第12話
路地は入り組んでいて、一人なら迷ってしまいそうだった。
まるで街の吹き溜まりのような場所だ。空気が澱んでいるような、闇が凝っているような——そんな印象をユゥカは受けた。
その印象を裏付けるように、辺りには色々な物が落ちている。
空き瓶や空き缶、ガラス片、壊れた傘、タバコにシリンジ——。
時々、浮浪者のような風体の人が座っていたりもしていたが、ユゥカはすぐに目を逸らした。
そんな場所を、哲人は迷いなく進んでいく。
辿り着いた先は、どこかの雑居ビルの裏口のような場所だった。
哲人はその汚いドアを三回ノックした。
「雨が降りそうなので、傘をお借りしてもよろしいでしょうか」
その奇妙な言葉に、ユゥカは首を傾げる。
——雨なんて……。
降る予報が出ていただろうか。そんな疑問が頭に浮かんだと同時に、ドアが開いた。
小柄な老人が、ドアから顔を覗かせる。
「入りな」
男に促され、哲人がドアを潜る。わけが解らないまま、ユゥカもそれに続く。
油と金属の匂いがした。
中は工房のような、あるいは小さな工場のようだった。
作業台があり、工具があり、古めかしい機械がある。ただ、それらが何を作るための物なのかは、ユゥカには判らなかった。
「そこ座ってな」
そう言って、何かの職人のような風体の男は部屋の奥へと行ってしまった。
老人に言われた通り、ユゥカは木製の丸椅子に座る。することもないので、とりあえず工房を眺めた。
壁には、やはり使い道の判らない器具たちが掛けられていた。何かを掴む形状をしている道具や、何かを切断、あるいは研磨する道具などが並んでいる。
それらを見てユゥカは、拷問器具を思い浮かべた。
「一つで良いんだったな」
いつのまにか、先程の老人が哲人の目の前に立っていた。
「はい」
哲人は応える。ユゥカは、節くれだった指が掴んでいる物体に、目が釘付けになっている。
筒状の突起が伸びた、黒くて不恰好な塊。
——これは。
「拳銃——ですか」
「そうだ」
哲人は職人から拳銃を受け取ると、それをユゥカへ差し出した。
「お前がこの職に就いてそろそろ一年だろう」
「そうですけど」
規則として、機動局員は職務中、火器や刀剣類の携帯は禁じられている。
そもそも、基本的に特殊障碍者管理厚生局のほとんどの局員は拳銃を持てない。特殊障碍者管理厚生局全体で見れば、特殊障碍をもつ犯罪者を相手にするのは職務のごく一部に過ぎず、機動局員のみがそれを行う。あくまでも特殊障碍者の管理と厚生を目的とした役職であるため、拳銃の所持が許されるのは、その中で唯一、機動局員の監督を行う監理局員だけなのだ。
——それが何で。
「どうしてこれを……。規則違反なんじゃ」
「ああ。だから、おおっぴらに見せびらかしたり、無闇矢鱈に使用したりはするなよ」
「じゃあ、何で」
「今後、お前の異能力だけでは対処しきれない案件に立ち会うことがあるだろう」
その時のためだと言って、哲人は拳銃をユゥカに押し付けた。
ユゥカはおずおずとそれを受け取りながらも、
「良いんですか」
と言って確認の視線を送った。
監理局員に拳銃が支給されているのは、もちろん犯罪者に対抗するためだ。しかし本当の理由は、機動局員が謀反を起こした時に対処するためなのだ——という噂がある。
その噂はユゥカも知っているし、信憑性があるとも思っている。
ユゥカの視線は、だから「私が裏切るとは考えないんですか」という確認である。
しかし哲人はその視線に対してたった一言、構わないとだけ返した。
「ショルダーホルスターをお願いします」
「ちょっと待ってな」
そう言い残して職人風の老人は億劫そうに工房の奥へ行った。
「あの」
「何だ」
ユゥカは凶器の質量を感じながら哲人に尋ねる。
「これ、機動局員全員が持ってるんですか」
「いや。俺が担当する機動局員の一部だけだ。異能力で充分対処できている者や、信用できない者には持たせていない」
お前はそのどちらでもない——哲人はユゥカの目を見てそう言った。
それはユゥカが力不足ということなのか、それとも信用されていると受け取るべきなのか。哲人の言葉の真意を捉えあぐねていると、職人らしき男が戻ってきた。
「はいよ。着け方はその兄ちゃんに教わりな」
「……はい。ありがとうございます」
ユゥカはホルスターを受け取る。
哲人に教わりながら、銃を納めたホルスターを装着し、最後にジャケットを羽織った。
「なんか、意外と重いですね」
脇の下に異物がぶら下がっていると意識すると、やはり違和感がある。
「そのうち慣れる」
「桜庭さんも持ってるんですよね、これ」
「ああ」
もちろん局から支給されている物だがなと、哲人は付け加えた。
「喋ってるとこ悪りぃが、嬢ちゃん、一つだけ約束してくれ」
「何ですか」
「何かあった時、ここのことは絶対に漏らすんじゃねぇぞ。その代わり、オレも嬢ちゃんのことは知らねぇ。名前も聞かん。この意味、解るな?」
老人は念を押すようにユゥカの目を見た。
「はい」
トラブルに巻き込むな——そういうことだとユゥカは理解した。
「それが分かりゃあ良い。帰りな」
そう言って老人は背を向けて、手を煽ぐ仕草をした。
「行くぞ」
「はい」
哲人はあの古びた扉を開けて外へ出た。ユゥカもまた、日没間際の薄暗い路地に出る。
車に着くと、哲人は行きと同じように運転席に乗り込んだ。それを見てユゥカは助手席に座る。
哲人が局の車を使わなかったのは、この場所を局側に知られたくなかったからなのだと、ユゥカはこの時ようやく思い至った。局から貸し出される車は走行経路が記録され、毎日チェックされる。哲人はそれを避けたのだ。
静かな駆動音とともに車が動きだす。
歓楽街の表通りに出ると、街は色取り取りの明かりが灯っていた。
「あの」
過ぎゆくネオンを眺めながらユゥカは尋ねる。
「私、拳銃の扱いって、知らないんですけど。それはどうするんですか」
武器は使えなければ意味がない。特に拳銃なんて代物は、訓練しなければまともに扱えないだろう。
それなら問題ないと、哲人は言った。
「局の地下に監理局員用の射撃場がある。そこで俺が教える」
歓楽街を抜け、商業地区に入る。
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