第9話

「さて、と。そろそろ出よっか」

「うん」

 気が付けば、店内の客はユゥカたちの他には二組だけになっていた。

 ヘルスウォッチで会計を済ませて、店を出る。平日のこの時間は通勤途中の社会人が多い。

「あー、検査がなければなー」

 ミュアは天を仰いで、愚痴を溢すように言った。

「ああ、だから今日午前だけって」

 そう——とミュアは答える。

「検査って、何の」

「この前さー、事故ったんだよねー。車がぶつかってさ」

「それ……大丈夫だったの」

「まーね。この通り」

 ミュアは両腕を広げて、全身をユゥカに見せた。

「でもそん時は意識なかったっぽくて、病院に運ばれたの」

「それで検査って……まさかミュア、後遺症とか……」

 違う違うと、ミュアは手を振って否定する。

「そんなんじゃないって。経過観察。念のためだってさ」

 まあもしかしたらってこともあるかもだけどと、ミュアは不安なことを言って笑った。

「なら——良いけど」

「心配しすぎだって。ほら、無傷だし」

「でも……」

 人間関係が希薄なユゥカにとって、ミュアの存在はかなり大きい。心の支えと言っても過言ではない。もしミュアに何かあったら——多分、泣くだけでは済まない。

 不安な気持ちが表情かおに出ていたのだろう。ミュアは、もーと言って、宥めるようにユゥカの肩に腕を回した。

「大丈夫だから。ね?」

 ミュアの体温が胸に伝わり、不安が薄れていく。

「うん……」

「よしっ。じゃあ映画観よう、映画。何か楽しいやつ。二本!」

「……うん」

 ユゥカは不安な気持ちを払拭し、ミュアの提案に乗ることにした。

 今時わざわざ劇場内で映画を観るなんて流行らない。この劇場も、来年には取り壊されるのだと聞いた。

 シアター内の観客はユゥカとミュアだけだった。

 選んだ映画は二本ともコメディ映画。どちらも物語がシュールすぎてユゥカは途中からついていけなかったが、ミュアは終始笑っていた。

 昔——まだ高校生だった頃にも、ユゥカはミュアと二人で授業を抜け出し、何度か映画に行っていた。映画を見て泣いたり笑ったりするミュアを見るのも、ユゥカの楽しみの一つだった。

 この感受性豊かなところも、ミュアの美点の一つだと思う。

 上映が終わり、シアター内が明るくなる。

「いやー、マジで面白かったー」

「そうだね」

「特にキャリーバッグの中に人隠すやつ。あれ無理だって、普通。マジウケる」

 そう言っている合間にも、ミュアはくつくつと喉を鳴らして笑っていた。

 映画館を出て、ユゥカは何ともなしに時刻を確認した。ミュアも、思い出したようにヘルスウォッチを見る。

「げー、もう十三いち時じゃん。ウチそろそろ行かないとだけど、ユゥカはどうする?」

「一緒に帰るよ。って言ってもミュアが降りる駅までだけど」

「そう。じゃあ帰ろー!」

「うん」

 二人で学生時代の話なんかをしながら、駅まで歩く。消音電車に乗ると、あっという間に三級の等級区に着いた。

「じゃあ、また」

「うん。またねー、ユゥカー」

 扉が閉まり、電車が発車する。

 手を振るミュアが車窓から見えなくなると、途端に寂しさが込み上げてきた。早くも、次に会えるのはいつになるだろうと考えている。

 ——今年中には会えると良いな。

 ユゥカは高速で過ぎていく街並みを眺めながら思った。

 けれどもミュアとの再会は、この日から四日後、悲惨な形で果たされることとなる。

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