第七十話 秘密の部屋

 東館に戻る途中で、中庭から声が聞こえてきた。どうやら秋月さんたちが脱衣所から出てきたようだ。


「急にドアが開かなくなるとか怪談めいてるわよね……建て付けが悪いだけならいいけど」

「うーん、業者さんを呼ぶほどでもないと思うんだけど」

「瑛里沙、怖いならさっき話していた通り一緒に寝ようか?」

「陽香がななみーの方に行っちゃったから、二年生で一緒にっていう感じでもないし、阿古耶と一緒だとそんなにいつもと変わらないしね」

「じゃあ、今日はお姉さんも一緒に……そういえば、ダンジョンから連れて帰ってきた人はどうなったんだろ。彼女も白ちゃんの部屋に泊めるってことになってたけど」

「え、そんな人がいるの? ダンジョンから連れて帰ってきたって、遭難者……ってこと?」

「後輩くんは毎回ダンジョンで何かを成し遂げている……私も見習いたいところだけど、星の巡り合わせが目立たずに生きろと言っているね」

「あんたが目立たないわけないでしょ……男子の制服着てるし、それが似合ってるし、でも女の子の格好したら腹が立つほど可愛いし」


 ダンジョンの化身を連れて帰っても普通に受け入れてくれた秋月さんには感謝しかない。もし寮で泊められなかったら、外でテントを使うしかなかった。


「あ……司くん、お風呂待ちで待ち構えてたの?」

「いや、秋月さんが今話していた、ダンジョンから連れて戻った人なんですが。いつの間にか部屋から出てたみたいで、探しに行くところです」

「そう……外には出てないといいんだけど。西館と本館にいないなら、東館にいるのかもね」

「開かずの間に入ろうとしてたりして」

「それはどうかな……私たちが来てからも一度も開いていないあの扉が、開くとは思えないけど」

「あの人が考えてることは私にもわからないから……悪い人じゃないはずなんだけどね」


 秋月さんは開かずの間に誰がいるか知っているが、すごく親しいというわけでもない――ということは、彼女が寮監になる前から、開かずの間とその住人は存在していたということだろうか。


「まあいいわ、何か困ったことがあったら言ってきなさい、貸し1で協力してあげる」

「素直に頼ってほしいと言えばいいのに」

「だ、だって藤原だけでもだいたいのことは解決しちゃうでしょ。まったく可愛げのない後輩よね」

「そんなこと言って、初めよりずっと仲良くなってるじゃない。うりうり」

「ちょっ、やめて脇はつつかないで、弱いから……っ、寮監不真面目罪で訴えるわよ」

「瑛里沙はくすぐりが弱点特攻だから、後輩君も覚えておくといい」

「はは……樫野先輩に悪いですよ、そんな」

「誰でもくすぐりには弱いでしょ。藤原も今度勝負しなさい、その余裕の顔を崩すまでくすぐってやる」

「……二人きりじゃなくて、誰かもう一人はいるときにしないと駄目だよ?」


 秋月さんが忠告してくれるが、樫野先輩は肩をいからせて行ってしまった。三人ともリビングに入っていくが、そのうち西館の自室に行くのだろう。リンの幻術は効果が切れているので、彼女たちが西館に近づいても問題ない。


 通用口から東館に入る――もう幻術は切れているのでそう警戒する必要もない、そのはずなのだが。


(……なんだ?)


 廊下の奥にある開かずの間。その前に、何か光るものが見える。


 近づいてみると、扉の表面に文字が浮き上がっている。


 『静かに 一人で入れ』


 ダンジョンの化身を探さなければならないのだが――これが俺に対してのメッセージなら、応じるべきなのか。


 そうこうしているうちに、文字が変化する。間違いない、部屋の中にいる人物がこの文字で意思を伝えてきている。


 『入れ さもなくばお前を呪う』


 まるでホラー映画のような状況だ――安全を考えればまず秋月さんに相談すべきだが、前に開かずの部屋の主と扉越しに話したときは、悪人という感じはしなかった。


 ドアノブに触れると、想像以上にあっさりと回った。


 扉を開けて中に入ると、俺の部屋より一回りは広そうな空間を本棚が埋め尽くしている。


 そして、ダンジョンの化身――色素が薄く、浮世離れした姿をした少女が、黒いローブを身につけてフードをかぶった人物の傍にいた。


「……その子は俺がこの寮に連れてきました。この部屋に招いたのは、貴方ですか?」

「なかなか丁寧だな。ダンジョンコアを勝手に部屋に引き込んで何をしている、と怒らないのか?」


 見るからに小柄で、声も幼い――だが言葉遣いは硬質で、見た目通りの年齢ではないと思わせられる。


 それに――『ダンジョンコア』。リンもそう言っていたが、この人もダンジョンの化身のことをそう呼んだ。


「ここにいるだけで、ダンジョンコアを連れて帰るような探索者に会えるとは思っていなかった。ひとつ言っておくと私がコアをここに招いたこととリリムの幻術は関係ない、タイミングが被っただけだ」

「リリム……リンの種族名ですか? 俺が知らないことを、貴方は多く知ってるんですね……凄いな」

「……何というか、お前には毒気を抜かれるな。もう言ってしまうが、私はダンジョンの研究者というか、そんなものだ。あの子……硯とは一度顔を合わせただけだが、知り合いということにはなるか」

「ダンジョンの研究者……この膨大な本は、全部研究に関係するものなんですか?」

「そうでもない。ダンジョンで発見された書物には、ダンジョンに関係がないものもあるからな。言語体系が不明なものもあるし、それを解読するための本が見つからないということもざらなわけだ。闇の中を明かり無しで彷徨うようなものだよ」

「……ダンジョンで本が見つかることがある、それ自体が俺には意外に思えます」


 魔物が本を作るとは思えない。言語を使用する生命体が、本の材料である紙を作り、さらに文字を記さなければならない――人間か、それに類する種族しか、本を作ることはないように思える。


「ダンジョンの奥底にいるもの。ダンジョンの生命そのものと言える『ダンジョンコア』は、高い知能を持っていることがある。それならばダンジョンの中に本が存在していることにはある程度の説明がつく。魔法で本を作る、あるいは探索者から本を奪えばいいのだから」

「……『私』の中には、書物は存在しませんでした。そして、全てのダンジョンに私のような存在がいるとも限りません」


 ダンジョンの化身が口を開く――頭の中に響いてきたものと近い、透き通るようで、どこか儚げな声だった。


「……2号ダンジョンにはあんたがいた。でも、全てのダンジョンが同じなわけじゃないんだな」

「私の考えではほとんどのダンジョンにはコアがあると考えられる。本当に稀なのは、コアが他の生命体の姿を模倣したインターフェイスを作ったことだ」

「インターフェイス……人間とやりとりをするための姿とか、そういうことですか」

「……私がこの姿を取った理由は、自分でも説明ができません」

「そうだろうな。ダンジョンは侵入者を排除するものだ。意思の疎通を行おうとする自体が稀なことだ……分かるか? 少年。君は今、世界を揺り動かす鍵を手にしているのだ」

「っ……」


 ダンジョンの化身がなぜ現れたのか、今はその理由が分からなくても、いずれ理解できればいいと思っていた。


 綱渡りのようなことをしていたと自覚する。伊賀野先生以外がダンジョンの外にいたら、秋月さんが『ダンジョンから連れ帰った人物』を不審に思い、訝しんだとしたら。


 その情報が広まってしまった時、何が起こるのか。探索者の目的に『ダンジョンコア探し』『人型インターフェイスの入手』が加わることは考えられる。


「……なぜ、貴方は彼女……『ダンジョンコア』が寮に来たと分かったんですか?」

「それは私がダンジョンの最深部に行き、コアを目にしたことがあるからだ。ダンジョン全域においても検知される波動のようなものは、もとを辿ればコアから発生しているものだからな」

「つまり、貴方は探索者だった……それも、かなりの腕前の。ということでいいんですか」

「そういうことになるな。分かっていると思うが、私は子供のような見た目でも本来の年齢は幼くはない。藤原司、君の母親といってもおかしくないような年齢だよ」


 ダンジョンでは何があってもおかしくない。そういうものと理解していても、開かずの間の中にいる人が置かれている状況がこれほど特異だとは思わず、なぜそうなったのかという疑問が大きくなるばかりだ。


「……まあいい。私が提案したいのは、彼女をここで匿うことができるということだ」

「それは助かります。でも俺は、彼女をここに閉じ込めておきたいわけじゃなくて……」

「そうだな、準備さえ整えば外にも出られるだろう。場合によっては学生として学校に籍を置くこともできるかもしれないな。しかし焦りは禁物だ」

「……藤原司さん。私は、あなたがここに連れてきてくれたことを誤りだとは感じていません。それはおそらく正しいことです」

「そうだといいんだけどな……でも、何はともあれ目覚めてくれて良かった」

「騒がせてしまったな。彼女はまだ無垢な状態で、幻術の影響を受けやすい。このまま放っておくと何をするか分からなかったので、東館に来たところを私が保護しておいた。そういうことにしておいてくれ」


 保護されていなかったら今ごろどうなっていたのか――俺が何を案じているか化身の少女には分からず、特に表情を変えずにこちらを見ている。


「コアの少女というだけではわかりにくいので、仮名をつけた方がいいかもしれないな」

「確かに……というか、名前は既にあったりしないのか?」

「…………」


 無いということであれば、命名しなければならない。『2号ダンジョン』というのは学園が決めた呼び方なので、それを由来にはしなくてもいいだろう。


「まあすぐに決められるものでもないから、後で決めればいい。それではな」

「っ……あ、あの、まだ貴方の名前を……っ」


 彼女が答えてくれることはなく、部屋から出される。コアの少女は借りた服を着ているのか、モコモコとしたパステルカラーのシャツとショートパンツを着ている――浮世離れした雰囲気だが、どんな服装でもある程度馴染むようだ。


「これから案内するけど、西館に七宮さんの部屋があるから、今日はそこで寝てもらうことになる。大丈夫そうかな」

「大丈夫、とはどういった状態でしょうか」

「えーと、問題ないってことかな」

「私は眠る必要がありませんが、この身体にとって睡眠は有益です。魔力の消費が低減します」


 つまりほぼ人間と同じということか――体力、魔力は睡眠で回復する。他の部分についても、目立つような差異はないように思える。


 しかし何を参考にしてそうなったのか分からないが、シャツの胸のところが押し上げられて大きな起伏が生じている。丈が短めだからか服が上に引っ張られてお腹が見えているが、俺からは現状何も言えない。


「この衣服は保温性が高いので、少し体温が上昇しています。脱いでもいいでしょうか」

「(ちょっ……!)」


 返事を待たずに脱ごうとする――ぶるん、と何かが飛び出しかけたところで目を閉じ、さすがになんとか止めさせた。


「ふ、服は……っ、誰もいないところか、同性しかいないところでしか脱いじゃだめだ。それは本当に守った方がいい……っ」

「……なぜですか?」


 普通に不満そうに聞いてこられても――彼女を寮で匿っておくという判断は、議論の余地なく正しいようだった。

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