結局男は、上の者に反抗する度胸がないんですね。上から否定されたら何もなくなってしまう歯車に過ぎないからでしょう。その点、女性は、組織よりも、国家よりも、自分自身を措いてでも守らなければならないものがある、ということを体で知っていると思います。もっともっと、女性の意見を、女性の感性を政治に反映させることができたら、戦争などという愚かで、愚かで、言葉にするのもおぞましい行為を、この世界からなくすことができるのではないでしょうか。
作者からの返信
@aono-haijiさん コメントありがとうございます。
お返事が遅くなり、大変申し訳ありません<(_ _)>
そうですね。
確かに男は自分自身を見ても、所属する組織がないと自分を見失ってしまいがちな気がします。
組織や立場を通して物を見ることに慣れきってしまっているというか、そこに逃げているというか。
ご意見ありがとうございます~。
ほんとうに、なぜ「やめよう」と言えなかったのか。陸軍や海軍のつまらない柵や根拠のない楽観視をすてられなかったのか。その場の空気の重さと逮捕されてしまう恐ろしさが愚かな戦争を引き延ばしたとしても、恐ろしくまた悲しいことですね。
作者からの返信
来冬 邦子さん コメントありがとうございます。
拙句をお読みいただき、ありがとうございます<(_ _)>
そうですね。
インパール作戦に限らず、なぜ開戦時に海軍は明確に戦えないと言えなかったのか、サイパンが陥落した時に講和しようと言えなかったのかなど色々と考えてしまいますね。
背後には、国民の無言の圧があったのだろうと思います。
現在も規模の大小はあれど、なんでそんなことを続けてるの?ということはたくさんあるような気がしています。
多くの死が重なり、それを無駄にしたくなくてさらに多くの死が重なる。多くの嘘で鼓舞し、多くの人を騙す。そんな沢山の連鎖がもう誰にも止められない時代を作ってしまう。「やめよう」って言葉が重すぎて、誰も背負えない。負けを認めれば全てを失くす。心に「弱さ」があるなら戦争を選択する「怖さ」を絶対に知るべきなのだと僕は思います( ;∀;)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
開戦前の空気として、中国からの撤兵は戦死者の遺族や世論が許さない。重税を課して軍艦を建造していた海軍としては米国と戦えないとは、国民の手前、とても言えないという考えがあったのだろうと思います。
そして、空気に飲まれて意思決定をしてしまったが最後、犠牲が増え、そのことでサンクコストがどんどん大きくなって後に引き返せなくなる。こういうことって今の世の中にもあるような気がしています。