチャブルな領域だと認識していたのだが。

 ごくりと唾を飲み込んだら、ユリシスが言った。

「私達、具現化系の能力者だよな」

「は……?」

「ほら、オーラ別性格分析とかも読み込んで、操作系か具現化系だよなー、とか考えてた時期があるじゃん。高校生の頃とか」

「急に漫画の話を持ちだすなよ。真面目な話かと思ったじゃん」

「いいじゃんかー。職場にも雑談できるほどの仲良しはいないんだしさー」

 ぐでっと寄りかかってきたユリシスが言っているのは、十年以上に渡って長期連載している漫画の話だった。主人公達が手に入れた特殊能力に憧れて、あーだこーだと色々な考察をしていた時期が私にもある。気を静め、力を抜いて……などと仕事で疲れた時期にゼツの練習をしていた時期もある。が、そんな話をしても私以外には多分伝わらない。

 漫画やアニメを、趣味と呼べるほどには追っていない。けれど、好きになったものはずっと好きだ。同じ視座で話をしてくれる相手に飢えていたこともあって、私達はすっかり話し込んでしまった。

 結局、私達は同じ人間だ。最終的に旅団メンバーの必殺技を考察し始めたところで話を終えることにした。ユリシスとふたりでいる時間は心地良いものだが、あまり深みにはまらないよう注意しておかなくては。

 いつ何時、どちらが消えるとも限らないのだから。

「今日のお昼はどうする?」

「カップ麺でいいんじゃね? 作るの面倒くさいし」

「それもそうか」

 彼女の提案に賛成してキッチンへと向かう。ふたりして戸棚を覗くと、そこにはカップ焼きそばがひとつあるだけだった。

 互いに顔を見合わせて、そういえば乾麺の類は買ってないなと思い出す。休みが増えたことで買い出しに行く回数も増え、自炊の回数も増えた。溜めなくても明日買いに行けばいいと考えるのが習慣化した結果、備蓄していた食品の量がぐんと減った格好だ。

 ふむ、と顎に手を当てながら考える。冷蔵庫の中を改めて確認すると、買いだめする習慣が深く根付いていたうどん、それから卵だけは残っているものの、他の食材が軒並み不足していることが見て取れた。

 今から買い物に行ってもいいが、少し億劫だ。

 ちらりとユリシスに顔を向ける。彼女も同じことを考えているようだ。

「揉めた時は?」

「コイントスで決めよう」

 私が答えると、ユリシスは喉を鳴らして笑った。直前まで話していた漫画でも、お気に入りのキャラ達がコイントスで決着をつける場面があった。漫画やアニメの影響はあまり受けていないと思っていたのだが、それは私の思い過ごしだったらしい。財布から取り出した百円硬貨を指に乗せ、ピンと宙に弾いた。私が絵柄で、ユリシスが数字の面。どっちが表だったかな、と考えているうちに、コインは私達にひとつの結末を示すのだった。

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