5

 ひとり……またひとりと、ウェイティングルームから参加者が姿を消していく。

 未だここに残っているのは、翔吾を含めたわずかな人数のみである。


 翔吾は堪えきれずにあくびを漏らした。

 こうしてただじっと待っているしかない時間というのは、彼の人生の中であまり経験のない事である。

 このままソファに深く身を沈めているとうっかり眠ってしまいそうなので、彼は目をこすりつつ、ソファの手前に座り直す事にした。


 すると、翔吾の目の前にひとりの男がやって来た。

 9番である。

 パーティーの際にスタッフに窘められていた、お笑い芸人の男だ。


「よっ。大丈夫?」


 9番はちょっと声を潜めつつも、気楽な調子で翔吾に話しかけた。

 そして、近くにあった一人用の丸っこいソファを翔吾の方へと寄せて座る。


「こういう時にあくびするのって、めっちゃ頭使ってるかららしいで?」


「え。ホントに?」


「ホント、ホント。」


 そう言って9番は屈託なく笑った。

 つられて翔吾も白い歯を見せる。

  

 実際、翔吾は頭の中であれこれと考え事をしていた。

 自分の事、麻由の事、これからの事……。

 ただ、それらの考えについて今の時点で答えを見つけられるはずもなく、延々と堂々巡りを続ける他なかったのだった。

 そういうわけで、9番が話しかけてきてくれたのは翔吾にとってはありがたい話と言えた。


「……で、どうなん?あの子は君の事、選んでくれてそうなん?」


「うーん。分からないなぁ。あの時、司会の人が後戻りしたくなったらって言ってたでしょ?あれで一気に不安になった。」


「まぁたしかになぁ。それにあの子、喋られへんやんか。気持ちの確認とかも難しいよな。最初、君があの子に話しかけに行ったのを見た時、『うわ、勝負に行きよった』って、そう思ったもん。」


「……そっちはどうなの?」


「僕?」


 9番はきょとんとして自身に指を向けた。

 ともすれば、のん気とも取れる様子である。

 

「僕も……自信はないなぁ。」


「けっこういい感じに見えたけど?」


「うん、そこは大丈夫だと思うんだけど。……そうだ、ちょっと聞いてもらってもいい?」


 9番は急に居住まいを正した。

 どうやら、彼が翔吾に話しかけてきたのにはちゃんと理由があったようである。

 何となく彼の雰囲気に圧されて、翔吾は「う、うん。」と、多少の不安を混じらせつつ頷いた。


「ここに参加する時にな、思ってたんよ。『これが最後になってもいいようにしよう』って。ひとりでもいいから絶対に笑顔にさせよう、笑かそうって、そう思ってた。」


「……芸人の性、ってやつ?」


「うーん、たぶん違うかなぁ。今思うに、あれは諦めやったと思う。」


「諦め……。」


「そ。でもさ、あの人と巡り合った。いや~まさかあんなに笑ってくれるなんて思わへんかった。」


 9番は照れ笑いを浮かべながら、頭を掻いた。


「それで気付いたんよ。『あ、僕ってやっぱお笑いが好きなんや』って。

 もっとたくさんの人を笑かしたい。笑顔とか元気にさせたい。

 そういう……欲、みたいなのが出てきた。

 ……どっちかって言うと、こっちのが芸人の性なんやろね。」


「あぁ……うん。なんか分かる気がするよ。」


 翔吾は9番の言った「欲」というものを自分に置き換えて考えていた。

 もっとサッカーが上手くなりたい。

 もっと試合に出て、勝利に貢献したい。

 それでチームを昇格させて、日本代表にも選ばれて、ゆくゆくは海外にだって挑戦したい。

 それがスポーツ選手の性なのだと言われたら、それはその通りなのだろうと翔吾は思ったのだった。


「ありがとう。君は分かってくれるやろなぁって思ってたで。

 まぁうまいことお互い生き残っても、ここでの記憶は調整されるって話らしいしなぁ。君とこうして仲良くなれたのだって、たぶん綺麗さっぱり無くなるんやろ?それはもったいないなぁって思うけどね、ハハハ。

 ……ま、そんでな?結局なにが言いたいのかっていうと。」


 そして9番は、フゥ……と一拍の呼吸の間を置いた。 


「……死なんよ。僕は。

 生き返ってみせる。そんで、舞台に戻る。」


 それは9番の宣言であった。

 

 なぜ9番がそれをわざわざ自分に宣言したのか、その理由が翔吾には痛いほどに良く分かった。

 不安なのだ。

 どうしようもなく不安だから、敢えて決意を口にしたのだ。

 そうする事で生きる推進力を自らに与えるのである。

 もしかしたらそれは、いわゆるフラグ立てというものなのかもしれない。

 しかしそんな第三者的な言葉などは、ここまで来てしまった彼らにとってはどうでも良い事である。

 

 だから、翔吾も応えた。


「うん。僕も、生きる。そして、ピッチに戻るよ。」


 翔吾と9番は、お互いに笑みを浮かべて見つめ合った。

 そして、拳と拳を軽く合わせたのだった。

 

 少しして、今日何度目かのノックの音がした。


「9番の方、どうぞお越しくださいませ。」


 ドアが開き、スタッフがもはや決まり文句となった言葉を掛けてくる。


「……来たかぁ。」


 気合を入れるようにして、9番は立ち上がった。


「じゃあね。」


 翔吾はごく簡単な別れの言葉を贈った。

 それ以上の言葉は不要だった。


「漫才の決勝。テレビでやってくれへんのが残念やわ~。」


 と、9番はとぼけた口調でわざとらしくぼやきながら、部屋の外へと出て行った。


 扉が閉まり、室内に再びため息の音が響く。


 部屋に残っているのは、翔吾を含めてあと3人……。


 もう誰も口を開く者はいない。

 ただじっと、己の番号が呼ばれるのを待つのみである。


 やがて――。


「5番の方、どうぞお越しくださいませ。」


 次に訪れたスタッフが呼んだのは、翔吾の番号だった。 


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