旧版

※ このお話は、数年前に書きました、「運命の選択」のいわゆる「旧版」にあたります。当時のものをそのまま掲載しましたので、カクヨム掲載にあたって改行等の編集は行っておりません。


  

 運命の選択


 飲み屋街を歩いていると、近寄りがたい雰囲気を放っている雑居ビルというのは幾らも見つかるものだ。そんな雑居ビルの一室で、今宵、ある宴が催されていた。

「それでは、これよりご歓談の時間とさせて頂きます。ここは、心と心とを強く結びつける、そんな場所でございます。どうか、ハートフルな時間をお過ごしくださいますようお願い申し上げます。」

 タキシードに身を包んだ年齢不詳のスタッフが、まるで昭和の司会者のように芝居がかった調子で挨拶を締めくくる。司会者が一礼をすると、会場の四隅に設置されたスピーカーから柔らかなオーケストラが流れ始めた。それを合図に、胸にナンバープレートをつけた参加者たちは、理想の相手を求めてそれぞれアクションを起こし始めた。

 

 今催されているのは、「ラストチャンスパーティー」という名のお見合いイベントだ。その名の通り、もう後がないという参加者が集まっている。人数はおよそ20人ほどだが、カップルが成立するかどうかは半々といった所で、過去にはカップリングを成立させられなかった参加者が、怒って暴れだしてしまうといった事もあった。逆に言えば、それだけ参加者はこのラストチャンスパーティーに賭けているのである。


 そんな中にあって「12番」のプレートをつけた参加者は、誰にも近づく事が出来ずにいた。緊張しているからだろうか、あちこち目をやったかと思えば、恥ずかしそうに縮こまって俯いてしまう、その繰り返しだった。

 初対面同士が集まるパーティーである。そういう参加者がいるのも当たり前で、誰もかれもが積極的に話に行けるわけではない。だからと言って参加者を「壁の華」にさせてはいけない。様子を伺っていたスタッフの一人がフォローをしに行こうとした。だがそんなスタッフの前をひとつの影が通り過ぎた。

 

 12番は後悔していた。思い切って参加を申し込みはしたが、自分は本来引っ込み思案な性格だし、また、どうしようもない事情もあった。

 (帰ろうかな……)と、そんな思いにかられながら12番が俯いていると、目の前にグラスがひとつ、すっと差し出された。

「こういうのって緊張しません?」

 驚いて声のした方を見ると、そこにはグラスを2つ持った参加者?が立っていた。よくよく見てみると、胸に「5番」と書かれたプレートをつけている。どことなくチャラそうな雰囲気を12番は感じ取った。しかしそれは不快な意味ではなく、お調子者やムードメーカーの持つそれに近かった。

 12番がまじまじと見ると、5番は少し朱くなりながらも言葉を続けた。

「あの、お酒、大丈夫ですよね?」

 その声は少し上ずっていて、こういう事に慣れていないのは明らかだった。12番はその様子を見て申し訳なさそうに少し微笑んで、グラスを受け取った。

「あ、良かったあ。なんだか緊張してるように見えたんでここはお酒かな~って思ったんですよ。ほら、お酒入ると、緊張が少しほぐれるじゃないですか。」

 5番はぺらぺらと早口でまくしたててしまって、しまった、という表情を見せた。どうやら緊張していたのはお互い様だったようだ。2人は照れくさそうにはにかんだ。

「あの、良かったら乾杯しましょうよ。」

 そう言って5番はグラスを軽く掲げた。12番もおずおずとグラスを差し出す。2つのグラスの中でさわやかに気泡が弾けた。

 フォローに入ろうとしていたスタッフは、2人の様子にほっとしたのか、小さく安堵のため息をつくと自分の持ち場へと戻って行った。


 会場内ではすでに複数のカップルが出来上がりつつあった。静かに語り合うカップルがほとんどなのは、おそらく、自分の人生を相手に伝えているからだろう。

 そんな中、大げさな身振りを交えたテンションの高い喋りで、相手の笑いを誘っている参加者がいた。その参加者「9番」は、見かねたスタッフから注意を食らってしまい、他の参加者に向けてペコペコと頭を下げたが、むしろ苦笑混じりのあたたかな拍手をもらっていた。今回の参加者たちが心が広いというのもあるだろうが、それ以上に、”それほど必死なんだろう”という認識を全員が持っていたのだ。

「あの人、お笑い芸人なんですって。」

 離れた所からその様子を見ていた5番が、笑いをこらえながら12番に耳打ちした。パーティーが始まる前、5番と9番は少しだけ言葉を交わしていたらしい。

 それは、奇数番号の参加者たちに用意されたウェイティング・ルームでの出来事で、12番は別の部屋で偶数の参加者たちと共に待機していたので知る由もなかった。

「あと少しで漫才コンテストの決勝って所らしいです。凄いですよねぇ。」

 羨ましそうに眺める5番を見て12番は何か言いかけたが、すぐに悲しげな表情を浮かべると口をつぐんでしまった。その様子に気付いた5番は「あ、私ですか?」と言って苦笑した。

「私、サッカーやってるんです。プロですよ、一応。でも乗ってた車が事故起こしちゃって。しかも玉突きの真ん中。悲惨だったらしいです。」

 それまで朗らかだった5番が、初めて沈んだ表情を見せた。口の端をきゅっと結び、しかし、それでも尚、再び笑顔を見せた。それは辛そうな表情の中で頬だけが上がったイビツな笑顔だった。

「医者が言ってたのが聞こえてきたんですけど、特に足がダメなんだそうです。もし意識が戻ってリハビリが上手くいったとしても、サッカーは無理だろうって。もちろん、プロに戻れる可能性はもっと……。ははは。でも、それでも諦め切れなくって。だから来たんです、ココに。」

 無理に作った笑顔はすでに崩れてしまっていた。目はほんのりと赤らみ、無理に引っ張り上げていた頬も、もう下がっていた。

 それを見て、12番はいたたまれない気持ちになった。なぜ自分に話しかけたのか。こんな、ハンディを持っている自分なんかに。そして、もしもそれが5番の親切心のようなものなんだとしたら、謝りたかった。

 疑念と、申し訳なさとが、強い感情を12番に起こさせた。

「あ、あ、の……」

「……えっ?」

 5番はびっくりして12番を凝視した。それは声としてはほとんど成立していない、まるでサンドペーパーで木材でもこすったような音だったが、5番が驚いたのは音そのものにではなく、言葉を12番が発したという事実に、だった。

 今日ここにいる参加者は、12番が喋れないという事を知っている。その説明を事前にスタッフから受けている。それを知った上でなお、5番は12番に声をかけたのだ。 

「ど、どうし……て、わ、た、し、に?」

 

 どうして私に?

 

 たったそれだけの言葉で、12番は疲労から顔を真っ赤にしてしまった。苦しそうに胸の辺りを手で抑えて、それでもまっすぐに5番の目を見つめている。その目とさっきの言葉に、5番は自分の心を抉られた思いがして、何も言葉を返す事ができなくなってしまった。

 その時、「チリーン、チリリーン。」と、鈴の音が会場内に鳴り響いた。

「そろそろお時間でございます。皆様方はこちら、手を挙げているスタッフの所までお集まり下さいませ。」

 スピーカーから司会者の声が流れてくる。オーケストラはいつの間にか鳴りやんでいた。

「……時間ですよ。行きましょう?」

 5番はそう言って手を挙げているスタッフの位置を確認すると、先に立って歩き始めてしまった。その姿を追いながら12番はもう一度音を発しようと試みたが、それは結局叶わなかった。

 声は、再び失われていた。


 再度集まった参加者たちは、それぞれ1枚のカードとペンをスタッフから手渡された。

「それではまず、カードの右下にご自身の番号をお書きくださいませ。」

 参加者たちはペンを走らせる。その色は、赤くも見えるし青白くも見える、なんとも不思議な色彩をしていた。

「お書きになられましたら、次は真ん中にございます空白部分に、意中のお相手の番号をお書き下さいませ。なお万が一、意中のお相手が無い場合は空白のままで結構でございます。

 それが済みましたら、会場の入り口の方にボックスを持ったスタッフがおります。ボックスにカードを入れて頂きまして、一旦、ウェイティングルームでお待ち下さいますようお願い致します。そののち、我々スタッフがお一人ずつお呼び出しに伺います。……ここまでで何かご質問等はございますでしょうか。」

 参加者たちは沈黙を保った。口を真一文字に結んだり、こめかみに汗をにじませたりと、ラストチャンスの名前にふさわしく、緊張を含んだ沈黙だった。

「ようございます。それではカードへのご記入をお願いいたします。」

 司会者の指示に従い、参加者たちは思い思いの番号をカードに記入していった。

「それでは、本日のラストチャンスパーティーはこれにてお開きで御座います。皆様の今後の人生に素晴らしき変化が訪れる事を、我々スタッフ一同、心よりお祈り申し上げます。本日はまことにありがとうございました。」

 スタッフたちが恭しく頭を下げる。それに対し、参加者たちは労いと感謝の拍手を送った。そしてスタッフたちが頭を上げると同時に、場内のスピーカーから小気味のいい行進曲のような音楽が流れ始めた。一人のスタッフに促されて、ひとり、またひとりと会場の入り口へと歩いていく。その様はまるで舞台のカーテンコールのようだったが、しかし舞台のそれとは違い、このラストチャンスパーティーの本当の始まりはこれからだったのである。


 ウェイティング・ルームの中は静まり返っていた。シャンデリアの灯りは幾つもの影を生み出しているが、それらが動き出すことはなかった。

 5番は一人掛けのソファに座り、こうべを垂れながら、ただじっと自分の順番が来るのを待っていた。その雰囲気は、まるでPKを蹴る順番を待っている時のような、高校受験の合格発表の時のような、そんな期待と苦痛が同居したものだった。

 しばらくすると部屋の外から微かな靴音が鳴り響いてきた。それは次第に大きく、明瞭になって、ウェイティングルームのドアの向こうで止まった。

 こん。こん。こん。こん。

 ゆったりとしたノックの音に、室内の空気が張り付く。

 ドアが少しだけ開き、生まれた闇の向こうから「お待たせ致しました。11番の方、どうぞお越しくださいませ」と、室内の緊張感とはかけ離れた穏やかな声が聞こえてきた。

 呼ばれた11番は重々しく腰を上げると、天を仰いで目をつぶり、何か祈るようにぼそぼそと呟き始めた。しばらくすると気が落ち着いたのか、引き締まった表情で外へと出て行った。

 そしてドアが閉まると、室内にいた全員が、一斉に大きく息を吐き出した。しかしすぐまた固い表情に戻って、自分の番が呼ばれるのを待ち始めた。

 10分ほど経って、今度は9番が呼ばれた。9番は他の参加者たちに向かって、「すみません。それじゃお先に。」などと気軽な挨拶をして出て行ったが、その表情は固いままだった。

 

 5番は心がひりつく思いでいた。ひとり、またひとりとスタッフに呼び出され、部屋を出て行く。今、ここに何人残っているのだろうか?しかしわざわざそれを確かめる気にもなれず、ただひたすらに待ち続けるしかなかった。

 そして何度目かの呼び出しのノックがした。

「5番の方、どうぞお越しくださいませ。」

 5番は背中にヒヤリとしたものが駆け上っていくのを感じた。そして、ともすると喘ぎそうになる息を強引に整えて何とか腰を上げた。廊下に出ると、そこにはきれいな白髪を七三に分けた、面長の、痩せた老人が立っていた。パーティーの時には見なかった顔だが、他のスタッフと同様にタキシードを身にまとっていて、左手には2本の蝋燭を刺した手持ちの燭台を持っていた。

「大変お待たせ致しました。それでは参りましょう。」

 老人は目を伏せる程度のお辞儀をして、先に立ってきびきびと歩き始めた。

 妙な事に廊下の灯りは全て消えていた。と言うよりも、パーティーの前後に通った時にはあったはずの蛍光灯の類が、一切合切無くなっていた。しかしそれを尋ねるより早く、老人がずんずん先へと歩いて行ってしまうので、5番としては急いでその後をついていく他なかった。

 

 真っ暗な中を2人は蝋燭の灯りを頼りに歩いていく。5分歩いたか、10分か、それ以上かもしれないし、それ以下かもしれない。5番はだんだんと時間の感覚がぼやけていっているのが分かって不安な気持ちになった。

 やがて、先導する老人の歩みが止まった。そして手にした燭台を掲げると、2人の目の前に、とてつもなく巨大な両開きの扉が姿を現した。その下端(したば)からは、煙のようなものが漏れ出ている。それにしても、蝋燭の頼りない灯りだけでは認識できないほどの大きさなのに、なぜか5番はハッキリとそれが扉だとわかった。 

「こちらでございます。この扉の向こうに、貴方様の意中の方が居るかどうかは分かりません。もし居れば、貴方様の望みは叶います。居なければ、そのままご自分の場所へとお戻り頂く事になります。それではどうぞ、中へとお進みくださいませ。」

 老人はさっさと一礼すると、蝋燭の灯りを吹き消してしまった。辺りを暗闇が支配する。老人はいつの間にか姿を消してしまっていて、5番が耳をすましても手で探ってみても、その存在を確認することはできなかった。

 5番は自分一人になった事が分かると、ごくりと喉を鳴らした。あのカードにはもちろん『12番』と書いた。声を失ったあの参加者の番号だ。12番が中にいるかいないかで、自分の今後の人生が決まる。文字通り、生きるか死ぬかがハッキリするのだ。5番は覚悟を決めると、一歩を踏み出した。

 それに呼応したのか、巨大な扉が荘厳な音を立ててひとりでに開き始めた。次の瞬間、5番の目に無数の強烈な光の筋が襲い掛かってくる。だが不思議と眩しくはない。5番は手で光を遮ったりもせず、ただ眼前の光景を緊張の面持ちで見つめていた。

 段々と目が光に慣れてくると、奥の方にぼんやりと何かが佇んでいるのが分かった。

「どうぞ、こちらまでお越しくださいませ。」

 かなり距離はあるはずなのに、決して大きくもないその声は、しかし明朗な響きを持って5番の耳を打った。

 その声は、パーティーの時に司会をしていたあのスタッフのものだった。


 部屋の中は、天井も壁も何もかもが真っ白で、そのせいかまったく大きさの分からない不思議な空間だった。床部分は完全に煙に覆われていて、そしてそれが、ここを不思議な空間であることをさらに印象付けている。神秘的、異質、と言い換えてもいいかもしれない。

 その、「部屋」というよりはもはや「空間」と言った方が適切かと思われる場所の中央付近に、司会者と、そして12番が立っていた。

 歓喜の声をあげたくなる衝動をぐっとこらえて、5番は大股で進んで行く。そして12番の前に立った時、足元を覆っていた煙が、唐突に吹いた風と共に方々に散らばっていった。煙はしかしすべてが散ったわけではなく、不思議な紋様と、それを囲む半径2メートルほどの円とを残した。その円の中央に5番と12番が立っている。司会者はいつの間にか円の外に出ていて、紋様を見つめながらぐるりと一周すると満足げにひとつ頷いた。

「おめでとうございます。それではこれより『交換の儀』を始めさせて頂きます。この交換の儀が終われば、お二人の運命は変わりますが、念の為に、最後の確認をさせてくださいませ。」

 そう言って、司会者はまず5番に目を向けた。

「5番の方。あなたは交通事故に遭い、現在、生死の境をさまよっております。事前にお知らせした通り、交換の儀により命を取り留めたとしても、それで事故の前の正常な状態に戻れるというわけではありません。それでもよろしいのですね?」

 5番はコクリと頷いた。それは元より覚悟の上である。

 続いて司会者は12番を見た。

「12番の方。あなたは病により最も大切にされていた声と、仕事とを失ってしまいました。そしてその絶望から今回のイベントに参加されました。しかし今は無理でも、将来、医学の進歩によってその声を取り戻す事が出来るかもしれません。それでも人生をここで終わらせてよろしいのですね?」

 その問いに『よろしくお願いします。』と、12番が頭を下げてそう言った……ように5番には聞こえて、思わず「え?」と声を上げてしまった。すると、司会者はしまったと言いたげな表情を浮かべてこう説明した。

「……申し訳ございません、失念しておりました。今のは12番の方の魂の声でございます。ここは死の世界に限りなく近い空間。ですので、魂で会話をすることが出来るのです。」

 12番の言葉は、5番の耳にではなく魂に届いたのだと言う。その声はまるで滑らかな絹糸のようだった。おそらく12番の元々持っていた声もそうなのだろうと5番は思った。

「話が脱線しましたが。ともあれ、お答えいただきありがとうございました。」

 司会者はそう言って頭を下げた。

 するとそれを合図にしたかのように、地面の下から地鳴りのような轟音が起こった。

 

 紋様を形作っていた煙は地面に染み込んでいき、そこからポツポツと光が漏れ出てくる。生まれ出でた光は重なり合って輝きを増し、天井めがけて勢いよく伸びていった。2人の姿は光のカーテンに包まれて、外からは完全に見えなくなってしまう。

「儀式の間、お話をされるのは構いませんが、その場から動く事はないよう、お願い申し上げます。」

 光のカーテンの外にいるはずの司会者の声は、鳴り響く轟音をすり抜けて、実にスムーズに2人の耳に届いた。

 高く伸びた光の筋はその勢いを天井付近で留め、そこから溢れた無数の光がキラキラと輝くシャワーとなって2人めがけて降り注がれてゆく。

 5番は天井の方を見上げながら、「話っていっても……この状況でいったい何を話せば……。」とつぶやいた。

『……聞かせてもらってもいいですか?』

 魂の声が5番の胸に届いた。声の主はためらいながらも言葉を続ける。

『パーティーの時の答え。喋れない私に、どうして話しかけてきてくれたんですか?』

 それは有耶無耶にしたはずの質問だった。5番はたちまち気まずくなって目を伏せてしまった。なぜならその答えは”チャンスだと思ったから”だった。

 おそらく、喋ることが出来ないというのが理由で、誰も12番に話しかけなかったのだろう。しかしそれは見方を変えれば、ひとりの参加者を独占できるという事だ。限られた時間で、しかも多くのライバルがいる状態で複数の相手と言葉を交わすよりは、遙かに可能性があるんじゃないか、5番はそう考えたのだ。

 だがそれを言えば、きっと12番は自分に幻滅するか嫌ってしまうかするだろうと思った。それであの時、言いよどんでしまったのだ。そして、全てが決定したはずの、今も。

『……ありがとうございます。』

 その声に5番はびっくりしてしまった。こちらは何も言葉など発していないのに。

『伝わりました。あなたの気持ちで。』

 ここは魂で会話ができる空間なのだ。5番の気持ちは、その浅薄な動機とそこから来る逡巡とが複雑に絡まりあい、強いニュアンスをもって相手に伝わってしまったのだった。

「ごめんなさい……。」

 謝罪の言葉が5番の口から漏れ出た。それはとても純粋な言葉だった。しかし12番はやんわりと首を横に振って微笑んだ。

『いいんです。私、あなたを選んだのは間違いじゃなかったって、今、心からそう思っているんですから。』 

 

 それぞれの体に降り注いでいる光は膨張を続けて、すでに2人をほとんど包み込んでしまっている。しかもその輝きは一層増していくばかりだ。地鳴りはいつの間にか止んでいる。

 5番は、体の中が急速に熱くなっていくのを感じた。それは少しの鈍痛を伴っていて、その痛みに5番は思わず身をかがめてしまう。久しく忘れていた「生きている実感」を覚えると共に、儀式の終了が近い事を悟った。

 交換の儀。終わるかもしれなかった命と、続くはずだった命の、取り換えっこ。

 5番はこの時になって初めて、12番に質問を投げかけた。

「あの……。あなたの理由も聞きたいです。なんで私を選んでくれたのか……。」

『私は……抜け殻だったから……。』

 しかし、言葉の続きは聞こえなかった。その不自然な間(ま)に不審に思って12番を見ると、12番は口を半開きにして、とろんとした表情を浮かべていた。その目からは生気がほとんど感じられない。

 その一方で、5番の体はますます熱を帯びて激しく脈動し、叫びだしたくなるほどの高揚感で満ちようとしていた。

「お、教えてください……!どうして……?!」

 衝動をぎりぎりの所で我慢しながら、何とか言葉を続ける。

 しかし5番は気付いてしまった。二人を包んでいたはずの光が、いつの間にか自分のみを包んでいるという事に。そして見てしまった。光から解放された12番の体が地面に崩れ落ちていく様を。

「ま、待って!まだ理由を聞いてない!」

 感情的になり声を張り上げたその時だった。硬質的で、乾いた摩擦音がこだました。その耳障りな音に驚いて5番が上を見上げると、天井付近の空間に亀裂が発生し、そこからじくじくと闇が広がっていく光景が見えた。白い空間と侵食する黒とのコントラストがどこかグロテスクだった。

 その闇の奥からいくつかの音が聞こえてきた。その音は余りにも小さく微かなものだったが、5番はそれを『声』だと断定した。なぜならそれは忘れるはずもない、大切な、サッカーの仲間たちの声だったからだ。

 それで思わず「あっ」と声を上げてしまうと、闇はそれを待っていたかのように5番の体を吸い上げ始めた。その勢いは猛烈で、渦を巻き起こしながら5番の体を闇の中心点へグイグイ引っ張り込んでいく。5番は必死に抗おうとしたが、宙に浮いてしまった体では最早どうすることもできなかった。

 

 ……やがて、再び不快な音を立てて、空間に生じていた裂け目は閉じていった。空間が完全に元通りになった頃には、光の壁も、煙が染み込んだ紋様の跡も、綺麗さっぱりとその姿を消してしまっていた。 

 残ったのは、倒れている一個の人間のみ。その胸には「12」と書かれたプレートがついている。

「やれやれ。無事に終わりましたね。」

 どこかから声が響くと、倒れている12番のすぐ傍の空間に、縦に細い裂け目が現れた。するとそこから、タキシードに身を包んだ年齢不詳のスタッフが、ズルリと出てきた。交換の儀を行ったあの司会者である。

 司会者は気持ちよさげに伸びをして肩や首を何度か回すと、倒れている12番をひょいと摘まみ上げて肩に担いだ。

「うーん、毎度のことですが、命が無くなったばかりの魂というのはどうも触れていて気持ち悪いですね、生温かくて。」

 そう言いながら、空いている方の手で目の前の空間を縦になぞる。すると空間が、先ほどのようにぱっくりと裂けていった。

「あとはこの魂を黄泉路へと連れて行けば、今日の業務は終了、と。おや、定時までまだ随分と時間がありますね。」

 司会者は少し考え込むと、ぱっと上を見上げた。すると中空に、まるでプロジェクターで映し出したようにして現世の映像が差し込まれた。そこはどうやらどこかの病院の一室のようで、たくさんの人間がベッドをぐるりと取り囲み、涙を流しながら喜びあっている。そしてベッドには顔をくしゃくしゃにしながらやはり涙を流している人間の姿があった。

 司会者はそれだけ見届けると、後は興味ないとばかりに映像を閉じた。そして肩に担いだ、冷たくなっていく魂に声をかける。

「良かったですね、12番の方。涙というものは生きている人間の特権なんです。その理由が歓びであれ、苦しみであれ、ね。そしてあの方はこれから人間らしく、とても人間らしく生きて行かれる事でしょう。生き生きと仕事をしていた頃のあなたがそうだったように。そして、あなたが望んだ通りに。」

 12番は何も応えない。司会者はシニカルな笑みを浮かべると、空間の裂け目にズルリと分け入り、闇の奥へと消えて行った。

 

 飲み屋街を歩いていると、近寄りがたい雰囲気を放っている雑居ビルというのは幾らも見つかるものだ。そんな雑居ビルの一室で、今日もまた、生の歓びと死の歓びが交錯する、宴の幕が上がる。


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運命の選択 長船 改 @kai_osafune

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