第七十一話 二番目
『ベック』のことを思い出してから、そういうこともあるかもしれないとは思っていた。
この現世とは違う異世界。そこで仲間たちが今ごろ何をしているのか――とりあえず『ベック』が居なくなった後も健在なのではないかという、曖昧な夢だった。
自分が死んだあとのことなど分かるわけがない。だいたいこんなものだろうという想像が夢になった、ただそれだけのことだ。
「……まあ、夢は夢か」
頭を切り替える。今日は土曜で休みだが、一日中寮にいるよりは、何かしたいところだ――と、無造作に起き上がろうとしたところで。
「んっ……」
左手にマシュマロの塊のようなものが当たる。もちろん昨夜寝る前に、そこには誰もいなかったはずである。
一気に脈拍が上がる。そんなことがあるわけがない、おそらく俺の手に触れているのは――そう、猫だ。だが猫とマシュマロの感触は明らかに違う。
「……私の中に……入って……温かい……」
ダンジョンコアの彼女が見る夢なので、決して風紀を乱すような意味ではないはずだが――というか、どんな夢を見ているのだろう。
それ以前に、なぜ俺の布団の中にいるのか。昨日ちゃんと七宮さんの部屋に連れていき、その時は大人しくしていたはずだが、まさか演技だったというのか。
「……すぅ……」
「(ぐぉぉっ……!?)」
獣のような声が出そうになる。当たっている手を離さなくてはと思ったそのとき、ダンジョン少女は逆に俺の手を引き寄せてくる。
尺骨が柔らかいものに挟まれている。モコモコとしたパジャマ越しでも分かる――昨夜は言うに言えなかったが、彼女は下着をつけていなかった。
なぜダンジョンの化身の胸が大きい必要があるのだろう。むしろ男になるという選択もあったのではないだろうか。ダンジョンコアの中には男性もいるのか、それとも全員女性なのか――疑問は深まるばかりだ。
「……暑い……」
「(ま、待て……まだ涼しい季節なんだが……!)」
もぞもぞとダンジョン少女が動き始める――保温性の高いパジャマを貸してくれた七宮さんは悪くないが、できるだけ通気性が良い服を選ぶべきだった。
「……すぅ……」
そっと腕を引き抜いてみると、やはりそれも暑さの原因だったようで、幸い寝ながら服を脱ぐという自体にはならなかった。
こんな爆弾を抱えたままでは俺の心の平穏に支障が出てしまう。いくら俺が安全扱いされているとはいっても、男であることには変わりないのだから。
『――藤原くん、もう起きてる? ダンジョンの子がいなくなっちゃった』
部屋の外から聞こえてきた声に、ですよねーと言いたくなる。七宮さんは責任感が強いので、いなくなったら探しに来るだろう。とりあえずドアを普通に開け、七宮さんに応対する。
「あの子ならここにいるよ。何か、寝てるうちに入ってきてたみたいで」
「本当? 良かった……藤原くんが連れて帰ってきたから、懐いてるのかも」
「いや、リンと同じにしちゃいけないけど……まあ、理由を考えても仕方ない気はするな」
「……ちょっと様子を見てもいい?」
「あ、ああ……その、俺の布団で寝てるけど、それもいつの間にかで……うわっ……!」
さっきまで大人しくしていたダンジョン少女が布団を跳ね飛ばしている。さらに暑くて脱ごうとするという、およそ考えうる中で最高に駄目な状態になっていた。
「……藤原くん、エッチなことしてない?」
『してない?』という疑問形であることで救われた――現行犯扱いになってはいない。
「し、してない……というか本当に、起きたら布団に入ってきてて」
「……そういう言い方をすると、この子もちょっと寂しいと思う」
「……起きたら布団に入ってきてくれてて……って、これだと誤解を招くから」
七宮さんが俺をじっと見ている――まだ朝ということでパジャマ姿だが、彼女もモコモコした格好でも暑そうにはしていない。
「……私の中に……いっぱい……暑い……」
おそらく全然違う意味なのだが、言葉だけ捉えると明らかにアウトな寝言を言っている。これはもう弁解の余地なく、俺は無垢な少女に手を出した最低男と思われ、寮を放逐されてしまうのだろうか。
「……ダンジョンの子だから、いっぱい人が入ってきたときの夢を見てる? それで、昨日もちょっと暑がってたから、暑いって」
「七宮さん……!」
考えうる限りで最善の解釈をしてくれた。七宮さんが光を背負って見える――彼女がいてくれて本当に良かった。
「私がこのパジャマを貸しちゃったから、昨日のうちに変えておけばよかった」
「それでも着てるんだから、着心地はいいと思うんだけど。春物のパジャマとか買いに行った方がいいのかな。今日はちょうど休みだし」
「……一緒に行っていい?」
「ああ、もちろん。それとこの子なんだけど、名前を決めようと思ってて。仮の名前ではあるけど、無いと呼び方に困るからさ」
「……ダン子……それはちょっと酷い?」
七宮さんはモケモンも種族の名前からもじってネーミングしていそうだ。それも分かりやすくはあるが、できれば似合う名前をつけてやりたい。
「私の呼称ですが、人間からは2号と呼ばれていたようですので、それにちなんだもので問題ありません」
話しているうちにダンジョン少女が起きてきていた――そして俺たちの話も聞こえていたようだ。
「それでいいのか? たぶん学園の敷地内で2番目って意味なんだけど……」
「2……それなら、ニナ、とか?」
「ニナ……それが私の名前……」
「気に入ってもらえたなら、決定で良さそうかな」
「名字は……藤原くんのところの子っていうことで、大丈夫?」
「っ……ま、まあそうなるのか……姓がないっていうのは不便になるしな」
「藤原司というのは、それで名前を指すのではなく、二つの要素が含まれていたのですね。藤原という集合の中に属する司さん、ということだったのですか」
「そうなるな。えーと……ほんとにどうなるんだろうな、戸籍がいきなりできるわけじゃないし」
「私については特異な存在と理解していますので、名字は必要ありません。ただのニナと認識していただければ。所属する集団は司さんのところとなりますが」
どのみち俺の家族ということになるのか――それでいいのかと思いはするが、連れて帰ってきた以上は責任は全て俺にある。
「……ニナ、今日は服を買いに行こうと思う。人間として生活することに興味は……」
「興味……これが、興味なのでしょうか。司さんのところに行きたいと思ったのです。その理由に説明がつけられず……鍵を解除して入ってしまいました」
「っ……そんなことまでできるのか。ていうかダンジョンそのものって、めちゃくちゃ多彩な能力があったりしないか?」
「この外装でできることは限られていますが、人間と同じことはほぼ遂行可能です」
「……すごい。まだ生まれたばかり……? なのに」
ニナは少しだけ嬉しそうにしているように見える――受け答えにはまだ硬さがあるが、ダンジョンに人間の感情が理解できないとか、必ずしもそういうことではないようだ。
「……硯さんが呼んでる。ご飯ができたみたい」
「ニナ、食事はどうする? 昨日は食べてなかったけど」
「食事は可能です。食事で補給を行う場合は摂取量が増えるので、できれば復活石か、魔力を直接摂取したいです」
もしマホロバ草から魔力回復のオーブを作る方法を見つけていなかったらと思うと怖いものがあるが――直接摂取とは別の方法でもいいんだろうか。リンや水妖も魔力が必要なので、休みのうちにオーブのストックを多めに生産しておかなければ。
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