ANOTHER1 英雄たち
『ベック』の所属していたパーティが『深淵の獣』を倒したあと、五年が過ぎた頃のこと。
王国の守護者としてその名を轟かせたパーティのメンバーは、それぞれが王国から望みの報酬を得ていた。
パーティのリーダーであった『龍殺し』のリュードは、庶民の出としては特例で爵位を受けることとなった――しかし、与えられた領地には関係が芳しくない隣国との境界があった。
実質上の辺境防衛に送られたリュードは、戦を配下の将官に任せ、酒色に溺れていた。
英雄と呼ばれた青年の輝きは失われつつあるが、鍛錬を重ねた騎士でも及ばない剣の腕は健在で、誰も諫言できるものはなかった。
――ただ、リュードとパーティを組んでいた者たちを除いては。
「……国王陛下の依頼をどうするつもり? リュード」
リュードの屋敷を訪れたアンゼリカは、彼の私室の入り口に立ったまま、玉座に似せて
リュードの頬は痩せ、かつて生気に溢れていた瞳は狼のようにぎらつき、アンゼリカを獲物のように捉えていた。
「あいつらは何も分かってない。迷宮から数年に一度出てくる暴食竜を巣に入って狩るなんざ、分に合わないだろう」
「彼らは私たちをそのために飼っているつもりなのよ。『深淵の獣』を倒した私たちは、王国の最高戦力とされているし……」
「だから何も分かってねえって言ってんだよ。俺たちがその気になれば、国をひっくり返すことだってできる。王の命令を聞く必要はどこにもない」
「……私たちは国を治めることはできない。地位を保つには、それなりの成果を見せる必要が……」
「アンゼリカ、随分と丸くなったな。
リュードはテーブルの上に置かれた
「……死んだ奴に操でも立ててるつもりか?」
「っ……貴方はっ……!」
アンゼリカはリュードの頬を打とうとする――しかし閃いた手を、リュードはこともなげに受け止める。
「は、放してっ……放しなさいっ……!」
「……もっと昔にこうしておくべきだったな。俺はお前が、ベックを嫌ってるもんだとばかり思っていた。お前は奴を傷つけていたんじゃない、ただ甘えて……」
「それ以上侮辱したら……私はあなたを許さないから……っ!」
「……侮辱か。誰に対しての
リュードは掴んだ手首を放す。アンゼリカは自分の身体を抱くようにして一歩後ずさり、目をそらした。
「あなたは……あの時、ベックに転移結晶を預けていた。彼がそれを、どう使うかを予想できていたはずなのに」
「……ああ?」
「ベックが私たちを転移させなければ、彼は……」
リュードの目が深い闇に沈む。その瞳にはアンゼリカの姿のみが映っている。
「『深淵の獣』は討伐された。ベックは未帰還になり、あの迷宮の深層に行く者は誰もいない。俺は獣の牙を持ち帰った」
「……けれど、牙は……その牙だけでは……」
「王国は討伐の証拠として認めた。『深淵の獣』は今まで一度も姿を現していない……俺たちが討伐したからだ」
アンゼリカの唇が『違う』と動く。しかし、声にはならなかった。
最後に見たベックの姿が、アンゼリカの脳裏を過ぎる。彼は諦めていなかった――確実に迫る死を前にしても、絶望しなかった。
「もし『獣』が生きていたとしても、現状はそうなっていない。分かるか……? 俺たちが得た栄誉も何もかも、自分から捨てることはない。ベックは死んだんだ、尊い犠牲として」
「……ベックが……獣を道連れにしてでも、倒したということは?」
「上級職にもなれない『荷物持ち』に何ができる? あいつのレベルは俺たちの半分だったんだぞ? 転移結晶や魔道具を持つのは奴の担当だったが、それで一体何ができる」
アンゼリカは言葉に詰まる。その姿を見ていたリュードは、わずかに表情を陰らせた。
「……暴食竜の件は、まだ人員が足りねえ。ソフィアは優秀な弟子を貸してくれるそうだが、司教になっちまった今となっては本人は動けない。他の二人は故郷に戻ってるから返事待ちだ」
「……パーティを集められたとしても、足りないのは……」
リュードは答えずに酒を呷る。アンゼリカはテーブルの上に置かれたものに気づく――ギルドに冒険者の紹介を依頼する手紙。
「レベル50の荷物持ち……王国中を探しても、そんな人は……」
「……たかがレベル50だろうが。どこからでも引っ張ってこられるだろ……なんでいつまでも見つからねえんだよ、ギルドの無能どもがっ……!」
レベル100の上級職を揃えられても、レベル50の下級職を見つけられない。
アンゼリカはベックの姿を思い返していた。五年前、最後にベックと迷宮に潜った時のこと――彼に理不尽な暴言をぶつけて困らせたことを。
――これは私たちが英雄になれるかどうかを決める依頼なのよ。
――ああ、分かってる。だが、嫌な予感がするんだ。
――今さら怖気づいたの? あなたが居なくても私たちだけで先に進むわ。
――それはさせられない。俺はお前たちのパーティの『荷物持ち』だからな。
「……気分が悪い。俺がまだ落ち着いていられるうちに出て行け」
アンゼリカの頬には涙が伝っていた。幾筋も伝った涙をそれ以上見られないように、彼女は退出する。
扉が閉じられたあと、リュードは虚ろな目で宙空を見つめ、そして言った。
「……おっさん、アンゼリカはまだ子供だって言ってたよな。結局今になっても何も変わりゃしねえ……あいつは今でも……」
リュードは振り返る。それは冒険の途中で、いつもベックが立っていた場所。
「……俺があんたを殺したのか? それともあんたは今も……」
ベックの亡骸は今も見つかっていない――深淵の獣の迷宮に潜る者は、英雄のパーティ以外にはない。
そしてリュードがギルドに求めた最後の職業が揃わないまま、時は流れ。
国王からの依頼の期限が訪れ、リュードたちは数年ぶりに迷宮に挑むこととなった――暴食竜の根城とされる、最高難易度の迷宮に。
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