1.失意の新学期と転校生。






 俺の春休みは、失意のどん底なまま終わりを迎えた。

 辛うじて提出物は終了させたが、それも徹夜してギリギリのものばかり。二年生になるというのに、身も心もズタズタだった。そこに加えて、唯一の取り柄である学業成績も失墜しては目も当てられない。

 どうにかして再起を図らなければならなかった。

 だから、いっそのこと新しい推しを探そうか、とかも考えたが……。



「無理だ……」



 あっさり、失敗に終わった。

 俺は『志藤マリア』のデビューと共に沼にハマり、彼女の卒業と共に燃え尽きたのかもしれない。そう思わざるを得ないほど、俺の生活は彼女に合わせて動いていたのだった。朝起きてまず行うのはSNSチェックだったし、学校から帰ってきて一番にやるのは課題でなくアーカイブの消費。

 生配信がある場合には、それに合わせて課題を終了させた。

 グッズが発売されると決まれば一番に予約する勢いだったし、金が足りなければ短期のバイトを組み込んだ。それほどまでに、俺は『志藤マリア』に入れ込んでいたのである。


 そんな俺が今さら、他の子に推し変することは可能か……?

 答えは言うまでもない。



「でも、卒業することが彼女の幸せなら……」



 俺は登校し終え、まだ居心地の悪い二年教室の自席でうな垂れつつ呟いた。もはや自己暗示の域である。元々自分の手の届かない世界の住人を応援しているのだ、という自覚はあった。それでも良いと、推し事に勤しんだのは俺のエゴでしかない。

 だから当然、彼女の卒業を恨むことはないし、根拠のない憶測もしない。最初から終わりがある前提で楽しむことこそ、真のファンの行く道であると分かっていた。

 でも――。



「…………はぁ……」



 ここまで割り切れないものなのか。

 俺は自分の未熟さに、異様なまでの嫌悪感を抱いていた。

 もちろん、彼女からの認知が欲しかったわけではない。むしろ逆で、俺は本当の意味で『壁になりたいファンの一人』だった。

 自分はあくまで、楽しい空間を眺めて喜んでいる視聴者。その立場を弁えて、彼女の意識リソースが無駄に割かれない存在でありたいと願っていた。



「そんな俺でも、このダメージ……か」



 ガチ恋している諸兄たちは、いったいどんな気持ちなのだろうか。

 心中は察することしかできないが、さぞ苦悶の日々を過ごしているに違いなかった。俺はそんなまだ見ぬ同士たちを想って、心の中で敬礼。

 そして改めて、自分の傷は浅いのだと、そう言い聞かせるのだった。



「おーい、そろそろホームルームを始めるぞー!」



 そんなことを考えているうちに、担任の教師が最後尾の俺まで聞こえる大声でそう叫んだ。筋骨隆々な彼の苛立ち隠さないそれに、クラスメイトたちはみな慌てて自分の席に着く。

 ちなみに、俺の隣は空席だった。

 理由は分からないが、何故かポツンと不自然に誰もいないのだ。



「えー……さて、噂にもなってるが、転校生を紹介する」

「……転校生?」



 そんな折に、俺の耳に飛び込んだのは教員の呆れた声。

 彼は「噂になっている」と口にしたが、あいにくと俺はそれどころではなかったので、知る由もなかった。だからクラスメイトはみな口々に盛り上がるが、俺はそんな中でどこか孤立している。


 だが、そうであっても話は進むわけで。

 担任が教室のドアに向かって声をかけると、そこから現れたのは一人の女生徒だった。肩ほどで切り揃えられた金色の髪に、愛らしい顔立ちをした少女。小柄な背丈に似合わずスタイルは良く、男子たちはみな唾を呑み込んでいた。


 誰もが見惚れている。

 でも、俺だけは蚊帳の外。

 いまいち周囲の興奮に乗り切れず、転校生から視線を切ろうと――。



「宝城ルナです! よろしくお願いします!!」

「え…………?」



 窓の方へ首を向けかけた瞬間だった。

 何故か、毎日のように耳にしていた声が聞こえてきたのは。



「えー……宝城は諸々の都合で――」



 担任教師は転校生こと『宝城ルナ』のことを説明している。

 だけど俺はそれどころではなく、先ほどのクラスメイトたちよりも遥か別の次元で心臓を早鐘のように鳴らしていた。

 どういうことだ、という疑問ばかりが脳裏をよぎる。

 そして、そんなことがあり得るのか、という疑心が浮かんだ。だけど――。



「……………………!」



 ――自分が、推しの声を聞き間違えるはずがない。


 仮にマイクを通した電子の先のそれであっても、彼女の声は今でもハッキリ思い出すことができた。そんな俺が誰かのそれと、彼女のそれを間違えるなどあり得ない。

 つまりこの直感は正解で、転校生である『宝城ルナ』は……。



「席は間宮の隣、窓際最後尾を使ってくれ」

「はい、分かりました!」

「え……」



 そこまで考えた時、担任の指示に従って彼女がこちらにやってきた。

 そして、俺に向かって笑顔を浮かべて言うのだ。




「これから、よろしくね!」




 その微笑みは、もう見ることのできない『志藤マリア』のそれと重なって。

 俺はただただ呆然と、頷き返すしかできなかった。



 



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