第81話 猫好きには悪人はいないと猫(三毛猫ネネ、ファリーダ)
「太巻き事件、ご存じ?」
夏祭りに向けて、日本人会婦人会の出し物を検討すると言う名のお茶会で、囁くように某メーカーの奥様が言う。
「え?太巻き?あの海苔巻きの大きいのですか?」
「そう。いろんな具が巻かれているあれよ」
「はあ…知っていますが(日本人なら知らない人はいないでしょう?)太巻きが何か?」
そそっとソファーの上を滑るように移動してぴたりとくっつくと、H夫人は囁くように言う。
「日本人学校のS先生の奥様のSさん。ご存じ?」
「いえ,子供がいませんので面識はありませんが?」
H夫人はにんまり笑う。
あ、嫌な予感・・・。
「S夫人はね、太巻きがお得意なの。ご郷里はよく太巻きを作られる地域だそうで、お得意なんですって」
「はあ」
「それで、よく、Sさん宅のパーティーやお子さんのお弁当に、美味しそうな太巻きが出されるので、
先日、M社のTさん宅で開かれたT先生壮行会のホームパーティーで、持ち寄りお料理に、S夫人にはお得意の太巻きを、みなさんでお願いしたのよ」
ううむ、こういう流れは大概S夫人の悪口で終わるパターンだ。
大体こう言う噂や流言は、手から離れた途端に変化していく。色んな思惑や言い回しを身に纏い、ここまで流れてくるときは大概原型をとどめて居ない。
まあ噂なんてそんなもんよね。
私は嘆息した。
「ところがS夫人!そのパーティーの前日に、会場となるTさん宅に夕方突然いらしててね!
美味しそうな太巻きを3本をT夫人にお見せになったの!」
「はあ?」
「それでどうしたと思います?」
知るか!
とは言えない。
太巻きで延々話伸ばすな!
結論を言って解放して欲しい!!
とも、言えない。
「さあ?わかりませんが・・・もしかしてパーティー前日にわざわざ太巻きをお持ちしてくださったのですか?」
私だったらカイロは暑いのもあるので、太巻きなら当日作ったのを持ってきて欲しいなと思うが、まあ人それぞれなので、、。
「それならまだいいのよ!
違うの!
Tさんに見せて得意そうにされるだけなので、Tさんも困惑しながらも「美味しそうですね、綺麗ですねじゃ」とお褒めになられたそうなんですけど、
S夫人はそれを聞いて、「じゃ」っつて、帰られたそうなの!!あり得ませんわ!!」
「は???」
S夫人…何しに来たんだ???
わざわざ夕方に?太巻き自慢?
いやいやまさか!そんな意味不明な事はあり得ないでしょう。
うっかりちよっと噂に食らいついてしまったた夢乃。
「それで?翌日またお持ちになられたのですか?」
「いいえ!翌日はちらし寿司をお持ちになられたの!酷いでしょう?!」
ちらし寿司でもいいじゃない。何が不満??ちらし寿司の素も海外では高級品よ!なかなか手に入らないのよ!とは思うが、S夫人の思惑が全然わからないし、H夫人の激高ぶりもよくわからない。
カイロに住んでいれば、ちらし寿司を作るのが大変なのはよく理解しているはずだけど??
「それがね!ちらし寿司は打ち合わせで、O社のK夫人がお持ちになる話だったので、被ってしまったの!」
あ~~それはダメだ。NGだ。
ホームパーティーの場合、会場になる方の負担が大きいので、大概お料理は参加者が話し合い持ち寄る。
大概がお得意料理を持参するのが普通で、またお料理は被らないようにするのがルール。
なぜなら同じ料理が被るとどうしても比較されて、それがどう流言魚で流れていくか分からないから。
流言魚は大概揉め事の火種になる。
各社、関係団体とも流れてくる火種流言魚はできるだけ避けたいのが実情。
なので事前打ち合わせで、揉め事にならないように全員で決めるのが普通で、それを遵守するのが普通なんだけど…。
S夫人、まだカイロ歴浅いとか、海外駐在歴浅いとかで経験少ないのかなあ???
いずれにしてもどーでもいい話だった。
もう終わった話だし、そんな事もありましたよね~でいいじゃん。
が、
「しかも!ただ〇寿司の素をご飯に混ぜて!錦糸卵とノリをまぶしただけの!手抜きちらし寿司だったのよ!ひどすぎません?同じ日本人学校の先生の壮行会なのに!」
「はあ…シンプルですね。たまたまお刺身系が手に入らなかったんじゃないですかあ?」
(だんだんどーでも良くなり、言葉使いがマダム言葉から離れる夢乃)
「そんなことありません!私は!その日お刺身担当でしたので、ちゃんとスーパーの魚屋に大皿で刺身盛りを注文しましたもの!お刺身はありました!
それでTさんが、どうしてお約束通りに太巻きを持って来て下さらなかったのと、お聞きしたら!
「昨日お持ちしましたでしょう?」
と、怪訝な顔で言われて!
「見ましたけど本日のは?」
と、聞きましたら、
「ありません、昨日見せたのに何故?」
と!
全員、ドン引きしたそうなのよ!」
「ええと??」
「要は!太巻きを前日に見せびらかして、当日は持ってなかったんですの!
意地悪でしょう!?
S先生はいい先生ですけど、奥様もそうとは限りませんのよね。がっかりですわ!!」
そこからは延々S夫人の悪口だった。
やっぱりね。
しかし、話を聞いていると、なんかどこかでボタンの掛け違いのような伝言ゲームの気配が感じるけど。
でもここでそれを言うと、こちらに火の粉が飛んできそうなので、困った顔で苦笑してみせた。火種が飛んでこない事を祈りながら。
だが火種は飛んできて、既に私の後ろでぼうぼうと燃えていた。
「やられた・・・」
がっくりとダイニングテーブルに突っ伏す私を、和也が怪訝な顔で見ながらコーヒーを渡してくれた。
「何かあった?今度はどこグループ?」
和也にもこう言われてしまうくらい、奥様グル―プは年がら年中どこかで何か問題が起こっている。
大概は下らない事が原因で、酷い時はそれが種火で会社同士のいがみ合いになる事も少なくはない。
幸い、うちは高田支社長夫人が目を光らせているし、カイロ日本人会婦人会の重鎮なので、おいそれと喧嘩を売ってくる人はいない。
いないが…時々何かを勘違いした奥様がかみついてくることはある。
今まではそういう火の粉は、支社長夫妻の次に駐在歴の長く、しかもお子さんがいる世代とのネットワークもあった田中夫人が調整をされていたが・・・・。
田中さんは既にご帰国。
調整者はいない。
もう一人お子さんのいる梨田夫人がいるが、彼女は自分に降りかかる火の粉は振り払うが、他人に降りかかる火の粉はガン無視だ。
しかも日本人社会のドロドロしたお付き合いを嫌い、極力関係を避けて日本人以外のコミュニティーと交流しているので少し煙たがられている。
なので、当然、消去法で火の粉は、私、花岡夢乃の所に飛んでくる。
しかもネットワークは猫好きサークル(もしくは麻雀サークル)しかないので、情報戦で既に敗北している。
なので、今まではなるべく他のグループには当たり障りのないように、距離を保っていたのだが…。
「今、日本人学校のS先生の奥様から、メッセージで長文抗議が届いた」
「え?S先生の奥様?お付き合いないんじゃないの?」
「ない」
「なのに何故?」
「この間の婦人会の夏祭りの出し物会議で、Sさんの太巻き事件関係の悪口大会になったのよ」
「まさか、夢乃も参加したのか!?」
ナイナイと、私は手を振る。その手につられてファリーダがテーブルの上にとび乗り、私の手にじゃれだした。カワイイ。
「なんかさ、S夫人がTさん宅で開かれた日本に帰国する先生の壮行会で、太巻きを頼まれたのに、前日に何故か太巻きをTさん宅に見せに来て、そのまま帰ったらしいの」
「え?なにそれ?見せびらかし?」
「さあ?
とにかく、前日に見せに来たのに当日は持ってこなくて、しかも話し合いで決めた他の人が持ってくる料理と被せてちゃって、さらにやっつけ料理だったらしいの。それを他の奥様達がご立腹でね」
「成程。食い物の恨みは恐ろしいからなあ」
茶化して言う和也をじろっとにらむ。
「それが何故、夢乃に飛び火しているんだ?関係ないだろう?」
「だから、その悪口大会の場が夏祭りの話し合いの場だったから私もいたのよ」
「成程。で?S夫人はその場にいただけを理由に夢乃に怒っているということ?」
私は和也にS夫人から送られてきた長文メッセージを見せた。目を通して和也は眉根を寄せた。
「うーん???これ読むと、夢乃が率先して太巻きの悪口を言っているみたいな書き方だね。夢乃が火元だと。何故こうなるんだ?」
「流言はねえ~いろんなネオンサインつけて流れていくから、彼女の所に流れ着いたときはそういう話になってたんでしょうねえ。
でもさ、面識もない人に噂だけを信じて、いきなりこういう失礼な抗議文を長々寄越すってのもさあ、
なんかなあ?じゃない?
大体、私の電話番号、どうやって知ったのよ?だよ。
私、全然面識ないから教えてないのよ?つまりは第三者の誰かが私の許可なく教えたんでしょ?
それで私にこういう文を送ってくるのも…非常識な方なんだなあと…」
「確かにな。失礼極まりないよな。で?どうする?反論するのか?」
「いいえ。これに返しても聞く耳持たずで、火に油になるでしょう」
顔をテーブルに押し当てているのをいいことに、ファリーダがべろんべろん髪の毛から顔まで舐めてくるので、べちょべちょになる前に起き上がった。
「猫好きサークルに、日本人学校先生の奥様の松田夫人って方がいるの。可愛い三毛猫ネネちゃんのママ。彼女に…少し事情を聞いてみる」
と、言うことで聞いてみた。
松田夫人曰く、S夫人は少し変わっていて、その太巻き事件のようなどこかズレたことをしがちで、同じ日本人学校奥様達の間でも評判がいまいちらしい。
よく言えばおっとりしている感じで、悪く言えばぽやーっとしていてちゃんと人の話を聞かなくて、それでいて瞬間湯沸かし器のように、何が原因がわからない事で突然怒り出したりして、皆さんどう対応していいか苦慮しているらしい。
成程。
なんだか段々と話が見えてきた気がする。
恐らく、太巻き事件の悪口をどこからか聞いたS夫人が、あの場にいた誰かを詰問した。
その方はその怒りの矛先を私に向けたんだろう。
面識ないからそこまで火の粉行かないだろうとか、私に火の粉飛んでも問題ない方だったんだろうなあ…。
ま。こういうことはよくある話なんだけど…困ったものだ。
これ以上火事が多くくならないうちに鎮火しないといけない。なので、松田夫人とS夫人と比較的仲のいい奥様が間に入り、松田夫人の家で4人で会うことになった。
言い合いになるかどうか、ドキドキしながら松田夫人のお宅に行く。
こういうことは長引かせたり、拗らせたくないので、普通は皆さん穏便に済ませるものだが…果たしてS夫人はどう出るだろうか?
ドキドキしながら松田夫人宅でお茶を飲みながら待っていると、約束の時間から30分遅れてS夫人が来た。
エジプトタイムだね。すっかりエジプシャンじゃん!しかも謝罪なし!
私達は苦笑した。
「こんにちは、Sと申します。初めまして。あんたが、花岡さん?」
初対面でいきなりあんた呼ばわりかよ。
いやいや、そういう呼び方をする地域出身なのかもしれない。
一舜、むかっ!としたけど、ぐっと抑えて笑顔で手を差し出した。
「I商事の花岡夢乃と申します。はじめまして。S夫人でいらっしゃいますか?この度は何か行き違いがあったようで…。それで松田夫人のご厚意でこの場を設けていただきましたの。ご足労いただきましてありがとうございます」
「ふん!殊勝に謝っても許しませんからね!」
あの文面から、同世代か年下を想像していたが、S夫人は私の叔母に近い歳のような方だった。びっくり。お子さん達は全員大学生で、日本にいるんだそうだ。びっくり。
そしてお茶とお菓子をいただきながら、真摯に抗議の内容は全く違うことを説明した。彼女は懐疑的な目で見て、私の事を売り飛ばした奥様達の名前をべらべら喋りながら、私の事は知らない人だから信用置けないと言う。
やはり平行線か…。
はあ…と心中嘆息していると、松田夫人宅の飼い猫、ネネちゃんが、お昼寝から目が覚めたのか「ごはーん!ごはーん!」言いながら小走りに走ってきた。
いやマジで。マジで、ネネちゃんは「ごはーん!」というの。ほんとに!!
三毛猫ネネちゃんは日本人学校の校庭に迷い込んできて、にゃーにゃー鳴いているのを松田先生に保護されて、松田家の飼い猫になったんだそうだ。
うん。カイロあるあるのよくあるパターンだね。
ネネちゃんはお客様も大好きなので、全員の足にすりすりしてから、松田夫人に前にちょこんと座り、じっと目を見上げて小首をかしげる。
ああああ~~~!!!もう滅茶苦茶カワイイ!!
「可愛いい!可愛い猫ですね!」
急にS夫人のテンションがあがったので、びっくりした。
「S夫人は猫がお好きなんですか?」
「好きです!猫はミステリアスでかわいいじゃないですか!」
はあ…??
よくわからんが、チャンスと思い、私はファリーダの写真を携帯電話に出して見せた。可愛さ破壊力満点の私一押しの、花柄そファーの上にお腹出して、きゅるん!と上目遣いで見ている写真だ!
するとS夫人の目の色が変わり、もっと見せてくださいというので、私は自慢のファリーダアルバムを全公開した。
と、言うことで、なんの理由でここに集まったのかも忘れてしまうくらい、私達はとても仲良しになった。
猫好きに悪人はなし!
てなことで、ファリーダ様様、ネネちゃん様様で、私は危機を回避できたのでした!
単純な奥様でよかったよ~~~!!!
シュクラン!ファリーダ!ネネちゃん!
PS:
私をS夫人に売り飛ばした(笑)電話番号をリークしたのは、そのH夫人でした。あるあるですね(笑)
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