第3話




「あれは何ですか?」

「あれは屋台というものですね。代金を貰う代わりに飲食を提供しているのです」

「あれは?」

「あれは防具屋です。この国は軍事国家という事もあり、武器屋と防具屋は豊富にございますよ」

「坊ちゃん、あれなんかどうだ?魔術具店だ」

「まじゅつぐてん?」

「魔術に使う際に使うロッドや宝石がございますよね。あれを加工して事前に魔術を封印したりして急な攻撃に備えるものですよ」

「興味があります」

「じゃあ入るのは決まりだな!今すぐ行きますか?」

「はい!」


会話が弾み、呼吸も上がる。その様子は子供そのもので、エワンダとオリヴァーは笑みを止める事が出来なかった。矢張り自身が魔法使いという事もあるのだろう、魔法系のものには目が無いようだった。それを脳内でメモをとり、オリヴァーは今後は共に実践演習などもしてみたいと考える。


「失礼します」

「失礼します」

「こんにちはー」


各々挨拶しながら魔術具店へと赴く。奥のカウンターから店主らしき初老の男性がやってきた。


「あ」

「え?」

「ん?」


その時発せられたのは、以外にもキルレインドナからだった。

その声にエワンダと初老の老人も反応し、キルレインドナへと視線を流す。

瞬間、キルレインドナは慌ててオリヴァーの後ろへと回り、ちらりと老人をのぞき見した。


「……まさか……キルレインドナ様…………?」

「…………流石ですね、オルタンス」


老人の声に諦めたのか、隠れるのを辞めたキルレインドナはそっと姿を横へとずらす。そして一つ瞬きをすると、子供のような表情をやめて『キルレインドナ』の表情へと変えた。その瞳も同じく、以前のようなものへと変わっていた。


「久方ぶりです。どれ位ぶりでしょうか」

「おお……おおおおおお……!」


キルレインドナの声に反応した老人は倒れる勢いでキルレインドナたちへと近づき、片膝をついて頭を垂れた。


「ご無事だとは聞き存じておりましたが……よくぞ、よくぞご無事で……!」

「大袈裟です。確かに我が一族は私一人となりましたが、逆を言えば私がいるのです。必ずロットワンド家を建て直してみせます」


涙ながらに話す老人と、キルレインドナの様子に漸く二人も気が付いた。顔見知りだったのだ。しまった、とエワンダは小さく舌打ちし、オリヴァーも眉間に一瞬しわを寄せる。まさか『キルレインドナ』でない少年を活かせたいと思った城下町で、『キルレインドナ』に戻る事が起ころうとは。


「偉大なるお言葉にオルタンス、感銘を受けます。ですが、キルレインドナ様、もうご無理をなさらなくてよろしいのです」

「どういう意味でしょうか?詳細の説明を」


自身の失態と突如としての会話に眉間にしわを寄せたまま、エワンダとオリヴァーはその様子を見守る。これで何か『キルレインドナ』に戻るようなことを言えば、この者は所謂ブラックリストの記帳へと加わるだろう。

因みにロットワンド家を良く思っていない貴族たちの情報は既に得ているため、これで加わるのは初めてではない。

そうして見守る中、老人はすぅ、と息を吸い込んだ。


「恐れ多くもわたくしはロットワンド家の家訓について疑念を抱いておりました。失言を承知で申し上げますが、それがこの結末です。そしてキルレインドナ様の事を本当の孫かと思うように接してきてまいりました。もう貴方様を縛るものは何もないのです。どうぞ、この老いぼれに少しでも心を開いてくださっているのであれば、何卒この首だけで、失言と共に、ご自身のなされたいようにお過ごし願います事を申し上げます」

「「…………零点」」


キルレインドナと、オルタンスと呼ばれた老人のやり取りを見てエワンダとオリヴァーは口をそろえた。何だよコノヤロウという気持ちでいっぱいだった。何だと二人が見つめてみれば、見下したような、見下げるような瞳をして護衛二人組はそこに佇んでいた。


「「え?」」


今度はキルレインドナたちが声を上げる。その途端、怒涛のように言葉が飛び交ってきた。


「まったく何をお考えなのか。先ほどのキルレインドナ様のご様子をお伺いになられなかったのか」

「そもそも坊ちゃんはそんなことで納得なんかしねぇよ。お前さんの首を貰っても迷惑だ、迷惑」

「先ほどの会話からキルレインドナ様が心優しき方だと貴方も存じ上げていると判断しますが、そんな方が逆に貴方の首を欲しがると思うのですか」

「大体お前さん自身もキルレインドナ様の事を案じている側じゃねぇか。んだよ心配して損した」

「まったくです。一瞬殺気を出しかけてとどめた私たちを褒めてほしいですね」

「……ええと……エワンダ、オリヴァー、よくできました……?」

「「有難うございますキルレインドナ様」」


これはどうすればよいのか分からず、取り敢えず褒めてほしいと言われたので褒めてみたら二人して満面の笑みでキルレインドナを見つめた。そんな反応にどうすればいいか分からず、キルレインドナは戸惑いの瞳を映す。

その様子を見て、今度はオルタンスが大きく目を開いた。


「……きる、れいんどな、さま……」

「…………オルタンス。私は……僕はもう現実を受け入れているつもりです。再建をと言いましたが、陛下には滅びを告げ、そして迷いが生じています。僕は城で……この二人に出会って、漸く世界というものが見えてきた気がするんです。それは僕にとって良い事なのか悪い事なのかはわかりません。ですが、少なくともロットワンド家は『狭すぎた』。そう考えて居ます。そもそもおかしいですよね、国王陛下でもないのにその同等の権力を持つ貴族だなんて」


キルレインドナのその言葉に、そして優しく変わる瞳に、オルタンスはボロボロと涙を流し始めた。彼の記憶の中では、肯定しかしない人形のような幼い少年しかいなかったのだ。それが、瞳に光りがともり、そして自身の事を『僕』と呼ぶようになった。


「キルレインドナ様……本当に、本当に申し訳ございませんでした……!」

「何を言うんですか。貴方はタイミングが悪かっただけです。決して、貴方のせいではないですよ」


そこまで聞いて、二人の関係が気になってきた。エワンダとオリヴァーは視線を交わすと、そっとキルレインドナを見つめる。


「……恐れ入ります、キルレインドナ様。彼は一体……」

「ああ、そうか。お二人は初見ですから、存知ないのは当然ですね。紹介します」


そういうとキルレインドナはオルタンスの前へと進み、振り返り見上げる。その姿はキルレインドナのものでもあり、ロットワンド家当主のものでもあった。


「彼はオルタンス・ガパルナ。名前は女性ですが、見た目通りれっきとした男性です。そして、僕の家に仕えていた執事です。例の事件の三か月前、実家の家の不幸を理由にロットワンド家を立ち去りました。基本的にロットワンド家は外の者を受け入れたり出したりはしないのですが、特例があります。それが彼のように優秀な魔術、法術に長けた者です。……この店が彼の実家だったとは、僕も本当に世間知らずでしたね」


その話を聞いて、エワンダ達は驚きオルタンスを見つめる。オルタンスは崩れ落ちるようにしてキルレインドナの後ろに、同じ体制だがより首を深く下げて涙をこぼしている。


「そんなことはございません!本当に……本当に、ご無事で良かった……!」

「オルタンスさん……心配をかけました。でも、想像以上に僕の事を思ってくれていたんですね。それだけで僕は幸せです。ほら、己を『僕』って表現してもいいんだって教えてくれたのは、貴方じゃないですか」


それを聞いてエワンダとオリヴァーはさらに驚いた。確かに最初は『私』だったが、時期に『僕』という風に二人の前ではいうようになっていた。だがまさかそれすら『縛られていた』ものであり、それを教えたのが目前の初老人だとは思わなかった。


「泣かないでください。……エワンダ、オリヴァー、ごめんなさい。少しこの店に長く滞在してもいいでしょうか?」

「「もちろんでございます」」

「ありがとうございます」

「……あの、キルレインドナ様……失礼いたしますが、何故ここに」


三人の会話を聞いて漸く気が付いたのか、オルタンスは目を瞬かせて涙を切り、ハンカチで目元をぬぐってからキルレインドナを見つめなおした。


「実は僕、初めて城下町に出たんですよ」

「……え?」

「有給消化、という処ですね」

「……え?」

「んで、坊ちゃんが来たことないって言うからじゃあ三人で城下町をみようぜってなってここにいる」

「は?」

「遅くなりました。私はオリヴァー・ケケル。魔法近衛兵第四席の者です」

「は!?ケケル様!?」

「俺はエワンダ・オルガー。俺の方は近衛兵第三席な」

「オルガー様!?」


有名人三人が目前にいる現状に、オルタンスは思わず叫ぶのだった。



「成程。そのようなご事情でこちらにお顔を向けて下さったのですね」

「僕だって魔法使いです。このようなお店があるとも知らずに過ごしていたなんて、勿体ない事をしていたのですね」


事情を説明すればオルタンスは嬉しそうに微笑みながらキルレインドナを見つめる。キルレインドナももう取り繕いはせず、自然体でお茶を飲みながら会話を楽しんでいるようだった。


「でも今回の外出でお気づきになられたでしょう」

「今後も出かければいいだろう、なあ坊ちゃん?」

「そうですね、お二人の言う通り、可能な限りここへ来たいです」


エワンダとオリヴァーも先ほどのような態度はとらず、優雅な時間が過ごしていた。どうやら今回はこの魔法具店ですべて終わりそうだった。

それもまた良いだろう。何度も城下町へと足を向ければ良いのだから。


「……お二方は」


そこまで来て、オルタンスはカチリと紅茶を置きエワンダとオリヴァーを見つめた。その眼差しは真剣そのもので、何事かと皆が見つめる。


「失礼ながら、お二方の名前はこんな老いぼれでも得ています。どのような人柄であるか、どのような趣向をお持ちか。しかしそれはあくまで『情報』としてだった……この奇跡的席を設けさせて頂き、漸く私も納得がいきました」


二人も自分たちが有名人なのは自覚している。その為、今日は多少髪型を変えたり服装をいつもとは違う形のものを選んだりとして工夫している。だがそのような話ではないのは分かり切っている。自分たちが、恐らくこの老人に試されていたと。そして、その答えが出たのだと。


「お二方とも、キルレインドナ様に『変装の魔術』をお頼みしてみて下さい」

「え」

「は」

「……返送?」

「いいえ、キルレインドナ様。お考えの魔法は私の言っているものとは異なりますよ。変装、つまり変化の術です」

「……ああ、成程。今後は外見を変えれば良いという事ですね」

「そうでございます。キルレインドナ様の魔術の特訓にもなりましょう。何が起こっても変化の術を解除させないという特訓です」

「了解しました。今後行います。二人とも、良いですか?」


トントン拍子に会話が進み、当の本人たちは少し追い付けなかった。キルレインドナに顔を向けられてから、二人は漸く反応した。


「待ってください、それでは魔力を使い続けるということで、キルレインドナ様にもご負担が」

「そりゃ便利そうだが……それは気が引けるな」

「何を仰っているのですか。彼は『キルレインドナ』様なのですよ?」


それを口にした途端、オルタンスの口調がぴしゃりとしたものへと変わった。雰囲気も変貌し、思わず反射的に身構えたいのを我慢する。


「あなた方は『キルレインドナ』がどのようなものか、まだ良く分かっていらっしゃらないのですね。逆にキルレインドナ様は魔法を使わせないと体調を悪くします」

「「えっ」」

「…………あれ、言っていませんでしたか?」


それにきょとりと反応したのはキルレインドナだった。


「「キルレインドナ様!?」」

「そこまで大袈裟にしなくても大丈夫ですよ。適度に魔法を放っていたので、二人が知らないのも無理はなかったかもしれませんね」

「キルレインドナ様の魔力、法力は共にこの国どころかこのアラン大陸を荒野に出来るでしょう。逆に荒野を豊かな森にすることも可能です。そのような力をこの小さな身体で背負われていらっしゃるのです。放出しないと力が体内で溜まり、そのままでは命の危険も」

「「キルレインドナ様!!」」


今度は確認の為ではなく、叱る為に声を荒げた。

そんな重要な事、気付かなかった自分たちも自分たちだが、そこまでだとは誰が考えようか。


「何故もっと早く仰って下さらなかったのですか!?」

「明日からでも実演訓練の指導に入ってください、お願いします!気付けなかった事は謝罪いたします、不敬による罰も受理いたします、ですからそのような事は……!」


想像以上に荒ぶる二人を見て少年は若干慌て、老人はその様子を見て静かに紅茶を啜った。


「待って下さい、二人とも。僕はいつ何時狙われるか分からない、だから小さな魔法探知を発動させていました。法術は食事に放っていましたし、それでも足りない時は飾られた花を蘇生させたり逆に枯らしたりと行いバランスを取っていました。だから」

「恐れながらキルレインドナ様、それだけではもってあと二か月と言う処です。早急に解決された方がよろしいかと」

「オルタンス、余計な事は……」

「余計な事ではございません。キルレインドナ様、傷心の処を申し訳ございませんが思い出してくださいませ。貴方様はあの家で、どれだけの魔法の訓練をなされていたのか。今この場で申し上げていただけますか?」


言われキルレインドナはぐっとつまり、一つひとつ、ぽつりぽつりとつぶやき始めた。その技の強さを耳にして、オリヴァーはふらりと与えられていた椅子から崩れ落ちそうになる。隣に居るエワンダなども、聞いたことがある強大な魔法の数々に顔を引きつらせていた。


「あとは……そうですね、浄化結界もこの国全体ぐらいは行えます。それと古代魔術の『ヴァデ・レヴェルテレ、」

「『ヴァデ・レヴェルテレ・イン・テンポーレ』ですか!?あんな魔法まで!?」

「た、対象はそこまで大きくないですよ?」

「行えるだけで素晴らしいのですから、キルレインドナ様はもっとご自身の事をお話してください!私いま感激していますよ!?」

「そ、そのようですね……」


キルレインドナの言葉を遮り、立ち上がり叫んだオリヴァーを横目に話が唯一ついていけてないエワンダはオルタンスに声をかける。


「どういう術だ?」

「時間を戻す術でございます。対象はそれぞれですが、枯れた花を芽吹く前の種へと戻したりするといえば伝わりやすいでしょうか」

「うえ、そんなものまで存在するのかよ……」

「まあ、古代魔法でもありますし、今はアラン大陸全体で禁止されております。……ロットワンド家以外は」

「……ふぅん?」


その言葉は、暗にキルレインドナの……否、この場合はロットワンドだろうか……それの様々な危険性を伝えていた。





「宜しければまたご来店くださいませ、レイン様、エワンダ様、オリヴァー様」


そうやって恭しくお辞儀をしたオルタンスに挨拶の言葉を交わし、三人が店外へ出た頃には城に戻らなければならない時間帯だった。馬車を待たせてしまっており、キルレインドナはそれを少々気にしているようだった。


「大丈夫ですよ。多少時間にルーズになるのは今のレイン様には必要なのですから」

「そう……ですか?」

「そうそう」

「エワンダ、お前は駄目だからな」

「今それをここで言うかお前!?」


そんな言葉を交わしながら出店していくその後ろ姿を見て、オルタンスは瞳に影を落とした。恐らく、このままではこの国は内戦が行われてしまうであろう。

王族側と、ロットワンド家側と。

そうなれば自分はロットワンド家へとつくのも見える。が、しかし、今のキルレインドナがそれを望むものなのか。それを考えると眼がしらに水がたまる。

そんなものは、彼は望んでいないはずだ。何も知らぬ子供を道具のように操るこの国家は、終わっている。


「…………」


どうか、彼らに幸先を。

そう思う事しか、オルタンスは出来なかった。





「とても楽しめました……」


馬車に揺られながらキルレインドナはほうと溜息を吐いた。恐らく疲れたのであろうその様子に、エワンダとオリヴァーは笑みを返す。


「そうでしょうとも」

「旧知の仲の人間にも出会えたんだ。良かったですね、坊ちゃん」

「はい。ありがとうございました……」


そこまで言うと、キルレインドナの瞳がうつらうつらと揺れる。その様子にエワンダはキルレインドナの頭を撫でた後、無理やり己の膝の上へとキルレインドナの頭を寄せた。


「わ」

「坊ちゃん、膝枕って知ってます?こんな風に、他の人の足を枕にして一休みする事なんですよ」

「王宮に戻るまではまだ少しかかります。暫しお休みくださいませ」

「……え、でも」

「もう限界に近いでしょう?初めての街は楽しかったですか?」

「…………はい」


こっくりと頷いた少年に、今度はキルレインドナへ向けて満面の笑みを向けた。


「では、少々お休みください」

「……はい、では…………おことば、………えあす………」


オリヴァーの低く優しい声に安堵を覚えたのか、はたまたエワンダの膝のぬくもりに安堵したのか。そのどちらもか。キルレインドナは矢張り疲れていたらしく、直ぐに眠りへと落ちて行った。

その寝顔を確認した後、二人はすぐに真顔へと変貌する。


「どうでした?」

「吃驚どころの話しじゃないぜ。これだ」


そう言ってエワンダが取り出した小さなメモをオリヴァーは受け取り、夕日の陰に当てられながらもその内容を読んでいく。


「………これは……」

「暗に言っていただろう、情報屋もやっているって。情報を違えちゃあ情報屋はやっていけねぇ。あの爺さん、タダ者じゃないと思っていたがそれを超えてきやがった」

「…………事実であれば、このままでは内戦が起きかねないですね」

「だろうな。で、どうするよ」

「どうするとは?」

「このままキルレインドナ様の感情を蘇生させるかどうかに決まっているだろ。陛下の密命だぞ。だがこれでは無下に出来ない」

「…………あなたという人は、本当にまどろっこしいですね。そう言いながらも考えがあるのでしょう?」

「もちろんだ。だが、それを行うには坊ちゃんの意志が必要だ。こんな子供をこの歳でこの国に縛り付けるのか?」

「だが現に王族はそうですよ」

「そうだが……っ」

「しぃ、起きてしまいます」


言われエワンダは声のトーンが大きくなりつつあることに気が付き、そっとキルレインドナの様子を伺う。だが本人も珍しく自身の事を認めた様に、本当に疲れているのだろう。起きる気配は幸か不幸か無かった。


「……俺はもう、わからねぇよ……陛下に仕えている。密命も頂ける程信頼を得た。それも誇り高く捉えてる。坊ちゃんは最近になって漸く表情を動かし始めてくれた。まるで我が子だ。だが、この国がそれを良しとしない」

「それは私にとっても同意見ですよ。覚えていますか?勅命を受けた時の陛下のお言葉を」

「ああ。……まさか、こんな意味になるとはな」


言って二人が思い出すのは、密命を受けるその瞬間だった。


『ロットワンド家は特別すぎる。かの子供も名を持たぬ。それがどういう意味か、分かるか?』


今なら分かる。『クロスクル王家』と『キルレインドナ・ロットワンド』が衝突する恐れがあるという意味だったのだ。しかし、陛下は『望むは』と続けた。少年の感情を蘇生させ、選ばせよ、と。少年も突如として放り出された子供そのものだ。しかも世間知らず。それは赤子も同じこと。キルレインドナは爆弾を抱えた、赤子だ。出来得るならば双方の意見を尊重したい。だがしかし、国民……特に貴族はそれを良しとしない。

陛下に近しい人間は陛下と同意見と考えてもいいだろう。しかしここは軍事国家だ。キルレインドナはそのまま兵器として使えるだろうという意見と分裂している。その双方の意見を持つ貴族のリストが、その小さなメモにぎっしりと詰まっていた。

ぎっしりと、だ。これを掘り下げ整えれば羊皮紙数枚分の冊子となるだろう。

そして、最悪な事にキルレインドナを利用する方に賛同する者がほとんどときた。


『キルレインドナ様はその気になればこのアラン大陸を魔術と法術で壊滅させる事が出来るでしょう』


先ほどのオルタンスの言葉が脳によぎる。再度確認のように言ってきた言葉に、彼の声は低かった。そして、重かった。彼にもわかっていたのだろう。この国の現状を。

今は表面化には出ていないが、このままでは先にキルレインドナをめぐって争いが起こる。このまま傀儡で居させるかどうか、人間として育てるか。そしてこの国に置いておくか否かだ。

陛下の考えでは自由であれ、と希望している。それは友人の子供でもあり、国民でもあるからだ。それは唯一、国王陛下という冠を持たぬ人間が訴えた言葉。陛下の言葉とあれば、傀儡のまま縛り付けていただろう。だが、それが出来なかった。その時点で、分かれ道は生じてしまっていたのだ。


「エゴだ」

「……口が過ぎますよ、エワンダ」

「お前も同じ考えなのだろう?」

「……」


オリヴァーは何も言わずにそのまま無唱で小さな火を出すと、そのメモを燃やした。はらりと散った灰は途中でばらけて消え、ふと外を見やる。

外には自宅に帰るだろう人たちでにぎわっていた。笑顔もあれば疲れた様子の顔もあり、これから飲みに行くのだろうか、そんな集団も見かけた。


「…………陛下にお伺いを申し立てましょうか」

「陛下の意志は変わらないだろ」

「……そうですね、今のは聞かなかった事にしてください」


そうつぶやくと、二人は小さく息を吐く。そうして、お互いを再度見合った。


「私は」

「俺は」


同時に口を開く。どうやら一緒に居る事で、自分たちの仲もより深まったようだった。小さく笑い合い、エワンダから開口する。


「俺は、陛下も坊ちゃんも護り通す」

「私も同意見です。……これ以上の危険分子が生じないか、それを徹底的に把握しましょう」

「そのためにもあの魔法具店には厄介にならないとな」

「そうですね。レイン様の為にも」


二人は気付いていない。キルレインドナは想像以上に賢い事に。そして、恐らくそのような状態になりかねないと理解していることに。更に、自分は何があっても王家へと使えようとすでに心に決めていたことに。

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