第4話
「で」
ユゥカは戦意喪失した男に手錠を掛けてから、ゆるりと顔だけを巨漢に向けた。
「あなたは、どうしますか」
ユゥカの右手は、再びボディアーマーの男の首を掴んでいる。
巨漢の目は、仲間の赤く焼けた首に注がれている。
「う……ぐ」
悩んでいるのだろう。仲間を助けるか、降伏するか。
「これ」
ユゥカは首を抑える手を入れ替え、ホルスターから
「解りますよね。動かないで下さい。抵抗するなら……」
あなたがこうなりますと言って、ユゥカは下の男を見下ろした。
「わ、分かった……」
巨漢は観念したように両手を挙げた。
「分かった……抵抗……しねぇ」
よッ——と叫ぶと同時に、男は突撃を始めた。
ユゥカは咄嗟に引き金を引いたが、手がブレたのか注射筒は男の脇へ逸れていった。
「チッ」
巨漢の右脚が地面を弾んだ。
「オラァ!」
巨漢が蹴り込む。ユゥカのウエストほどもある脚がユゥカの頭に迫る。辛うじてそれを腕で防いだが、衝撃が強く、飛ばされた。そのせいでボディアーマーの男がフリーになる。
「逃げるぞ! 走れ!」
倒れた仲間にそう告げると、巨漢は指を一本、宙へ突き出し、くいと持ち上げた。それと連動するように、道端に転がっていた壊れたカーゴが宙へ浮く。
「しまっ——」
カーゴが飛んで来るのと、ユゥカが危険を察知したのはほぼ同時だった。
ユゥカはそれを躱さずに腕で受ける。そして走りだす。
「くッ……」
痛いなどとは言ってられない。
ユゥカは注射筒を装填しようと腰に手を伸ばすが、止めた。
——走った方が早いか?
カーゴが飛んで来たのと同様、初弾が外れたのもあのデカい男の能力だろう。また外されるかもしれない。
ユゥカはAIGを放り捨てて走りだした。
幸いにも巨漢は足がそれほど速くない。もう一方の男も、手錠で腕が塞がっていて今にも転びそうである。カーゴを躱さずにいたお蔭で、距離もそれほど開いていない。
案の定、ユゥカはすぐに二人を追い抜いた。
「くそ! どけえ!」
行手を阻むユゥカに、巨漢はナイフを突き出す。
「そろそろ」
ユゥカの言葉に巨漢は、ァアッとイントネーションを上げて聞き返した。
「脱いだほうが良いですよ。服」
「何訳の解んねぇこと——ぐあ!」
男の顔が歪んだ。
「な——」
巨漢は自らの体へ顔を向けると、身につけているレザージャケットの端が燃え上がっていた。
追い越す際に、ユゥカが火を着けたのだ。
巨漢は慌てて、燃える服を半ば引きちぎるようにして地面に捨てた。
「お前ぇ!」
息を荒げながら、巨漢はユゥカを睨みつけた。額には血管が浮き出ている。
狙い通りだ。ユゥカの経験上、逆上している人間は動きが大雑把になる傾向にある。
「この
巨漢がナイフを振り上げて突進して来た。
振り下ろされる凶器。ユゥカは半身でそれを躱し、瞬時に巨漢の手首を掴む。そこを支点に回転し、その勢いで顎へ肘打ちを食らわせた。
「ぐあ……!」
怯んだところを、さらに鳩尾へ突きを一撃加えてやる。
「こ、このぉ……」
有効打に見えたが、巨漢は抵抗をやめようとはしなかった。手慣れた所作でナイフを逆手に持ち替えると、再びナイフをユゥカへ振り下ろした。
左胸から右の脇腹へ——そういう角度である。
刃がユゥカに及ぶ寸でのところで、ユゥカは巨漢の手を受け止めた。
「く……」
さっきの攻撃のダメージが残っているはずだというのに、巨漢の力はユゥカの想定を上回っていた。徐々に刃先が胸に近付く。
このままでは力負けしてしまう。
ユゥカがそう考えていると、巨漢は僅かに口角を上げた。
——何を笑って……?
すると巨漢は空いている左手を、何かを引き寄せるように、横から振り抜いた。
巨漢の目線を辿ると、その挙動の意味がすぐに理解できた。
壊れたカーゴ。それがユゥカ目掛けて飛んで来くる。巨漢の狙いはこれだったのだ。
この時、ユゥカの頭に浮かんだのは——しまった、ではなかった。
——今!
ユゥカは瞬時に、腰のホルスターからAIGの注射筒を手に引き寄せ、その針先を巨漢の太い首に押し付けた。
「動かないで下さい」
飛んで来たカーゴは、ユゥカにぶつかる寸前で、ぴたりと宙で停止した。
「お前……能力は発火じゃなかった……のか……?」
巨漢は注射針の行方を気にしながら言った。
「あなたには関係ないことです」
少しでも抵抗すれば刺しますと、ユゥカは忠告を加えておく。アーミーナイフと浮いていたカーゴが、がらりと音を立てて落下した。
それからユゥカはポケットからピルケースを取り出す。
「服んで下さい」
「く……」
巨漢は薬を拒絶するように、口を頑なに閉める。
「早く。それとも、刺した方が良いですか」
かなり痛いらしいですよと脅して、ユゥカは針をさらに押し付けた。
すると、ようやく巨漢はAピルを受け取り、口に入れた。
「クソッタレ……」
それだけ言って、巨漢は崩れるように膝をついた。ボディアーマーの男も、その場で立ち尽くしている。
「終わりました」
太い腕に手錠を掛けながら、ユゥカはインカムで哲人に任務終了を伝えた。
「身柄を拘束しろ!」
誰かの号令で、緑の制服を着た局員たちが、一斉に指定違法者の二人を捕らえた。瞬く間に、ニューアルミ合金の拘束具が悪徒らの体に巻き付けられる。
それを尻目にユゥカはAIGを拾い、哲人の許へと戻った。
「ご苦労」
「はい」
「まだまだ危なっかしいな。敵二人くらい無傷で無力化できるようにしろ」
そう言って哲人はユゥカの手の甲と前腕部を指差した。手の甲の引っ掻き傷と火傷はともかく、腕の方も見抜かれているらしい。
「そんなの——」
「無理じゃない。他はやっている」
それから、と哲人は続ける。
「次からはAピルを服む時は俺に言え」
「……はい」
そんなやりとりを他所に、現金の強奪犯たちが護送車へ押し込まれていく。
「クソッタレ! いつかぶっ殺してやる!」
背中を押されながら巨漢が叫んだ。
他にも罵倒が続いたが、護送車に入れられ扉が閉じると、声はぴたりと聞こえなくなった。
「異能者どもが」
哲人は、ユゥカの嫌いな呼び方で悪徒を罵った。
通常の身体機能を持つ者を健能者と呼び、異常な身体機能——異能力を具える者を異能者と呼ぶ。
ユゥカの嫌いな呼称である。
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