Day2「親友」

第5話

『ユゥカにはね、お姉ちゃんがいるのよ』

 ユゥカが十歳になった次の日、養母はそう言ってユゥカをある施設へと連れて行った。

 そこは全てが白く、全てが整然とした、何だか不気味な建物だった。

 養母に手を引かれながらリノリウムの床の長い廊下を歩き、職員が開けたドアを潜ると、そこはやはり白一色の狭い部屋だった。

 部屋は透明の壁で仕切られ、向こうの部屋と向かい合わせになっている。

 正面の部屋の様子はこちらと全く同じ。白い機械が置かれた白いパイプ椅子が、二脚ずつ置いてあるだけだ。

 そんなだから一瞬、鏡張りなのだと錯覚してしまった。けれどもその鏡面に自分たちが映っていないということに気付き、そうしてようやくこれは鏡ではないと理解できた。

『どうぞ、ヘッドセットをお着けして、椅子にお掛けしてお待ち下さい』

 ゆったりとした動きの職員に促され、養母が椅子に座る。ユゥカはそれに倣い、隣の椅子に座った。

 養母の見様見真似でヘッドセットを頭に着ける。大人用なのか、やたらと大きくて重い。

 ユゥカがスカートの裾を直していると、向こうの部屋のドアが開いた。

 一人の女児が現れる。

 こちらに——ユゥカに気付き、その子は微笑んだ。ユゥカの正面の椅子に座り、ユゥカと目が合う。

 やたらと白いだなと思った。白い療養着のせいだけではない。そう印象付けられるほどに、肌が白かったのだ。

『この子があたしの妹?』

 女児は興味深げにユゥカを見て言った。

 そうよと、養母が答える。

 二人の声は、耳許の機械から聞こえた。

『この子がユゥカ』

『へえ』

 そう言って女児は、顔を綻ばせる。その顔はユゥカの同級生のどの子よりも可愛らしく見えた。姉妹と言うからには自分もこんな顔なのだと思うと、少し嬉しかった。

 ぱっちりとした二重の目が、ユゥカをじっと捉えている。

 あまりに見つめられるので、ユゥカは恥ずかしさに耐えられず俯いてしまう。

『ユゥカ。この子がユゥカのお姉ちゃん。ルカよ』

『ルカ……』

 ユゥカは顔を上げる。名前を聞いた途端に、ユゥカの中で目の前の子供が、フィクションの登場人物のような認識から、自分と同じの生きた人間なんだという認識へと変わり、ある種の親近感が湧いたのだ。

 そうよと養母は首肯する。

『話はチカさんから聞いてるよ』

 チカとは養母の名前である。

『ユゥカ、良い子なんだってね』

 ユゥカは応えられなかった。自分を良い子だと素直に思えるような性格ではなかったし、何より初対面の人間との交流に免疫がなかったのだ。

『あたしはルカ。よろしくね』

 ルカが手を差し出す。握手をしようということなのだろうが、壁があるので当然そんなことはできない。だからユゥカはおずおずと、ルカと同じように手を差し出し、握手するジェスチャーをした。

 そこから先は——よく覚えていない。

 多分、いつでも来て良いというようなことを言われたのだと思う。

 事実、ユゥカはその後、この場所へ何度も訪れている。だからおそらく、この時にある程度仲良くなって、会話の中でそう言われたのだろう。



 目を開けて、覚醒したことを自覚した。何もないまっさらな天井が見える。

 ——夢。

 遠い。十六年も前の記憶だ。

 だから夢と言うより、記憶の再生と言った方が正確かもしれない。

 祖月輪ルカはユゥカの姉である。苗字が違うのは、他人になった、、、からだ。

 血が繋がっている姉妹。でも他人。複雑なのだ。

 その理由は、ごく稀な事情と、少しばかりイレギュラーな出来事が重なったことにある。

 あの白くて気味の悪い施設——養生施設は、特殊障碍等級が二級以上の者が入れられる決まりになっている。

 等級が判るのは、生後三日以内。ルカは一級と診断された。この等級と診断されるのは、特殊障碍児の中の一パーセントにも満たない。

 そんなルカは、生後間もなくして両親から離され施設で暮らすこととなり、この時点で、両親がルカを育てる権利は剥奪される。

 ここまでは、ごく稀だが制度上起こり得るケースだ。

 その二年後に、ユゥカが生まれた。

 問題はユゥカが三歳になった頃。

 両親が事故で他界したのだ。

 ユゥカは一時期、無保護者児として児童福祉施設に入れられた。

 特殊障碍者から生まれる健能者は皆、特殊支援区域の外へ送られる。特殊障碍者には健能児を育てられない——そう判断されるのだ。そんなだから、普通は親戚なんてものはいない。それはユゥカも同じだった。

 そこにいるのが区域外の両親から見放された子供ばかりだと気付いたのは、そこで暮らして数年後のことだ。

 だがそれは世間を知った今にして思えば当然のことだった。特殊障碍は遺伝しない。ユゥカのような、特殊障碍者から特殊障碍児が生まれる例は少ない。両親がいない子供は、そう珍しいことではないのだ。

 施設に入れられてから五年後に、引き取り手が見つかった。それが今の両親である。

 しかし養親が引き取ることができるのはユゥカだけだ。養生施設にいる人間の親権を得ることはできない。

 つまりユゥカとルカは、生物学上は姉妹でも、記録上では他人ということになる。

 こうして、血の繋がった姉妹が別々の苗字を持つという状況ができあがるのだ。

 養母がルカの存在を知るのは、そう難しいことではなかっただろう。養子を受け入れる手続きをする際にユゥカの経歴からルカを見つけることは容易いだろうし、あるいは児童福祉施設から事情を聞いていたのかもしれない。

 それにしても。

 ——何で……?

 今さら祖月輪ルカのことを考えてしまうのか。

 最近、ルカのことを夢で見る。

 ルカとの記憶は、いつもあの白い部屋の中だ。

 ルカは退屈な日常への不満を。ユゥカは主に学校での出来事を話す。そしてユゥカが学校で習ったことを一つ教えると、ルカはすぐにそれを理解して、つまりこういうことだねと言って、ユゥカよりも先へ行ってしまう。

 そんな夢だ。

 ——いや。

 記憶か。

 ユゥカはベッドから起き上がり、カーテンを開けた。空は白んでいるのに、街には影が差している。いつもの光景である。

 ヘルスウォッチを見る。

 現在の時刻は午前六時十五分。特殊支援区域の外ならば、明るく温かな太陽を拝める時刻だろう。しかし区域内では、ここを囲む壁によって日が遮られてしまうのだ。

 とはいえ、壁の高さは八百余メートル程度。都市からそれなりに離れているから、日常ではほとんど支障はない。

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