第23話 ファリーダ視点・アスワン、フアルーカと猫 (ファリーダ・子猫時代)
そこがどこだかは覚えていない。
気づいたら沢山の兄弟と一緒に、暖かで居心地のいい所でお乳を貪っていた。
日々は早くて、寝て、お乳を吸って、寝て、お乳を吸って。兄弟達ともみくちゃになり寝る。遊ぶ。少しづつ行動範囲が増える。
そしてうす暗い場所から、明るい場所に一人で出た時には、四肢でしっかり大地を踏みしめていた。
世界は明るく広くて熱くて、そしていろんなものに溢れていた。それがなんなのかはわからなかったけど、自分達を見下ろす黒い瞳の「ニンゲン」と呼ばれる者達は、皆優しかった。
記憶にあるのはどこかの水辺。
青い水辺。
そして「ふぁるーか」と呼ばれる「ふね」という物。
兄弟は水辺を怖がったけど、あたしは怖くなかった。一番かわいがってくれる「ニンゲン」が、よく服の中に入れて「ふね」のそばまで連れていってくれたから。
「ニンゲン」がいうには、あたしが一番大人しくて好奇心がある猫だからだって。
猫ってなに?
そうママに聞いたら、あたしたちの事を「ニンゲン」がそう呼んでいると教えてくれた。
「ニンゲン」は怖くないの?
ここにいる「ニンゲン」は怖くないけど、怖いニンゲンもいるから、知らないニンゲンの傍にはいってはだめよ。
ママはいろんなことを教えてくれる。とても優しいママだった。
いつだったかは忘れた。
あたしはいつものように「ニンゲン」に抱きかかえられて川のそばの「ふね」にきていた。
水の匂い、風の匂い、船の匂い、知らないニンゲンの匂い。草の匂い。何かの食べ物の匂い。
ここにはいろんな瞳の「ニンゲン」がいる。着ている「ふく」もみんな違う。匂いも違う。でもみんな優しい。ぐりぐり頭をなでたり、お腹をさすってくれる。
誰かがあたしを抱き上げ、そしてそのまま「ふね」に乗った。あたしは怖くなかった。だって「ニンゲン」が一緒だったから。「ニンゲン」は白い歯を見せて笑う。
「いい子だね」と笑う。
あたしは動き出した「ふね」の一番前に行き、足を踏ん張って立つ。みんなが大喜びして、四角い板をあたしに向けてぱしゃぱしゃ音をたてる。「ニンゲン」は上機嫌で、気持ちのよい音で何かをうたう。
川の上に「ニンゲン」の声が流れて、白い鳥が飛び立ち、魚が跳ねた。大きな岩の間 を「ふね」は滑るように走り、別の大きな岩の塊の所に停まる。他の「ニンゲン」がぞろぞろ降りていく。
あたしはそうして何回か船にのり、「うた」を聞き、いろんな「ニンゲン」に会い、「ふね」の上から川を眺めていた。
その日もいつだったかわからない。
朝、まだ兄弟達が寝ているときにママがあたしをざりざり舐めて起してくれた。「ふね」に行く時間だとママは言う。
ママは金色の瞳であたしを見ると、目を細めて笑う。
あんたは少し風変りだったけど、立派に育ったと思うよ。もうお乳もいらない。だから一人で生きていいける。
一人で?ママはどこか行くの?どこかに連れていかれた兄弟みたいに?
あたしはどこにもいかない。ずっとここにいる。だけどあんたは今日、ここから出ていくんだよ。
どうして?
そういう運命だから。聞こえているんだろう?あんたを呼ぶ声を。
ママは不思議な事を言う。聞こえている?なんの声?だけど川を滑る風の音と車の音しか聞こえない。朝の静かな音しか聞こえない。
ママは言う。
大丈夫。そのうちわかるから。
あたしはいつものように「ニンゲン」に抱かれてママの傍をはなれた。
ママは元気でねと目を細めて挨拶をしてくれた。
あたしも元気でねと目を細めて挨拶をする。それがママとの最後だった。
その日、「ふね」の傍には川と同じ青い目のニンゲンが3人いた。オスだ。わーわーなんかうるさいけど、でも匂いはいいかんじだ。彼らは「ふね」にのり、いつものように大きな岩の島に行き、また「ふね」に乗る。
足元に大きな布の袋を置いて、彼等は「にんげん」と一緒におなじ「うた」を手を叩きながら楽しそうに歌う。あたしは、その布の中を覗いた。何かが呼んでいるような気がしたから。
誰?あなたはだーれ?
わからないけど中に入った。そこは暖かくてママの傍にいるように安心できるところだった。だからあたしは目を閉じて喉を鳴らして寝た。
起きたら知らない場所だった。
3人の青い目のオス達がなんかわーわー言っている。ここはどこだろう?「ニンゲン」が移動するときに使う「くるま」に似ている。でも違う匂いだ。
「かばんの中にいたんだ!」
「どこで入り込んだんだ?」
「アスワン?」「ルクソール?」「オアシスの村じゃないか?」
窓があるので外を見ると…そこは一面砂漠だった。いつも見えていた川は…どこにもなかった。
3人はわーわー言うのをやめて、大笑いすると、板をあたしにむけて3人でチューをしてきた。あたしもニャーと鳴いて、鼻チューをしてあげた。3人は大喜びだった。
そして、あたしはこのオス3人と一緒に「くるま」で旅をすることになった。
オス達も「ニンゲン」と同じで優しかった。美味しいごはんをくれるし、一緒に寝てくれるので寂しくなかった。
「オフロ」に入れられるのはびっくりしたけど、別に嫌いではなかった。
オス3人はいろんなものを見せてくれた。
砂漠砂漠砂漠の果てには、大きな川があった。でも川じゃないんだよと教えてくれる。「海」っていう川が沢山集まった大きな川なんだって。川と違うのは水がしょっぱいんだって。よくわかんない。でも確かにあの川とは違う匂いがする。
あたしはひげをぴん!と立てて鼻をひくひくさせて匂いをいっぱい嗅ぐ。
嫌いではないよ。この匂い。
海の近くはとても賑やかで、いろんな物と光と音と臭いで溢れていた。知らない猫の匂いがあちこちからしてくるけど、姿は見えない。
そこから移動していろんな「海」と「街」をみた。「村」という小さいのもみた。どこもニンゲンがいっぱい。でもあの「ニンゲン」はいない。ママも…いない。
海の向こうの白い大地を人間は「シナイ半島だよ」と教えてくれる。
小さな村の池を「オアシスだよ」と教えてくれる。
違う海を「地中海だよ」と教えてくれる。
「セントカテリーナ」「モーゼの山」「シャルメルシェイク」「イスマイリヤ」「ブールサイド」「エビ」「海の魚」「ビール」「ワイン」「ナツメヤシ」「ナイル川」「アレキサンドリア」「ピジョンタワー」「鳩」「犬」「ピーナッツ」「バラ」「高速道路」「へベイラ」「エイシ」「ターメイヤ」「モロヘイヤ」「ピジョンは食べれる」「カイロ」「ギザ」「モハンデシーン」「マーディー」「友達」「アメリカ」「コーラ」「7UP」「カルカデティー」「ハイビスカス」「ケバブ」「ケンタッキー」「ナイル川」「ピラミッド」「スフィンクス」「博物館」「パピルス」「古代の村」
沢山沢山教えてもらった。沢山いろんなものを見せてくれた。触らせてくれた。食べさせてくれた。一緒に寝て、風を切って走った。楽しかった。幸せだった。
「ニンゲン」が「ふね」で行っていた大きな石の島より大きな白い物もみた。
猫みたいな大きな石の人形も見た。
でもそれより驚いたのは、ここは物凄い「くるま」「ニンゲン」音、匂いで溢れかえっている。
どこからか懐かしい川の匂いもするけど、どこかはわからない。
そしてあの川を渡る風のような声が強くなった気がする。その頃には、これがママの言っていたあたしを呼ぶ声なんだと理解していた。
その日は暑くて暑くて、あたしはへとへとになっていた。ここは暑すぎるし物も音も多すぎる。オス達はあたしがへたばっているのを心配して、日陰に移動してくれた。ありがたい。助かるよ。
あたしはオスの足元の日陰で寝ることにした。
どれくらい寝たのかわからない。何かいい声がする。とてもいい声。あたしは目を覚ました。緑の布の向こうで声が聞こえる。
「猫??猫と旅しているの??」
やわらかいいい香りの手が、あたしをそっと撫でる。気持ちいい。あたしは目を開けてみた。「ニンゲン」と同じ黒い瞳のメスがいた。みたことないメス。
でも…なんだろう。背中がぞくぞくする。
そのメスの声がどこかで聞いたような気がする。どこだっけ?どかであたしを呼んでいたよね??
オス3匹も話している。
「どこからだっけかなー?鞄に紛れ込んできていたんだよ。アスワン?」
「いや、ハルガダの時にはもういたじゃないか」
「ルクソールじゃないか?あそこにも猫が沢山いただろう?」
「エジプトはどこへ行っても猫だらけじゃないか」
「まあ、そういう縁でずっとエジプト国内をこいつと旅していたんだ」
「へええ~~。ホテルとか、飛行機とか大丈夫だったんですか?」
「ああ、レンタカーで回っているから移動は問題ないよ」
「レンタカーで!!凄い!!」
「飛行機で移動のところは空港で預かって貰ったりな。結構みんな親切だよ」
オス3人と話すこの声は好き。とても気持ちいい。再び緑の布が掛けられ、メスが視界から消える。
嫌だ。
身体の中で何かがそう言っている。とても不安になる。
ふんふんと臭いを嗅ぐと、すぐそばにメスの匂いのするカバンがある。あそこにいけば…メスの所にいけるのかな?このオス3人の所にこれたように。
行きなさい。
ママの声がする。
あたしはゆっくりとオスの傍から離れて…そして、メスのカバンの中に入り込んだ。いろんなものがごちゃごちゃあるけど…
心地いい。
だからあたしは目を閉じた。
さよならオス3人。今までありがとう。あたしは目を細めて、かばんの開いた隙間から小さく見えるオス3人に挨拶をした。
元気でね。
次に目が覚めた時、凄い香ばしい「にく」の焼ける臭いで飛び起きた!すると勢い余ってカバンから頭がでた。
メスと目があった。あの「ニンゲン」と同じ優しい黒い瞳。綺麗な声。優しい声。優しい手。優しい…匂い。
そしてあたしは…「ファリーダ」になった。
あたしの瞳と同じ色の宝石の名前。
夢乃はあたしを「宝石」と呼ぶ。優しい声で呼ぶ。
ママが言っていたあたしを呼ぶ声は、きっと夢乃だったんだね。
だって夢乃の傍にきたら、もうあの川を渡る風のような声は聞こえなくなった。
これからは、「夢乃」と「和也」というつがいと一緒に旅するの。いろんなところに。砂漠も街も海も超えて…遠く遠く遠く…空も超えて旅をする。
夢乃と一緒にどこまでも。
あたしはこれからもずっと旅をするの。
追記:
リクエストで書かせていただきました。リクエストありがとうございます。
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