第六十七話 妖気

 夕食を終えたあと、俺は秋月さんに食洗機の使い方を教えてもらった。


「おお……これは便利ですね」

「でしょー、この寮に来て感動したことの一つがこれなの。建物は古いけど、設備は結構整ってるんだよね」

「洗い物をすると手荒れが心配ですし、これがあると安心ですね」

「……司くんってたまに年相応になるんだけど、いつもは大人びてるっていうか落ち着いてるのよね。どっちが素顔だったりするの?」

「え……ま、まあ意識して変えてるわけじゃないですよ」


 年相応に見られた方がいいのか、それとも――『ベック』としての記憶に影響されている俺は、学生にしては枯れていると思われた方がいいのか。なかなか難しい問題だ。


「なんて、司くんが可愛いこと言うから、ちょっとからかいたくなっちゃった」

「っ……あ、秋月さん、それはさすがに……」


 頭を撫でてくる秋月さん。避けるわけにもいかずされるがままになるが、かなり照れるものがある。


 身長差があるので秋月さんは背伸びをしているが、そうするとエプロンを押し上げている巨大な質量が目の前で――目の焦点をぼかす以外にできることがない。


「司くん、髪の毛ふわふわ……私、やっぱり司くんなら大丈夫みたい」

「それは……さっき陽香先輩が言ってたことですか」

「ちょっと大袈裟に伝わってるけどね。学生の時にどういうわけか、私と決闘して勝ったら交際できる、みたいな噂が広まっちゃって……」

「勝手にそんなことになってたら困りますね。どうやって解決したんですか?」

「それはねえ……負けなかったらお付き合いはしなくていいわけでしょ?」


 学生時代は無敗だったということか――只者ではないとは思っていたが。


「秋月さん、学生時代は生徒会にいたんですよね。ということは……」

「あー、それは双葉ちゃんに口止めしておかないといけなかったわね。もうこうなったら言うしかないけど、生徒会長をやってたの」

「生徒会長……それって、全体ランキング1位だったってことじゃないですか」

「パーティに恵まれてたんだよ。司くんみたいに一年生からトップランカーだったわけでもないし」

「それでも凄いです。生徒会長をやってて、料理もできて……」

「……そうやって尊敬の眼差しで見られると、私も人間だから、普通に調子に乗っちゃいそうなんだけど。ここは年上の威厳を保っておかないとね」


 嬉しそうにしつつも、秋月さんは俺の頬をつんとつつき、そのままキッチンから出ていく。


「硯さんが上機嫌になってる……藤原のこと?」

「まあねー、どうでしょう。瑛里沙ちゃんたち、今からお風呂に入るの?」

「御厨さんたちと七宮さんは後で一緒に入るそうなので、私たちが先にということで……後輩くん、それでいいかな?」

「はい、俺は最後で大丈夫なので」

「あんた、リンのこともたまにはお風呂に入れてあげなさいよ。あの子、あんたの言うことなら一番よく聞くみたいだから」


 それは一応、俺が『捕獲』したからということか――猫は風呂が嫌いというイメージはあるが、リンの場合はどうだろうか。


(……またどこか行ってるみたいなんだが)


 周囲を見てもリンの姿は見当たらない。庭を探そうかとも思ったが、風呂場に通じている庭で今うろうろしていると、覗きの疑いをかけられそうだ。


 いったん部屋に戻り、風呂の順番待ちをしているうちに、久しぶりにスマホを見る。


(……俺の動画、まだこんなに見られてるのか)


 外部の動画投稿サイトの動画は消えているが、Sチャンネルでは未だに1位のままだ。


「お……これって……」


 3年生が行っているという、ダンジョン合宿の動画が上がっている。鳳祥先輩という人の動画だ――すでに2位まで上がってきて、じきに抜かれそうな勢いだ。


 その動画を開いて、説明欄を見る――まさか、そこに自分の名前が書いてあるとは思わなかった。


『藤原司くんの動画を見て、合宿中に色違いの魔物を探してみました』


 そう書いてあるが狙って見つかるものではない――それでも動画は鳳祥先輩のパーティの探索を応援するコメントで溢れていた。


 そして樫野先輩の動画も上がっている。学園の敷地内にある『第三公園ダンジョン』を天城先輩と探索したものだ。


 サイファーの撮影した動画をどうやって編集するか、俺も全く前知識がない状態ではいけないので、いくつか動画を見て勉強させてもらう――つもりだったのだが。


『――ニャーン』


 どこからか猫の鳴き声が聞こえた。リンが近くにいるのか――と考えたところで、ようやく既視感に気づく。


(ちょっ……す、水妖は、もう悪さは……しない、はずじゃ……)


   ◆◇◆


 意識が沈んだあと、再び浮上する――正直を言って困惑しているが、これはおそらく水妖の悪戯か何かだ。


「まったく……どういうつもりなんだ」


 自室を出て、俺は浴室に向かう。水妖はそこにいるはずだが――。


 脱衣所まで来ると、前とは様子が違う。浴室の方から、話し声が聞こえてくる。


『瑛里沙ちゃん、どうしたの? そんな厳しい顔で』

『何でもない。浮力って凄いと思っただけよ』

『……そう言われると、湯船に浸かりづらくなってしまうんだけど』

『別に気にしなくていいわよ、普通に感心してるだけだから。硯さんも阿古耶も楽でしょ、お湯に浸かってると』

『それはもう、ねえ……あっ、そういえば。瑛里沙ちゃん、私の肩こり用のマッサージするやつがどこに行ったか知らない?』

『え……そ、それって、これくらいの大きさで、先がブルブルってするやつ?』

『ええ、そうだけど……最近どこかで見た気がするのに、私の部屋には見当たらないのよね』

『……もしかして、藤原の部屋にあるとか?』


 心臓が跳ねる――というか幻夢の中だと思ったが、みんないつも通りに話している。


 水妖には悪意があるわけではなさそうだが、浴室にいるとしてもこれでは入れない。このまま立ち聞きしているわけにもいかないが、会話の内容が気になってしまう。


『硯さん、あの部屋に色々置いちゃってたじゃない』

『そ、それは……私も申し訳ないとは思ってるのよ、でも藤原くんが急に来ることになったから』

『瑛里沙は男子が来るのはいかがなものかと言っていたね』

『そ、それは仕方ないでしょ、色々気を使わないといけなくなるし。今はまあいいかなと思ってるけどね、藤原はなんていうか……実直……? だし……』

『あはは、その言い方だと、ちょっと違うみたいだよね。ねえ、阿古耶ちゃん』

『……私が見た夢の中では……い、いえ、夢の話は実際の彼とは関係なかったですね』


 俺が幻夢の中の登場人物だと思っていたみんなは、本当のところは――それを知ってしまっている今となっては、三人の会話に罪悪感を覚えずにいられない。


「……ん?」

『ご主人様、こちらにいらしていたのですか?』


 水妖の声がする――風呂場にいるのかと思いきや、脱衣所の蛇口から水が出てきて、そこから水妖が姿を現した。


『それでは少し計算違いですね……ご主人様がこちらに来てしまうと、魔力の産生が滞ってしまいます』

「っ……今、なんて言った?」

『ですから、魔力の産生です。ご主人様が連れてきた方々にご協力いただいて……あっ、私、もしかしてこれから怒られます……?』

「あ、あの人たちはな、ダンジョンで色々あって、疲れてて……」

『それについては問題ありません、お二人ともご主人様に奉仕をする資質は十分に……ああっ、睨まないでください、そんな冷たい目で見ないで……っ』


 どうやら水妖にとっては魔力を求めることが優先されがちで、御厨姉妹の心情については二の次らしい――そんな問題児を居候させている俺が全面的に悪いのだが。


『……その、一晩お会いしないという手もありますが、そうすると淫気の行きどころが無くなってしまいます』

「淫気って言うな……というか、それを放っておいたらどうなるんだ?」

『……どうなってしまうんでしょうね?』

「おまっ……」

『ああっ、皆さん上がっていらっしゃいますよ。ご主人様、ここは私に任せて先に行ってください……!』


 水妖はどうやら浴室から脱衣所に続くドアを開かないようにしているらしい――あまり長引くと怪しまれるので、俺は脱衣所を出るしかない。


 もう、こんな夜は御免だと思っていたが――西館を包む妖気めいたものを、見なかったことにはさせてもらえないようだった。

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