日常が溢れて、日常に埋もれて、日常に懸命、そんな毎日で忘れてしまいそうになる事を僕らは思い出し、心に刻まないといけない。戦争は最低の選択肢、武器はその狂気の最たるもの。僕らが持っている創造性や閃きはそんな事に使う為にあるんじゃない、家族を愛し、友を愛し、素敵な毎日を豊かにする為にある。僕はそういう事を感じながら拝読させて頂きました。ありがとうございます( ;∀;)
作者からの返信
福山典雅さん コメントありがとうございます。
お返事が大変遅くなってしまい、申し訳ありません<(_ _)>
拙句をお読みいただき、また、句に対してご感想をいただき深く感謝を申し上げます。
確かに目の前の生活に押し流されてしまう毎日ですが、せめて8月くらいは戦争のことを考えてみようと思い、作句してみました。
おっしゃる通り、創造の力は武器を作るためではないと思いたいですね。
ネコ様、俳句は季語が大切なのですが、
どうも苦手で、短歌に逃げてます。💦
原爆忌が夏の季語だと知りました。
夏にさく
夾竹桃
毒の花
あのヒロシマに
負けずに咲ける
ヒロシマと言うと夾竹桃を思います。
毒を持ちながら放射能の毒にも負けずに
花を咲かせる生命力の強さ。
ヒロシマの人達を象徴する花と言われて来ました。
作者からの返信
菜の花のおしたしさん コメントありがとうございます。
拙句をお読みいただき、感謝です。
菜の花のおしたし、大好物です!
季語って使い方がすごく難しいですよね。それぞれの語がパワーを持っているので。ちなみに、原爆忌は秋の季語ですね。
なるほど、ヒロシマと夾竹桃という組み合わせですか。語弊があるかもしれませんが、すごく面白いです。初めて聞きました。教えていただいてありがとうございます。
短歌も素敵です!
原爆忌という季語があるのですね。
ちょうど昨日、入市被爆した友人のお父様が50歳という若さで、がんで亡くなったのだと聞いたばかり。偏見を恐れて被爆手帳は貰っていなかったそうです。医療費無料になるんですけどね。主人の母やその姉妹も同じ理由でもらっていません。
広島市民は親族の誰かが原爆にあってたりしますね。お墓には同じ日付で5〜6人名前が並んでいたり。そんな広島市民の私たちから見て、他県の方が注目してくださることはとても心強いです。だって、他県では原爆の日が何日か分からない人もいるみたいなので。それを知った時とても悲しかったんです。
作者からの返信
楠瀬スミレさん コメントありがとうございます。
返信が遅くなり、大変申し訳ありません。
今日は8月6日ですね。
広島の方にとっては、特別な日なのではないかと拝察します。
やはり地元の方にとっては、非常に身近な問題として続いていらっしゃるんですね。
私は九州の人間ですが、長崎でも同じように被ばくを隠して生活されていた方がいると聞きます。
戦後生まれではありますが、子どもには戦争のこと、原爆のことを語っていきたいと思います。
気持ち悪くて、おぞましくて、直視できない、あの戦争終結の惨状。
現在の親世代は、子どもの頃、否が応でもそれを伝える数々のものに触れさせられ、ショックを受けながら、学びました。
だから、戦争を体験していなくても、バービーやインディジョーンズに、不快感を表明できるのです。
「原爆忌」という言葉を8月にアップされたこと、支持します!
作者からの返信
月夜の黒猫さん コメントありがとうございます。
返信が遅くなり、大変申し訳ありません。
今日は8月6日ですね。
私の原爆に関する情報との出会いは、小学校の頃に公民館で観た「はだしのゲン」の映画です。
あの映画の衝撃は今でも忘れられません。
その後、広島にも長崎にも行きました。
子どもがもう少し大きくなったら、連れていきたいと思います。
編集済
いつも私のエッセイに応援❤ありがとうございます。
この句、切実ですね。
被爆された方、どんどんご高齢になっていきます。
すると、体験談がどんどん聞けなくなる。
それは悲しくて恐ろしいことです。
日本は今後も核兵器は持たないということを
国の指針にしていきたいですね
作者からの返信
ポンポコさん コメントありがとうございます。
お返事が遅くなり、大変失礼いたしました。
そうですね。戦争経験者がいなくなってしまうのも時間の問題ですので、行政やマスメディアには少しでも多く音声や映像としてライブラリー化して残しておいてもらいたいですよね。