第11話
「それはキミ、なぜだと思うね?」
「考えられることは二つです。一つは、単純に縁金が気まぐれに行動理念を変えた。もう一つは、何者かが縁金に接触した。大きくこの二つだと考えられます」
「気まぐれなんじゃないのかね?」
「もちろんその可能性もあります。しかし、今回強奪された現金と宝石類は、縁金個人では持て余す金額です。指定違法者の場合、多額の金を必要とするなら、その目的は薬物か武器か、あるいは人を雇うかです。大金が必要となると、人——個人より、指定違法者のグループとの交渉が有力です。金の使い道という点から推察するなら、縁金が何らかの目的を果たすために指定違法者グループを利用しようとした——という可能性の方が高いでしょう。その目的の規模によっては、最悪の場合、民間人にも影響が及ぶ可能性もあります」
「なるほどね。それでその、縁金響也の目的は何なのかね?」
「それは不明です」
哲人の簡潔な受け答えに、副局長は、あそうとつまらなそうに言って、背もたれに深く寄りかかった。
「では、縁金響也の捜索の強化、加えて、彼と接触したと思われるグループの調査をお願いしたいと思いますが……局長、よろしいでしょうか」
哲人は無能副局長の隣に座る局長の影に顔を向けた。
「まあ、それで良いんじゃないかな。公共治安維持局には僕から伝えておくよ」
ありがとうございますと、哲人は恭しくお辞儀をした。
「私からの報告は以上とさせていただきます」
その言葉が終わると、会議室がぱっと明るくなった。
それが合図であるかのように局員たちは一斉に立ち上がり、控えめな会話を交えながら会議室を出て行く。
遅れてユゥカも席を立つ。向かう場所は会議室の外ではなく、哲人のもとだった。
「手伝いますよ」
「ああ。じゃあ、そこのスクリーンを閉じてくれ」
「分かりました」
テーブルに置かれたリモコンを操作すると、電動スクリーンがするすると巻き取られていく。
「あの」
「何だ」
「縁金響也って、誰なんですか」
スクリーンが収納されるのを見届けて、ユゥカは会議中ずっと疑問に思っていたことを言った。
「知らなかったのか……」
哲人は呆れたように言った。
「まあ、はい」
すると哲人は、プロジェクターとの接続を切ったばかりの端末を起動させて、画面をユゥカに向けた。会議中に出ていた、左目に傷のある男の正面画像が表示される。
「さっきも言ったが……縁金響也は、現在三十三歳、二十二歳の頃に一般人を三人殺害。以降十一年に渡り、判っているだけでも暴行が三十二件、殺人が九件。被害者の半数は指定違法者だから、余罪はもっと多いだろうな」
「そんなことをしていてこれまで捕まっていないということは、ずっと隠れてるってことですか」
「いや。そうじゃない」
ユゥカの言葉を否定して、哲人は画面の男に視線をやった。
「堂々と歓楽街を歩いている姿が何度も確認されている。それに、こいつと
「なら、何で」
「一つは単純な理由だ。こいつは少々やっかいでな。機動局員が臨場して何度か戦闘になったが、全て逃げられている」
「他の理由は」
「最初の三件を含め、被害にあったのが特殊障碍者だけだからだ」
「ああ……」
哲人の答えが何を意味するのかを、ユゥカはすぐに察した。
特殊障碍者が被害者である事件の場合、行政の初動は往々にして著しく遅い。なかなか本腰を入れないどころか、後から起こった非特殊障碍者の事件を優先することも珍しいことではない。そのくせ、特殊障碍者による非特殊障碍者への暴行事件なんかは驚くほど迅速に対処される。
現代社会において、特殊障碍者の命は非特殊障碍者のそれよりも軽い。どうせ特殊障碍者——そういう考え方が蔓延しているのだ。
縁金響也の事件もその例外ではなかったようである。
「なら、今回の捜索の強化も……」
真面目に取り合ってはくれないのではないか。
「どうだろうな」
哲人は端末をスリープモードにした。暗くなった画面に、いつも通りの神経質そうな顔が浮かび上がる。
「一応、ことによっては健能者にも被害が出ることを仄めかしたが、それをどれほど重要視するかは、局長と
そう言って哲人は画面をハンカチで拭いてから、端末をホルダーに収めた。
「藍瀬」
「はい」
「この後付き合ってほしい場所がある」
話題が急に変わり、ユゥカは寸秒固まった。
「良いですけど……今からですか」
「ああ」
着いてこいと言って哲人が向かった先は、駐車場だった。
「運転は俺がする」
哲人は局から貸出される車ではなく、個人所有の車を示した。
促されるまま、ユゥカは助手席に乗る。車内はほぼ無臭で、塵一つない。哲人らしい、清潔な車内である。
「仕事——じゃないんですよね」
「ああ」
どこに行くんですかと尋くと、歓楽街だという答えが返ってきた。
「そこに用がある」
哲人はエンジンをかけ、発車させた。
商業地区までの道のりは見知った道だったが、歓楽街をしばらく走って脇道に入ったところからは見慣れない景色になった。おそらく歓楽街の西部のどこかだろうとは思う。
徐々に賑やかさから遠ざかり、いつしか単調な街並みへと変わっていた。
殺風景な一本道の路肩で車が止まった。
「ここですか」
「いや、少し歩く」
「ここって……」
ユゥカは車を降りて辺りを見渡した。
ユゥカはここへ来るのは初めてであったが、どういう場所かは何となく予想がついた。ここは風俗街よりもさらに奥。養生エリアの境界まで数百メートルという、歓楽街の最奥地だ。
——灰色……。
第一印象はそれだった。ネオンだらけの表通りとは裏腹に、ここはセメントの色しかない。
人の姿はない。看板や装飾が見当たらないから、林立している建物が何のための建物なのかが判らない。ただ漠然と街の
辺りには無機質な音が静かに響いている。
ファンやコンプレッサーの音。何かの機械の駆動音。金属を叩く音。 いずれも普通の生活音ではない。
「それで、ここに来た理由は何ですか」
「お前に渡したい物がある」
「それって——」
仕事に必要な物ですかとユゥカが尋こうとした時、哲人の胸元からヴァイブ音が鳴った。
哲人は懐から通信用の携帯端末機を取り出し、それを耳元に当てる。何度かの短い相槌の後、なぜかユゥカを一瞥してから、はいと応じて哲人は通信を切った。
それから、
「来い」
とだけ言って、哲人は薄暗い路地へ曲がった。
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