第六十九話 増幅

 御厨姉妹をリビングのソファまで運んだあと、再び西館に戻ってくる――七宮さんの部屋。こんな形で訪ねることになるとは。


 状況を考えると悠長にノックをしている場合でもないが、無断で開けることもできないので軽くドアを叩く。


『――入ってもいい、にゃ』


 すでに語尾が猫化している。一瞬いつもの七宮さんかと思ったのは甘かった。


「……お邪魔します」


 魔力を探知できるサーチ眼鏡をかけてみても、ドアに仕掛けがあったりはしないようだ。そういうものまで検知できるとは聞いてないので、気休めにはなるが。


 ドアを開ける――ふわ、と微かに良い香りがする。


(って……水妖が香気を使うのに、普通に吸って大丈夫なのか……?)


 疑い始めるときりがない――それよりも、七宮さんの様子が心配だ。


 常夜灯しかついておらず、他には間接照明用のライトがある。勉強用らしい机とは別にパソコン用のデスクがあり、普通に市販されていなさそうな形状のタワー型PCが設置されている――パソコン周りだけが近未来的というか、シックな部屋の中で若干浮いている。


「……藤原くん、御厨さんたちと遊んでた?」

「っ……い、いや、それは……」


 声が聞こえた方向には、小柄な七宮さんにしては大きめのベッドが置いてある。


 考えが甘かった――御厨姉妹がああなっていたのだから、七宮さんがどうなっているのかを多少は想像できたはずなのに。


「……今日は、前みたいには行かない。前は、簡単に負けちゃったから」


 幻術にかかっている時の記憶は、前回から引き継がれているということなのか。


 七宮さんの頭には銀色の耳がついている。尻尾も――彼女自身の色素の薄い髪もあいまって、反則的なほどに調和が取れた姿だった。


「……藤原くんの目でわかる。喜んでくれてる」

「っ……い、いや、その……」

「男の子はこういう格好が好きなの?」


 リンがこの幻術をかけているとしたら、七宮さんにこういう言動を取らせているのも――というのは、ちょっと想像しづらい。しかしリンも魔物なのだから、俺が思いもしないような理由で行動したりというのは考えうる。


「……他のこと考えてる?」


 七宮さんがいつの間にかベッドから降りている――俺の頬に触れている。


 こちらを見上げる大きな瞳に吸い込まれそうになる。しかし気づかないわけにもいかない――七宮さんの目の奥にある妖しい揺らめきに。


「私は、藤原くんのことをいっぱい考えてる。御厨さんにも藤原くんは優しいし、他の子にも優しい」

「い、いや、誰にでもそうってわけじゃなくて……」

「……分かってる。私は皆より少し先に藤原くんに会っただけ……でも……」


 触れるか触れないかの距離にあった七宮さんの手から、何かが伝わってくる。


 『マジッククラフト』。彼女の魔力を今、一体何に変化させたのか――。


「くっ……な、七宮さん……」

「氷や炎だけじゃなくて、他のものにも変えられる」

「……他のものって……」

「相性がいい魔力。藤原くんと、仲良くなれると思う……触れただけで……」


 耳元で囁いたあと、七宮さんはそっと引いていく――そして。


「……前の続き。前は、途中から覚えてなくて……」

「っ……い、いつの間に……」


 七宮さんがマッサージ機を持っている――彼女はそれを机の引き出しに入れてしまった。


「これがあると、藤原くんに勝てないから……使用は禁止」


 封じられた――俺にとって唯一、味方に対して使用していい武器的なものを。マッサージという理由をつけているだけと言われたらそれまでだが。


「でも……藤原くんがその気になったら、いつでも止められちゃう」

「そ、それはそうだけど……」

「……止めるスキルも禁止って言ったら、怒る?」


 怒るというか、『固定』を使わなかったらどうなってしまうのか――七宮さんが禁止と言ったから、というのは潔さを著しく欠いている。


「……分かった。その二つは禁止だな」

「……本当?」


 七宮さんが貴重な笑顔を見せる――しかし本来の七宮さんそのものではなく、どちらかというと何か猫っぽいという感じがする。


「(リンのやつ、一体何のためにこんな……って、魔力を得るためか……)」

「じゃあ……先攻と、後攻を決める」

「え……」

「……そうじゃないと、公平じゃないから」


 七宮さんが手を出してくる――どうやらジャンケンで決めるらしい。


「あいこでしょ。あいこでしょ……あっ。負けちゃった……」

「俺の勝ちか……」

「……じゃあ……藤原くんが先に、どうぞ」


 七宮さんが身体の力を抜く――そして俺を見上げたままで目を閉じる。


「(……俺は何を、こんな思いをしてまで我慢を……)」

「…………」


 ずっと待っているままの七宮さん。しかし――ジャンケンで負けたからというだけにしては、あまりに落ち着きすぎている。


 猫耳、そして尻尾。惑わされてはならない、これはリンの幻術によるものだ。


「きゃっ……藤原くん……」


 七宮さんを抱き上げて、ベッドにうつ伏せになってもらう。


「……先攻の持ち時間は、どれくらいかな」

「……五分くらい……ううん、藤原くんがしたいようにしていい」

「それは助かるな……どれくらい時間が必要か、俺にも分からないから」

「……ゆっくり……できたら、優しく……あっ……」


 七宮さんの肩に触れる。ここまでのやりとりで、手がかりは見つけている――今はそれに賭けるしかない。


   ◆◇◆


 戦いに要した時間は半刻――まさに持てる力を燃焼しつくした。


「……すぅ……」


 魔力:105/188


 レベルが上がったことで俺の魔力上限は伸びている。その魔力を半分ほど消耗した――それでも何も起きなければ俺の負けだったが。


 部屋の中に、いつの間にか猫がいる。部屋の中に溢れた魔力を吸収している――当の本人はのんきに前足で顔をこすっている。


 七宮さんが俺に触れたときに分かった――触れただけで魔力が増幅し、そして俺の身体から出ていっている。この幻術の領域内では、増幅した魔力が発散され、吸収されるのだ。


 リンは敵というわけではないので、魔力を消耗してもリスクはないと判断した。


 どんな触れ方をすると魔力が最も増幅されるのか。色々と試したが、やはり疲労を取るためのマッサージのような触れ方が良いようだ。


「……ミャー」

「満足したか、リン。今度からはもう少し違うやり方で、魔力の補給を……うわっ……!?」


 リンが発光を始める――目が眩むような光の中で、猫とは違う別の姿に変わっていく。


「……ちょっ……リ、リン……なのか……?」

「ミャー」


 七宮さんの猫耳と尻尾が消えている。代わりに、リンが猫耳の生えた少女のような姿になっていた――といっても、何か悪魔的な要素が見受けられる。


「……ミャミャミャ」

「えっ……ご馳走様でした、って?」

「ミャッ。ミャミャッ」


 何を言っているかは分からないが、伝えたいことは分かる――魔力は十分足りた、ということだろうか。


「……ニャニャッ」

「……今なんて? コア……って言ったのか?」

「ニャニャニャ。ニャニャッ」


 『ダンジョンコア』が七宮さんの部屋にいたが、幻術にかかった後どこかに行ってしまった――と言っている。


「ニャニャニャッ」

「そ、そうか……寮の中にいるのか。外に出ていったのかと思ったよ。教えてくれてありがとうな」


 リンは両手を合わせる――どういたしまして、ということだろうか。


 しかし、何か物欲しそうな顔をしている。意図が汲めないでいると、リンはベッドを軽く叩く――どうやら座れということらしい。


「ニャ―……ゴロゴロ……」

「……人の姿になる、賢い猫ってことでいいのかな」


 リンは俺の膝に頭を預け、満足そうにしている。平穏な寮生活のため、そして御厨姉妹のためにも、飼い主として言って聞かせる必要はあるだろう。


 おそらくダンジョンコアとはダンジョンの化身である彼女のことだが、一体何をしているのだろう。リンはそのうち幻術は切れると言っているが、最後まで気を抜けそうになかった。

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