第9話
「甘い」
陛下からの一言目がそれだった。帝王学とやらを学びに入れるようになったキルレインドナは、あの日より多忙の日々を送っていた。礼儀作法は多少修正をかける程度ではあったが、学びの面に対してはまだまだソフィア王女の学力に届かない。
「時には犠牲をかけるのも必要だ。この場合私ならレルハー領域より穀物をぎりぎりまで摂取し、巡回を試みる。その代わりレルハー領域へは支給金を渡す」
「…………」
直々の学びに、キルレインドナは何も言わずただただ陛下の言葉を飲み込んでいった。もとより頭の回転が速いキルレインドナだ。予定より確実に、早く学んでいく。はっきりとダメ出しをされるが。
「税を上げるという事ですか?」
「それは先を見て考える。今回は臨時的対応だ。今後同じような初期現象が起これば視野に入れる。突然税を上げては国民からの非難が多くなるだろう」
「という事は、国の貯金から?」
「そういう事だ。そもそもその臨時的対応というものが発生しないことに越したことはないがな。そのための経理だ」
質問し、応えてもらい、話し合う。学び舎でもあるが、互いの意見を交換する場でもあるこの時間はとても貴重だった。陛下はキルレインドナがいかに国の事を考えられるか測れるし、キルレインドナは陛下の深さを学べる。
そうしている間に、休憩時間です、と陛下の近衛兵から声がかかる。
「もうそんな時間ですか」
「恐れながら、キルレインドナ様は呑み込みがお早いです。口外していいものといけないものも判断出来ております。あまり焦る必要はないかと。そして国王陛下に至っては気を急ぎすぎです。あまり根をお詰めにならぬよう」
「む……つい楽しくてな」
「楽しくてやっているのですか?」
「お前が呑み込みが早いのが悪い」
休憩時間というのは、もう陛下との学びの時間が終わることを示す。元来多忙な中で自分の為でもあると言って無理やりキルレインドナの教育を言い出したのだ。時間はあまり取れない。が、近衛兵と陛下が言うように、キルレインドナの吸収率は早い。もとよりそういう体質なのかもしれない。
「僕に至っては面白半分で学んでいるつもりはないのですが」
「私もだ。お前の成長が楽しいという意味だ」
「どちらもでしょう?」
「言うようになったな?」
「家族ですから」
にっこり笑顔で応えれば、陛下も笑みを浮かべる。こんな軽い会話も交わせるようになり、キルレインドナもこの時間をとても楽しみにしていた。
「では僕はこれで」
「ああ、少し待てレイン」
立ち上がり、筆記用具を片付け始めたキルレインドナに陛下から声がかかる。首を傾げれば陛下は防音結界を張ってほしいと頼まれた。
何か話があるのか。気を引き締めて、結界を張る。そうして座るように促され、それに従った。
「レイン」
「はい」
「今の会話は良いきっかけだ。今後の事を話そう」
「……はい」
今後のこととは、国民へいつキルレインドナが王家へと入るかを知らせるもののことだろう。それを察し、近衛兵は各々陛下、キルレインドナ、そして廊下へと視線を向ける。
「お前、今自分がどれだけ学べたか分かるか?」
「……正直、それに関しては。ただ、順調だという事は自負しているつもりです」
「……微妙なところだが及第点だな。正直に言う。お前はもう王家へ入っても問題ない」
「え」
「あとは王家へと入り徐々に軌道修正を重ねる程度だ」
その言葉に、キルレインドナは驚き周りを見渡す。すると近衛兵たちは頷き返してくる。つまり彼らも陛下と同意見という事だ。
「……しかし、学び始めてからまだ三か月です」
「だから楽しいと言ったであろう」
「えっ、本気だったんですか」
冗談交じりだと思っていたキルレインドナは思わず声に出す。しまった、と思ったが陛下はそれの返事も楽しそうに笑みへと変えた。
「お前の誕生日は何時だ?」
「…………来月ですが……あの、まさか」
「そのまさかだ。お前が十五になると同時に発表をする」
今度こそキルレインドナは何も言えなくなった。まさか、そこまで進んでいるとは思いもしなかったのだ。
「早くありませんか?」
「レイン、ソフィアが今いくつだと思っている」
「あ」
指摘され、成程それも関係しているのかと納得する。ソフィアはキルレインドナとは三つ離れており、他国からも婚姻を求める声が最も上がる年齢でもあった。
「お前の吸収力なら問題はないと私は判断した。後はお前の気持ちだけだ」
「……その言い方は狡いです」
言いながらキルレインドナは一度視野を閉じる。そうして、ゆっくりと開けると改めて陛下を見つめなおした。
陛下は御年四十三。もうそろそろ現役を辞する年齢へとかかっている。王妃は三十七。彼女もまた、後任が欲しい頃だ。これで自分が出来る事と言えば。
「……正直、嬉しく思います。ただ、矢張り不安はあります。政治に関しては陛下の他にも詳しく信頼のおける者がおりますが……その……ソフィア王女をそのように認識できるかどうかとか……」
後半になるにつれ声が小さくなるキルレインドナ。その様子に、陛下は思わず声を上げて笑った。
「お前、そんな事を考えて居たのか!」
「だって!今まで姉上のように慕っていたんですよ!?それを恋慕にするとなると……」
「恋慕でなくて良いのだよ、レイン。夫婦というものはそういうものだ。時がくれば自然とそうなる」
言われキルレインドナは瞬きを繰り返す。時がくれば?
「……えぇと……」
「私とエリザベートだって最初は今のような仲ではなかった。策略結婚でもあったからな。寧ろ殺伐としていてお互い意思疎通など取り合おうなどともしなかったぞ」
「えっ!?」
そんな風には見えなかった。今では頻繁に互いに連絡を取りあい、病に臥せっていた時などどんなに多忙でも毎晩勤務を終えると会いに行っていたという。そんな二人が殺伐としていただなんて、思いもよらなかった。
「とあることがきっかけでな。互いに愚痴を吐いたのだよ。怒鳴り合いだったな」
「怒鳴り合い!?」
「そうだ。お互い鬱憤がたまっておってな。寝室が共にあるのは仕方がなかったから、自然とお互いの顔を見合っていた。そうして大騒ぎした後、互いに考えて居る事や思っていることが同じと察してな。二人して笑い転げたものだ」
当時を思い出しているのか、微苦笑を浮かべながらも懐かしむ瞳に吸い込まれた。そんな瞳があるとは、想像もしなかった。
「…………」
「今では鴛鴦夫婦などと呼ばれているがな」
「…………相性が良かったのですね」
「お前とソフィアもその枠だと考えて居る」
「なれますかね?」
「なれるさ。お前たちは、互いに親しみあっているのだから」
それだけ言い合うと、もう一度お互い笑顔を浮かべる。双方満足がいく話ではあった。
「……分かりました。謹んで、お受けいたします」
「段取りを決めよう。今後はこの時間をそれに充てる」
「はい。宜しくお願いします」
こうして、とうとうキルレインドナの王族入りを全国民に向けて発するという案は一歩踏み出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あ、そうだ」
執務室に帰ってきて仕事をやっている最中、オルタンスが紅茶を用意しようとし、エワンダとオリヴァーが書類を整理している中でキルレインドナは三人に声をかけた。
「僕、一か月後に即位することになったから」
ガシャーンとティーカップが割れる音が響いた。時は陛下とあってから優に五時間は経った後。帰ってくるなり書類の多さに驚きすっかり報告を後にしてしまっていた。
「…………レイン様?」
「それは……その……」
「ええと……今日の話しですか?」
「うん」
オルタンスからは静かな怒り、オリヴァーとエワンダからは動揺が伺えて個性が出るなぁなどと思いつつキルレインドナは羽ペンをくるくる回す。
あらかた書類が落ち着いてきたからこその発言だったのだが、タイミングを誤ってしまった。それは仕方ないが、思い出した時に口に出さねば。報連相は大事だ。
「レイン様、あれ程重要事項ほど慎重かつ迅速にとご指導いたしましたのにそれですか」
目を据わらせながらオルタンスが言えば、キルレインドナはだってと口をとがらせる。
「書類が山だったんだもの」
「そういう事ではありません!しかも今結界張りませんでしたね!?」
「いずれ知られる事だからねー。陛下の事だから明日辺りには全国民が知る事じゃない?」
「早いですね!?」
「僕の誕生日に合わせるらしいから」
オルタンスから苦情の嵐だ。しかし誕生日の事を話せばぴたりとやむ。
「……御年十五でしたか」
「そうだよ。早いよね~僕がここに来てからも五年だよ」
しみじみとした空気になる中、今度はエワンダとオリヴァーが声を震わせた。
「……え、ちょ、待ってください」
「そういえば……えっキルレインドナ様、生誕はいつで……?」
「?来月だけど?」
それを聞いた瞬間、二人は愕然とした表情を浮かべた。オルタンスがいち早く気付き、同情を瞳に乗せる。キルレインドナの事だから、今まで誕生日を教えて居なかったのだろう。
「……道理で毎年二十五日に王族と食事を共に……」
「坊ちゃん、頼むからそういう日は俺たちにも教えてください」
「…………ああ。そういえば」
オルタンスの考えは正解だった。キルレインドナもそこに来て漸く気付く。
「ごめんね、そういう意味では本当に無知だったから」
「ロットワンド家はそういう行事は行いませんでしたからね。今のレイン様ならお判りでしょう?」
「そうだね、出会ってくれてありがとうって口に出して言える」
微笑を浮かべながら二人が受け答えし、それを見せられてはエワンダ達も何も言えなくなる。
「……今年からは個人的にお祝いさせてください」
「私からもです」
「うん、ありがとう。で?三人の誕生日は何時?」
「エルの十七日です」
「ルンの八日です」
「レイラの二十日となります」
順にエワンダ、オリヴァー、オルタンスだ。瞬時に記憶にとどめ、キルレインドナは満面の笑みを浮かべる。
「これで楽しみがまた一つ増えた!」
「それはこっちの台詞でもありますよ」
「坊ちゃん、恐らく来月からはより忙しくなります。良ければ今夜だけでも俺たちと食事を一緒にしませんか?」
「それは名案ですね」
「いいの!?食べる食べる!」
幸せだ。素直にそう思えた。
それが、崩れるなんて微塵も思わずに。
事が起こったのは、その食事の最中だった。
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