OTHER5 兄弟
日向龍堂は幾度となく、同じ光景を見続けていた。
ダンジョンの深部に存在する繭。淡い光を放つそれを前にした龍堂は、身を震わせるような歓喜の中にいた。
「灯台下暗しか……こんなもん見つけちまったら、俺はどうなっちまうんだ……!?」
肉の塊のような怪物――『ブラッドローパー』の干渉を受けた龍堂は、理性による抑制が外れた状態にあった。
「おい、聞こえてんだろ? 2号ダンジョンの主……お前が飼ってる魔物が教えてくれてんだよ。あんな怪物でも役に立つもんだ……って、あぁ……?」
龍堂は愉悦の笑みを浮かべる。彼の前に立ちふさがったのは双葉だった。
「お前も巻き込まれたのか……陽香の妹、双葉だったか。それとも俺のことが心配だったか? まあ、手ひどくやられちまったからな」
「……あなたは、仲間たちの生命力を奪いましたね。魔物に操られているのではなく、自分の意志で」
「それがどうした? 俺と共生した方が奴も価値があると思ったらしいぜ……怪物に気に入られるなんざ気分が良いもんでもないがな、他人のものを手に入れる能力は悪くない」
龍堂の口の端からは血が伝っている――『ヴォイドブラスト』を受けて貫かれた部分は修復が始まっているが、完全に癒えてはいなかった。
「……血が足りねえ。御厨の女の血はどんな味がするのか、確かめてみるか」
「愚かなことを……」
「お前の後ろにいる繭も、このダンジョンの深層で得られるもの全てが俺のものだ。ここまで来ちまった双葉、お前も……!」
龍堂が双葉に襲いかかる――しかし、地面を突き破って出てきた根のようなものが、龍堂の手を覆った血の手甲を受け止めた。
「なん……だとっ……!?」
「あなたはすでに血を流しすぎている。欲を出さず、回復に努めているべきでしたね」
双葉の目が、繭と同じ色の光を湛えている――龍堂が、そう気づいた時には。
自分の胸が、ぐにゃりと溶けるように見えて。何の抵抗もなく、背中からずるりと突き抜けてきた腕を目にした。
仮面の魔物――『ジョーカー』の腕。龍堂も動画で見て、その形状は知っていた。
腕が引き抜かれると同時に、龍堂は
「な……んだっ、こりゃ……ありえ、ねえっ……」
「……招かれざる者よ。私の内から去りなさい」
双葉ではない、何者かが双葉の身体を使って話している――ようやくそう気づいた時には、龍堂はダンジョンの外に飛ばされていた。
「がはっ……ぁ……」
誰かの声が聞こえる。龍堂はそこにはすでにない、光る繭に触れようと手を伸ばす。
「……俺の、もんだ……誰にも……渡さねえ……」
◆◇◆
「――がはっ……!」
酸欠に喘ぎながら、龍堂は目を覚ます。
「はぁっ、はぁっ……俺のもんだ……俺が見つけたんだ……っ」
「……兄さん」
「っ……お前……騎斗……」
「今は、鞍音だよ。そう名乗れって言ったのは、兄さん……じゃないか」
龍堂は病院の一室、そのベッドの上にいた。
ベッドサイドには鞍音が立っている。その表情は陰っていて、目覚めたばかりの龍堂に怒りを思い出させる。
「もう少しだった……俺はあの時まで上手くやっていた。だが藤原……藤原が……!」
「……僕らは、藤原くんに手を出すべきじゃなかったんだ」
「そんな馬鹿なことがあるか……っ、あいつは『荷物持ち』なんだ……俺たちとは違う、特別な物なんて何も持っていない凡愚……っ」
「でも……僕も、兄さんも、彼に負けた。兄さんは、兄さんですら無くなってしまった」
「……あ……?」
龍堂自身も気づいていた。目覚めてからずっと違和感がある――自分の声が、自分の声でないように聞こえる。
「まさか……待て、そんな……っ、そんなことが……っ!」
ベッドから降りようとしてバランスを崩し、転がり落ちる。這うようにして窓ガラスに近づいた龍堂は――変貌した自分の姿を見た。
「……誰だこれは……俺は、こんなガキなんかじゃ……お、おい、俺のカードはどうなってる? 俺のステータスは……っ」
鞍音はベッドサイドのチェストからカードを取り出し、龍堂に渡す――その手がかすかに震えている。
名前:日向 龍堂 17歳 女
学籍番号 012931
職業:吸血者
「女……だと……それに、なんだこの職業は……っ、俺は『闘騎士』だったはずだ……!」
「……兄さんも、あの仮面の魔物の攻撃を受けたんだね。僕と同じだ」
「ま、待て……お前とは違う。俺は上手くやっていた……魔物の力も手に入れて……っ」
「その時に、感染したんだ。このままだと、兄さんは……半分魔物になった存在として見られることになってしまう」
「ち、違う……俺は魔物なんかじゃない……っ、魔物の力を利用しただけだ……っ」
「同行した岩切さんと従者たちに、危害を加えたそうだね。彼女たちは兄さんが操られていたからと説明してくれているけど……」
龍堂には鞍音が遠くで話しているように聞こえる。
自分の姿を映した窓ガラスから離れ、龍堂は座り込んだまま後ろに下がる。そしてベッドの足にぶつかり、大きな音が立った。
どこにも逃げられないと悟り、龍堂は天井を仰ぐ。その目は虚ろで何も映していない。
「……兄さんは強い光を浴びられなくなった。そして、一日に一度は血液を摂取しないといけない。人工血液の手配はもうしてある」
「そんなもの……なんで……なんで俺が……」
「もうすぐ
「あ、兄貴……そうだ、兄貴だ、兄貴……なら……」
――病室のドアが開いている。
そこに立っていたのは、騎斗と龍堂に似ていながら一回り大きな体躯を持ち、眼鏡をかけた男子生徒だった。
「あ、兄貴……帰ってきたんだな……っ、聞いてくれ、俺たち日向の敵が……っ」
「……お前たちの存在が表に出たら、日向の名に傷がつく。なぜ日向の力があって、そんな体たらくになっているんだ?」
「お、おかしいんだ……あいつ、藤原司が現れてから、ダンジョンの中でありえないことばかり起きてる……あ、あいつが何かやってるに違いないんだ……っ」
「ダンジョンの中では何が起きてもおかしくない。藤原が何かやっている……本当にそうなのか? 何があったのかを洗いざらい話せ、俺がケリをつける」
「っ……駄目だ、央馬兄さん、藤原くんにはもう何も……っ」
「何もしないでおくわけにはいかない。俺のランキングも下がっている……これでは連盟に示しがつかないだろう。日向が重職を占めているのは、日向家が優秀な探索者を輩出しているからだ」
央馬は二人の状況を一瞥しただけで、それが不可逆の変化であること、彼らの先にある困難を推し量っていた。
「……騎斗……いや、鞍音と名前を変えていたんだったな。お前はできる限り力を戻し、姿が変わったことを利用して藤原の動向でも見ておけ。龍堂、お前はこのままでは学園から除籍されることになるが……その変化は何かの役に立つかもしれん」
「あ、兄貴……俺は……」
「吸血者か。血を啜ってでも這い上がってみせろ、俺の弟ならばな」
「っ……くそっ……くそがぁぁぁっ……」
鞍音とは違い、龍堂には『吸血者』になったことによるもう一つの変化が起きていた――姿が幼くなっている。激昂して声を上げても、子供が癇癪を起こしているような有り様だった。
病室を出た央馬はスマートフォンを取り出し、Sチャンネルの画面に目を落とす。
目につく位置に出ている『投稿者:藤原司』の名前。それを見た央馬はギリ、と奥歯を噛み締めた。
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