第72話 お別れと心療内科医猫(ベルダンディーとファリーダ)


 <前置き:流産の話が書かれていますので、NGの方はスルーしてくださいね>


 実は、最初のベビーは残念な結果になった。


 産婦人科に行って暫くして…の事で、突然だった。

 普通に生活していたし、無理も何もしていないし、和也もヤシラも大事にしてくれていたし、ファリーダもゴロゴロ喉を鳴らしながらお腹に寄り添っていてくれていた。


 直ぐに病院に連絡し病院総出で対処してくれたけど…残念な結果になった。


 そこらへんはあまり覚えていない。あまりにも突然だったから。

 覚えているのは、私達よりもドクター達の方が、ショックを受けて派手に嘆き悲しんだことにびっくりしたこと。


 まさに阿鼻叫喚の嘆き様。

 みんな泣きながら、私達を強烈にハグする。


 実を言えばその時点の私達は、事態認識に追い付いていない感じだったんだけれど、周囲の嘆き様に流される感じで、夫婦で一緒にみんなと抱き合いわーわー号泣してしまった。

 そんな自分達にもびっくり。

 

 で、処置が終り説明の段にはいると、もうスイッチ切り替わり、次の妊娠に向けて頑張りましょう!と、瞳キラキラでシフトチェンジしているのにも驚いた。


 悲しい時は大きく嘆き悲しみ体からマイナス感情を吐き出し、次に向けてさっさと動く姿勢というのかなんというのか。国民性の違いと言うかなんと言うか、とにかく素直にエジプト人凄い!と思った。


 ドクターが言うには、妊娠初期の頃の残念な結果は、母体側の原因ではなく(余程無茶な生活をしていない限り)、往々にして胎児の方に遺伝子レベルで原因があり仕方のない事なのだという事だった。

 だから考えて悩んでも仕方ない。次のベビーに向けて頑張りましょう!大丈夫!と、がっつりハグしてくる。


 凄い。前向き過ぎる。バイタリティーあり過ぎる。


 でも家に戻ると、その熱量が無くなりいつもの日常の熱量に戻る。

 すると途端に現実に引き戻されるように周囲に何か靄がかかったような…静かなうす暗い洞窟にいるような感覚に襲われた。


 暫くはそんな薄い闇の中にぼんやりと浸かっているような感覚で、あまり覚えていない。

 

 ただファリーダがいつも以上に傍にぺたりと張り付いていた。寝ているときも、トイレの時も食事の時もずっとそばにいる。

 前はお腹のあたりに寄り添い、喉を鳴らしていたのが、今は顔のそばに寄り添い、時々ざりざりと顔や頭を舐めてくれるのがくすぐったいし、少し悲しかった。


 淡々と流れる日常のある日、高田夫人がベルダンディーを連れて来たのには驚いた。手土産には梨田さん特製のフルーツタルトやチーズケーキを持参されて。


 ベルダンディーは田中さん帰国のあと、何回かお預かりしたことがあるので、籠から出されると大きく伸びをし、手慣れた感じで猫部屋へファリーダと一緒に走って行った。


 高田支社長夫人は何もいわない。ただ身体を気遣う言葉だけ。

 ちゃんと食べている?少しは外にも出ない?こういうコンサートあるのよ、いかない?来月にはバレエ公演もあるわよ。博物館ではこういうイベント。あのショッピングセンターでは、日本人会のお祭りはイベントが。日本人学校でもアメリカンスクールやインターナショナルスクールでも、各国大使館夫人会のチャリティーが・・・。


 楽しく話をしながら、梨田さんのチーズケーキを食べ、私が前に大好きだと言ったフルーツタルトを目にしていたら・・・不意に涙がこぼれて来た。

 いろんな感情が溢れて気づいたら高田夫人に背中を撫でられながら号泣していた。


 我に返るとかなーーーり恥ずかしかったけど、やっとうす暗い闇の中から顔を出せた感じがした。


「新婚や若いご夫婦が海外駐在で赴任されるとね、こういう事は結構日本にいる時より起こりやすいの。環境の差とか、気づかないストレスの蓄積とか…様々な理由でね。

 夢乃さんは比較的カイロの生活に馴染んでいらしたけど、最近少し心配になってきてね。そろそろ妊娠される頃じゃなかと。なんていうか、長年の経験でね。直観的に」

「だからあんなに体調気遣ってくださったんですね」


「ええ。老婆心であれとばと思いましたけどね」

「ありがとうございます…」


「夢乃さん、今はカイロの医療事情や生活状況もかなり欧米並みにはなっていますけど、日本のような衛生観念等とは違います。そういう差異が地味にストレスで蓄積しやすいの。

 わかるでしよう?

 なので、今は体を大事にするのが優先だから、帰国して診て貰うのもありよ。フランスやイギリスの提携病院で気分転換に旅行がてらいくのもいいわよ」

「ありがとうございます…」

「とりあえず、今日はベルダンディーを置いていくから彼女に任せなさい」

 

 夢乃はくすっと笑った。


「田中さんのお話を聞いたときは、いいなあ、なんてのんきに思っていましたけど…。なんだか不思議です。ベルダンディーは心療内科医猫なんですね。うちの支社の」


「ほほほほ、そうなのよ。自分が捨てられた事を認識しているのでしょうね。凄く人の悲しい気持ちに寄り添うのが上手なの。私も何度も助られたわ」

 夢乃は驚いた顔をした。


「高田マダムも…その…こういう経験がおありなんですか?」


「ほほほほ、妊娠とかではありませんけどね。私だって人間ですもの。長く住んでいても生きていても、落ち込むことも凹むこともあるのよ。ほほほほ」


「す・・・すみません」


「いいのよ。とにかくベルダンディーに任せておきなさいな。もうういいとわかったら、彼女の方から帰るというから」


「ええええ!?本当ですか?じゃあもしかしたらずっと帰らないで、うちの子になってしまうかもしれませんよ?いいんですか?」

 

 高田夫人はおかしそうに笑う。そして自信満々で言う。

「そんなことには絶対ならないから、まあ見ていなさいな」

 

 と、いう事でベルダンディーがうちに来た。

 帰宅した和也は支社で話を聞いていたらしく、お出迎えにきたベルダンディーとファリーダを交互に抱いて、目を細めてデレデレだ。

 全くもう~~~。


 ベルダンディーはうちに居て特に何かをしたわけでは無い。毎日、フアリーダと一緒にドタバタ遊んで寝て食べて、和也をお見送りしお出迎えし、ドタバタドタバタしていただけ。


 でも、田中さんがおっしゃってた、よそ様の猫がいるだけでそちらに意識が行き、全然凹んでいる暇がなかった気がする。

 と、言うか、沈みそうだなぁと思った瞬間に、ベルダンディーがどたたたたた!!と、走り出す。

 ファリーダも走りだし、キャットタワーにバリバリ!と駆け上り、びょーんと壁のステップを渡り出し、どすーん!と降りたと思うと、カーペットでバリバリバリバリ!

 ごはーん!にゃーん!

「はいはい、今あげますからねー」


 ベランダの植木の土をほっくり、ほっくり。

「きゃー!やめてー!あなた達!!」


 このご飯、いや、バーン!と吹っ飛ばして、

「ベルダンディー!何してんのー!」


 朝、息苦しくて目が覚めたら、2匹が顔にのしかかってて

「どいてー!くるしいいい!」


 玄関に出しておいたサンダルがない!買い物に行けない!

「ベルダンディー!!どこ持ってったー?!」

 と、叫んだら、実は犯にゃんはファリーダだった。ので、お詫びにチュールあげたら、ふふんと笑ったとか。


 まあ、そんなこんなで落ち込んでいる暇等なかった気がする。


 ある日、ベルダンディーが玄関前にぴしっ!と座った。

「どうしたの?和也はまだ帰ってこないよ?」

 そう言うが、ベルダンディーは振り返り、にゃーんと鳴くだけでテコでも動かない。

 心配になり高田夫人に電話をすると、直ぐにきてくれた。ゲージを持って。

 すると、ベルダンディーはするするとゲージに入る。


 その時、あ!と、気づいた。最近の自分が前みたいに笑っていたことに。周りのモヤが無くなり、前みたいに暑いカイロの空気の中にいることに。

 

 そうか。もうお役目終わったんだね。


 高田夫人は「ほらね、」と、得意そうに笑い、梨田さんのチーズケーキを置いてベルダンディーと帰って行った。

 

 ベルダンディーが帰った日はかなーり家の中が静かで寂しくなったけど、ファリーダがゴロゴロ喉を鳴らしながらへばりついてくるので大丈夫。


 悲しみは胸の奥にずっとあるけど・・・・もう・・・大丈夫。

 

 数日後、私達はスフィンクスの花屋さんで花束を買うと、ナイル河に行き花束を流した。

 

 「ナイルのそばで生まれた者はナイルにかえるんだよ。だから魂を見送るためにお花を河にながすと良いよ」と、ヤシラとか複数のエジプト人に教えもらった。


 本当かなあ?ながしても良いのかなあ?と、思いながら小さな花を買った。可愛いお花。


 そして私達は初めてのベビーにさよならを告げた。

 また戻っておいでね。今度はちゃんと産んであげるからね。


 色とりどりの小さな花束は、結構なスピードであっという間に下流に向かって流れて行ってしまった。

 バイバイ、またねと、手を振りながら。



追記:

 大丈夫!

 ドクター達の言うとおり、少し時間が掛かりましたがベビーはやってきました!

 ナイルにお花はいいのかなー??なので真似しないようにー(;^_^A

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