SIDE4 見守る人々

   ◆◇◆


 空に浮かぶ神殿――かつて女神が中二階と呼んだ場所。


 浮かび上がる映像を前にして、『祖エルフ』のような姿をした女神が座り込んでいる。


「その世界では湖の精が『聖剣』をくれる伝説もあるみたいですけどね。それは違う意味の聖剣ですよね、勇敢な感じで持ってますけど……ま、またやるつもりですね、この人……っ」


 前回、司は幻夢の中の登場人物だと思い込んで、寮の人々を一人ずつ『陥落』させていった。


 そのために活躍した電動マッサージ機。女神の目には、それが禍々しい振動を放つ凶悪な物体に見えていた。


『――はぅっ……!』

『藤原さん、私、もうっ……』


 司は『固定』している間に、繊細かつこなれた手つきでマッサージ機を使い、陽香と双葉の身体の疲労がある部分――肩や腰などに滑らせる。強く振動を当てるのではなく、触れるか触れないかというギリギリのところで、微細な振動を蓄積させていく。


 映像の中では、姉妹が同時にのけぞっている。『固定』を解除された二人には、蓄積された感覚が一気に訪れているのだ。


「……こんな……こんなの、生殺しじゃないですか、何度も何度も、寸前で……っ」


 女神にはその感覚を自分のものとして体感することができる。


 司が探索者として何をするのか。それを見ているだけ――そのはずが、女神は見守る側ができることにも『抜け穴』があることに気づいた。


 司に直接干渉はできなくても、司のしたことを体感することはできる。そんなことに本来自分は興味を持たないはずだと思いながらも、女神は『それ』を試してしまった。


『はぁっ、はぁっ……司くん……もう、堪忍して……』

『虐めてるわけじゃないですよ。これは必要なことですから』


「……堪忍してなんて、この時代の人は普通言わないですよ。女の子に凄いことを言わせてるって分かってるんでしょうか……この朴念仁さんは」


 毒づかずにいられなくなる。司のしていることは、本当に生殺しのようなものだからだ。


『……藤原さんは意地悪です……私たちは、そんなものなんかじゃなくて……』

『ごめん、今はここまでだ。幻術が解けたとき、二人に嫌われたくないからさ』

『そんなこと……司くんなら、私たちは……』


 二人が幻術にかかっているのか否か――その答えは明白で、幻術の影響下にある。


 しかし、二人は司にある程度心を許してもいる。そんな二人が司によって昂揚させられることで、多くの魔力が産み出されていた。


「これほどの魔物がネレイドの眷属になっているなんて……それも猫の姿で。気まぐれにも程があります」


『っ……藤原さん……身体が、熱いです……』

『ごめんなさい……火照りすぎて、もう……我慢できにゃい……』


 女神がこくん、と喉を鳴らす。ただ見ていることしかできない――司が、こんな状態にある二人に対してできることはあるのか。


『……二人とも、どうすればいい?』


「(っ……そんなふうに聞いたら……っ)」


 声を出しても問題はないのに、女神は思わず声を抑えていた。


『……その、膝枕をしていただいて……耳を……触ってもらえたら……』


 女神はぱちぱちと目を瞬く。双葉が頼んだことは、女神が想像したことよりもずっと素朴な行為だった。


『それくらいなら……でも、誰かに膝枕をするのは始めてだな』

『っ……いいんですか? そんな、贅沢にゃ……っ』

『自分で言っておいて、双葉は本当に控えめね……司くん、私もいいにゃ?』

『い、いや、二人同時は……っ』


 司がその場に座ると、双葉と陽香が膝の上にうずくまる――戸惑っていた司はすぐに落ち着きを取り戻し、二人の耳を撫で始めた。


『この耳、ほんとに触った感触があるんだな……』

『……魔力でできている耳なので……感触はありますが、本物では……』

『私は耳よりも……そう、背中が落ち着くの……もっと撫でて……』

「……何を見せられてるんですか、私は……」


 自嘲するように言いつつも、見るのを止めることはできず、女神は映像を見続ける。


『……藤原さん……ありがとうございます……』

『良い飼い主に巡り会えて、私たちは幸せにゃ……』


 姉妹の猫耳と尻尾が消える――そして二人はその場で眠りについてしまった。


 司は姉妹をリビングに運び、ソファに寝かせる。全く雑念を感じさせない彼の行動を見ていると、女神は思わず呟かずにいられなかった。


「……本当にもう……聖人すぎるんですよね、この人」


 口を尖らせるような言い方とは裏腹に、良いものを見たという顔で、女神は司がすることを飽きもせずに眺め続けていた。


   ◆◇◆


 一方その頃――研究所の居住区画の一室で、サイファーの管理者である佐那はある人物の来訪を待っていた。


 ベッドで休んでいた佐那は、ドアがノックされるとベッドサイドのボタンを押す。すると部屋の扉が開いた。


「グーテンモルゲン。元気にしてた? 」

「それはおはようの挨拶だよ? 姫乃さん」

「あはは、そだった? まあ細かいことはいいとして……身体の調子はどう?」

「うん、凄く元気。元気すぎてちょっと心拍が上がっちゃったけど」

「あれくらいの範囲ならまあいいっしょ。そんなので随伴の仕事を禁止しちゃったら、楽しみがなくなっちゃうしね」

「ありがとう……姫乃お姉ちゃん、優しいから好き」

「まっかせなさい……ああ、病室なのにタバコ出そうとしちゃった。ヤニカスって怒っていいよ」

「そんなこと……私も元気だったら、姫乃さんみたいにしてみたいし」

「佐那ちゃんはいい子だから、私みたいなのは真似しちゃだめよ……って……」


 姫乃の目が、佐那の机にあるディスプレイに向けられる――そこには。


『これは必要なことなの……藤原くんは、何も悪くないのよ』


「ああっ……さっきサイファーの動画をバックアップしてて、それがちょうど終わったところで……」


 姫乃は腕組みをして、じっと画面を見ている――サイファーが撮影した動画の中の一場面。それは、司のテントに陽香が入ってきたときの映像だった。


「確か、御厨陽香って子だっけ。毒を中和するときにエッチな気分になることがあるから、それを知ってる日向家の男子に狙われてるっていう」

「姫乃さん、すごーい……どうしてそんなに詳しいんですか?」

「私はなんでもお見通しなのだよ……なんて、佐那ちゃんが同行するメンバーのことを事前に調べておいたんだけどね」

「そうだったんだ……でもそれって、私も聞いておかないと意味がなくないですか?」

「御厨姉にも悪いしねー、表向きは伏せられてるし。それに佐那ちゃんにはまだ早いしね、年齢的な理由でも」

「子供扱いしないでください、私だってそれくらいのこと分かってますから。このときの陽香さんは、不可抗力でこうなっちゃったんですね……ああっ……」


 動画の中では、陽香が司を押し倒していた――姫乃はしばらく画面を見てから、パソコンを操作して動画の再生を止めた。


「……これ、私が検閲しないでも大丈夫? 入ってない?」

「入ってるって、何がですか?」

「あぁ……やっぱり私が見とくわ、佐那ちゃんの監督役だし」

「大丈夫です、司さんはエッチなことを迫られてもちゃんと断れる男の人なので」

「……マジ?」

「はい、マジです」


 信じられないという顔をする姫乃――佐那はその顔を見て楽しそうに笑う。


「そんな子もいるんだねえ……高校生男子って、もっとこう自分に素直な生き物のはずなのに」

「司さんは凄いんです、女の人がいっぱいいても落ち着いてますし、エッチなことだって全然しないし、言わないです」

「まあ普段からそんなこと言ってたら駄目だけどね。私の友達が気に入るわけだ、藤原くんのこと」

「……駄目ですよ、取っちゃったりしたら。私のお兄ちゃん……じゃなくて、マスターなんですから」

「……おお?」

「な、なんですか?」


 姫乃は佐那に近づくと――にぱっ、と笑ってその頭を撫でた。


「はわぁ……な、撫でるのは駄目です、マスターだけの特権で……」

「……サイファーにそんなことまでしてくれたんだ、彼」

「はい。その……撫でてもらうと、私がしてもらってるのと同じなので……」

「ほんと罪なやつ……なんて、めちゃくちゃいい奴だよね。そろそろ一回会いに行っておこうかな、うちの佐那ちゃんをお願いしますって」

「あっ……そ、その……マスターが、動画のことでお話したいって言っていて、でも、私は……」

「……そっか、分かった。今回は、私が佐那ちゃんの代わりに会ってくるから」

「はい。よろしくお願いします」

「佐那ちゃんもサイファーの視点を借りてついてくる?」

「っ……いいんですか? 私、ダンジョンに入るときしか、司さんとは……」

「少しずつ行動範囲を広げていこ。私はそのためにもいるんだから……ところで……」


 再びパソコンに近づき、姫乃は動画の再生ボタンにカーソルを合わせ、至って真剣な目で佐那を見た。


「この動画、一緒に見る?」

「はい、見ます……!」


 その答えに姫乃は頷き、佐那が座るための椅子を持ってくる。


「……ダンジョンってこんなにドキドキするものだったっけ……私が現役の時と全然違うじゃん」

「あはは、姫乃さんが拗ねてるー」

「そもそも女だけだったしね、うちらのパーティ。一時的に男子が入っても定着しなくて。ほら、うちら最強だから」


 動画の中では陽香が司に立場逆転され、『夜を這いずる手』によって眠りに落ちるところが映っていた。


「今の、何か魔法を使ったってこと? ちょっ……」

「陽香さん、寝袋の中でもぞもぞしてるんですよね。何か夢を見てるんでしょうか」

「そ、そう、夢ね。たぶんマッサージでもされる夢を見てるんでしょ、だから声が出ちゃってるわけ」


 サイファーがテントの内部を映すのをやめる。まだ動画鑑賞会は続く――姫乃は今日は泊まり込むことにしようと内心で決める。


 姫乃は一喜一憂している佐那の横顔を見ると、ふっと柔らかく微笑む。そして司たちの活躍を映している動画に視線を戻した。

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