第3話

「失礼」

 哲人はIDが表示された端末を局員の一人に見せて、バリケードの中へと入った。ユゥカもそれに続く。

 すると中肉中背の、これといって特徴のない男の局員が、哲人のもとへ足早に寄ってきた。

「桜庭さんでしょうか」

「はい」

「先程連絡を受けていた鈴木です。ご進言ありがとうございました」

 そう言って鈴木某は敬礼の所作をした。セリフからして、移動中に哲人が指示を送っていた人なのだろうと、ユゥカは推察する。

「指示通り追い詰めることができました。現在は刺激しないよう抑えていますが……」

 鈴木がそう説明する間にも、背後から物騒な怒鳴り声が響く。

 時間の問題でしょうと、哲人は鈴木の代わりに結句を言った。

「そちらの見立て通り、あれはリストに載っている指定違法者で間違いありません。あれは我々に任せて下さい。そちらはいつも通り民間人の保護をお願いします」

「分かりました」

 鈴木が離れると、哲人は懐からピルケースを取り出し、それをユゥカへ差し出した。

「何ですか、これ」

 薬だと哲人は答える。

「やはり服んだ方が良いだろう。今服めば一時的にAピルの効果が薄まるはずだ」

「そんなのが」

 ——あるのか。

 ユゥカはケースに視線を遣る。ユゥカの持つ一般的なピルケースと同じような材質である。違うのは、ユゥカの物は白いということだ。哲人のこれは、黒い。

 哲人に拾われ、特殊支援者管理厚生局の機動局員を務めてから一年になるが、こんな物が存在することは知らされていなかった。少なくとも、一般に処方される薬ではないだろう。そもそも、Aピルの効果を薄める薬なんて、本来あってはならないはずだ。

「相手は二人だ。障碍等級はどちらも五級。いけるな?」

「とりあえず、服めば良いんですね」

 ユゥカが手を出すと、哲人はケースから白い錠剤をユゥカの手に二錠落とした。ユゥカはそれを迷わずに口に放る。Aピルと同じように、瞬く間に舌の先で溶解した。

 すると、

「……ッ」

 突然、ずっと聞こえていた耳鳴りがさらに周波数を上げた。

「桜庭さん……これ……」

 Aピルと併用すると副作用が強くなる——哲人は淡々と事後説明をした。

「行け」

「……分かりました」

 ユゥカはこめかみを叩きながら局員の包囲網を越えて、指定違法者の二人と対峙した。

「何だお前! ぶっ殺されたくなきゃ——」

 おい待て——と、ボディアーマーの男が巨漢を制した。

「あの腕章……! あいつ、特殊障碍者管理厚生局トッコウじゃねぇか!?」

 その指摘を聞いた途端、巨漢はウッと怯んだ。

「お、おいっ、俺らはまだ能力ちから使ってねぇぞ!」

 だからお前らが来るほどのことじゃねぇッ、と巨漢は戸惑いながら、やたらと大きなアーミーナイフを左右に振った。

「別に」

 言いながらユゥカはさらに距離を詰める。

「あなたたちが能力を使っていなくても、ウォッチを着けていない特殊障碍者がいるというだけで、私たちは動きますよ」

 知らないんですかと、ユゥカは挑発するように首を傾げる。

「クソッ聞いてねぇぞ!」

 あの野郎ッと、巨漢は背後の壁を殴りつけた。

「なので、あなたたちを今から——確保します」

「おいおいおいおい! 俺たちゃ金が欲しいだけなんだ! 暴れるつもりなんてなかったんだよ! けどよぉ、そんなに近づかれると……」

 使っちまうぜぇッ——そう声を荒げて、ボディアーマーの男は右手を大きく振りかぶった。

 ——来る……!

 ぼうと音を立てて、振られた男の手から眩い炎が放射された。

 ユゥカは炎が至るぎりぎりで右に跳躍してそれを躱す。熱せられた空気と火の粉が残る中、ユゥカは構わず地面を蹴った。

「このッ」

 ユゥカが間合いを詰めると、痩せた男は、今度は両腕を大きく広げた。その手が赤く燃え上がる。

 腕が振り抜かれると、先ほどよりも大きな火炎の幕が生じた。

 視界に広がる炎の様子が、ユゥカの目にはゆっくりとした映像として見えた。姿勢を低く保ち、炎の及んでいない地面すれすれを走り抜ける。

 炎の揺らぎの隙間に、男の首が見えた。ユゥカはすかさず、そこに右手を突っ込む。

「ぐあっ」

 短い呻き声が上がった。ユゥカの手が敵の首を正確に捉えたのだ。ユゥカは右足を男の踵に引っ掛けて体勢を崩させ、その勢いのまま押し倒した。

「うぐっ……この!」

 地面に叩き付けられた男は立ち上がろうと足掻くが、上に乗ったユゥカに重心を押さえつけられていて動けない。右腕もユゥカが右足で封じている。

 逃れようともがく左手が、ユゥカの手の甲を引っ掻いた。

「コノヤロ!」

 抵抗する男の左手が発火したのを見て、ユゥカは首を掴んだ指の先から小さな火を生じさせた。

「ぐあッ……あづ——熱ぃい!」

 首を押さえられた男が、驚きと怯えの混ざった視線をユゥカに向ける。

「て、テメェも……俺と、同じ……!」

 哲人の情報によれば、この男は特殊障碍等級で言うところの、第五級に当たる障碍を持っている。

 身体の一部の発火——それがこの男の特殊障碍である。この男の場合、前腕部から指先にかけてのみでの発火、および同部位の熱への耐性が見られる。

 逆を言えば、発火部位以外は常人とほぼ同じであるため、こうした首への火熱攻撃は有効なのだ。

「あなたも……」

 ユゥカは眼下で苦しむ男を無視して、立ち尽くす巨漢の方へと視軸を滑らせた。

「このまま大人しく確保されて……くれませんか」

「ふ」

 ふざけんじゃねぇと巨漢は叫ぶ。

「捕まってたまるかッ!」

「そう。なら……」

 燃やします——そう言ってユゥカは火力を上げた。とろとろとした火が、汗で湿った首の皮膚を焼いていく。

「ガ——ああぁぁぁぁああ! あづ、熱い! やめろ! 逃げねえ! も、もう抵抗もしねぇ……! おい! 逃げんな……!」

 頼む——男は苦痛に顔を歪めながら、仲間へ懇願した。

 その隙にユゥカは左手でピルケースを取り出し、薬を二錠だけ男の口に放って口を押さえつけた。

「んぐ! へめ——こぇ……!」

 何を口に入れられたかを理解した男の目から、抵抗の意思が消えていく。同時に、うッと顔を顰める。

 おそらく副作用の耳鳴りが始まったのだろう。彼らのような指定違法者は、Aピルを服まない。そのせいで副作用に慣れていないのだ。

 一先ずこれで、しばらくこの男は能力が使えない。

 抵抗する術を失った男は、耳鳴りにうなされながら、小さくクソと連呼した。

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