場内では、いくつかのカップルが出来上がりつつあった。

 彼らは中央に陣取っている集団から離脱し、思い思いの場所で静かに語らい合っている。

 

 彼らの邪魔をする者は誰もいない。

 時折、スタッフがグラスの回収と新しいドリンクの用意をしに来る程度である。

 それでさえ、彼らの話の腰を折らないようにと、スタッフたちは細心の注意を払っていた。


 一方でまだカップルの出来上がっていない参加者たちは、それぞれ心の内に焦りを秘めつつも、粘り強くお互いにコミュニケーションを取り続けていた。


「……ぷぁっはっ!!」


 不意に、集団の中から噴き出すような笑い声が上がった。

 女性の笑い声である。腰につけたプレートには「4番」と書かれていた。

 彼女は反射的に周囲を見回すと、慌てて口元に両手を当てたが、それでも肩をプルプルと震わせてまだ笑い続けている。

 笑っていたのはなにも彼女だけではなかった。

 周囲にいる参加者のうち何人かが、それぞれ顔を背けて必死に笑いをこらえるようにしていた。


 原因は、4番の目の前に立っている男であった。

 「9番」と書かれたプレートをつけたその男は、大げさな身振りを交えたテンションの高い喋りで、彼女の、そして周囲の笑いを誘っていた。


「いやいや、ホントなんですって……!車に跳ねられて吹っ飛ばされちゃったんですよ~。こう、空を魚が泳ぐみたいな感じで。びちびちびちっと。」


 9番はちょうどの姿勢を取りながら頭と体を小刻みに揺らし、あさっての方向に飛んでいくような仕草をする。


「……ぷぐっ!ぅははは……!やめてぇ、しんどいぃ……!さっきは魚だなんて言ってなかったじゃん……!」


「思いだしたんですよ~。『あ、これ、アレだ。鮭だな。』って!」


「鮭……ッ!!登っちゃった……!」


 必死に声を抑えている4番に、容赦のない追い打ちをかける9番。

 よほど笑いのツボが合うのか、それともただの笑い上戸なのか。

 ともあれ、4番は体をの字に曲げての大笑いだ。

 

 そしてその笑い声につられて、それまでギリギリ我慢していた周囲の参加者たちもとうとう噴き出してしまった。


 会場の中央に、大きな笑いの華が咲いた。


 それを受けてギアが入ったのか、9番はより饒舌になっていく。

 

 9番を中心にして再び起こる笑いの華。

 彼らは実に楽しそうに、幸せそうに笑っていた。

 

 しかしその一方で、散らばっていたカップルのうちの何組かは、ギョッとした様子で彼らに目を向けていた。 

 

「大変申し上げにくいのですが……。」


 ついに見かねたスタッフがやって来て、9番は注意を受ける事になってしまった。

 

 これが普通のイベントならば大した問題にはならなかったかもしれない。 

 しかし、このラストチャンスぺーティーでは静かに語らい合う参加者が多く、彼らへの配慮というのは運営する側からすれば重要事項なのであった。


「あ……!」


 9番も、その事を察した様子である。

 彼は顔を引きつらせると、おそるおそる首を動かした。

 右から左へ、それから遠くを伺うようにしながら左から右へ。

 まるでゼンマイ仕掛けの人形のように、ゆっくりと一往復させてゆく。

   

 そして、深々と頭を下げた。


「すみませんでしたぁ……!

 皆さん、ごめんなさい、申し訳ないです!」 


 やたら通ったその声に、会場全体がシーンと静まり返った。

 9番に注意を与えた当のスタッフも呆気に取られてしまっている。

 周囲の参加者たちは、バツの悪そうな表情でただ彼を見つめる事しか出来なかった。


 すると、遠くからひとりの参加者が声を上げた。

 個別に語り合っているカップルの内のひとりである。


「いいよいいよ!気にすんな!」


 少々いがらっぽい声で豪快に言い放つ参加者。

 その言葉が、場内の気まずい雰囲気をガラッと変えた。

 

 彼に呼応して、別の参加者たちも次々と9番に声をかけていく。


「そうだよ。私も迷惑には思ってないから。」


「確かに声は大きいなぁって思ったけれど、それなら笑っちゃった俺だって同じだよな。」


「まあ……こういう事もあるでしょ。」


 しかしそんな励ましの言葉も、9番にとっては針のむしろなのだろう。

 声を掛けられれば掛けられるほど、彼は頭を下げたまま、恐縮して体を強張らせてしまうのだった。


 そこへひとりの女性が一歩進み出た。

 さきほど大笑いをしていた4番の女性である。

 彼女はまるで人が変わったかのように、すっかり意気消沈した様子であった。


「わ……私も……、ごめんなさい。」


 そう言うと、彼女は頭を下げた。 


「……私、あんな風に笑うのって久しぶりで、歯止めが利かなくなっちゃって……。

 あの、もし良かったら、もっと私とお話してくれませんか?

 あんまり笑い過ぎないように気を付けるから……。」


 9番が顔を上げた。

 身を起こすことなく、そろそろと。

 目の前にいる4番をちょうど見上げるような格好である。


「……いいんですか、俺なんかで……?」


 4番はこっくりと頷いて、恥ずかしそうに右の手を差し出した。

 それを見た9番もまた、気恥ずかしそうにはにかんで、彼女の手を握り返した。

 

 スケジュール無視の公開告白が、ここに成立した瞬間だった。


 ワッと歓声が上がった。どこからか拍手が起こり、あちこちに伝染していく。

 その中には麻由や翔吾の姿もあった。


「ありがとうございます……!すみません……!ありがとうございます!」


 9番は拍手に応えてペコペコと頭を下げた。


 と、そこにスピーカーを通して音声が流れてきた。


「え~、皆さま。大事なお時間を過ごされている所に水を差してしまい、誠に申し訳ございませんでした。9番様につきましては、今回はあくまでも注意のみという事で、特にペナルティなどはございません。ですが他にも参加している方がいらっしゃるという点、どうかご配慮のほどよろしくお願い申し上げます。

 また、おふたりに対する皆様の温かな拍手やお言葉、イベントの運営者として深くお礼を申し上げます。

 それでは皆様、どうぞご歓談の方にお戻りくださいませ。」


 そのアナウンスに、場内からは再び拍手が起こったのだった。

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