第五十八話 赤の階層
このまま先に進めば深度10に入る――その途中で、陽香先輩が立ち止まった。
「……司くんたちはまだ入学したばかりだから、授業で聞いていないと思うのだけど。ダンジョンの奥深くに進んだとき、起こりうる事象について話しておくわね」
「起こりうる事象……」
――迷宮の奥深くは、何の対策もなく入ることはできないの。
――装備や魔法で魔素中毒を防ぐ必要があるんです。
―ーまあうちは『大聖女』のソフィアがいるから、その心配もないんだがな。
「……ダンジョンの奥に行くほど、人体に有害な物質が濃くなるとか?」
「その通りよ。事前に勉強していたの?」
「いえ、河を渡る前から、何となくこっちの方向に何かがあると思ってたんです。それは下の階層から出てくる邪気とか、そういうものを感じ取ってたってことなのかなと……」
「藤原さんは肌でそういうのが分かるんですね。私も敏感な方ですけど、今になって分かってきたところです」
「……私も、危なそうな感じはする。匂い……みたいな……」
これ以上進むには、何らかの対策をした方が良さそうだ――陽香先輩はポーチから小さなケースを取り出して、その蓋を開ける。
「私が評価されている理由の一つとして、迷宮の奥深くでの魔素対策ができるというのがあるの。この塗料でみんなの手の甲に『抗魔の秘紋』を描くことで、魔素中毒の影響が知らないうちに出るという事態は防げるわ」
「なるほど……それは、他の方法では代替は難しそうですね」
「ダンジョン対策省は全身を覆うスーツ型の防具や、一時的に魔素を中和する魔道具も備えているのだけど、学園に配布されてはいないわね」
「でも、こうやって深層に入れてしまうと、対策になる道具は支給して欲しいですよね」
「それはそうなのだけどね。今ここにいること自体が例外と見ていい……報告しても、深度7以下の転移に再現性がなければ、学園が受理するまで時間がかかるでしょうね」
どちらにせよ俺たちは進むと決めた――一人ずつ陽香先輩に手を出し、紋様を描いてもらう。
「……くすぐったい」
「描いた途端に、もう効いてるって分かりますね……深度9でも魔素が濃くなっていたんでしょうか」
「いえ、一定の濃度を超えないと影響は出てこない。あくまで問題はここから……気を引き締めて行きましょう」
「はい、陽香先輩」
「……いいわね、ちゃんと尊敬のまなざしを向けてもらうのも」
俺たちは進み始める。青色の岩壁に覆われていた9階層――だが、その色が紫に変わり。やがて、赤色に変わっていく。
「これが、深度10……」
壁が赤い光を帯びて、脈動しているように見える。
今までの階層とはまるで違う。そして、俺はこのダンジョンに何が起きていたのかを薄々と悟る。
薄暗がりから姿を見せたもの――それを見た時、全身に悪寒が走った。
あの時、召喚の罠から出現した紫色のバルン。それは俺たちの姿を認めるや否や、不気味にブルブルと震え――不可視の殺気を放つ。
「――判別不能ノ攻撃ヲ検知」
「っ……!」
「司くんっ……!」
反射的に、先行していた陽香先輩より前に出る――そして迫る攻撃に対して感覚のみで『固定』を発動する。
《スキル『固定』を発動 対象物の空間座標が固定されます》
前回よりも余裕を持って止められた――レベルが上がったことで前に出るスピードも、敵の攻撃に対する感知も鋭さを増している。
螺旋のような形をした不可視の槍――『ヴォイドブラスト』が『固定』によって可視化される。紫色のバルンも攻撃を放つために躍動したところで止まっていた。
「紫色のスライム……これは、司くんが動画の中で戦っていたものと同じ……?」
「はい、前回はかなりヒヤヒヤしましたが、慣れると脅威ではないですね」
俺はサイファーを連れて、動かなくなったバルンのコアをノーマルバレットで撃ち抜く。パープルバルンは前回と同様に『リバイブストーン』に変化した。
「こんな倒し方ができるのは、藤原さんだけですよ……凄すぎます、本当に」
「……私も初めて見たから、まだドキドキしてる」
「それで、この……仮名を『パープルバルン』としますが、こいつの特殊攻撃は固定した状態だと圧縮できるんです」
《チップの内容:ヴォイドブラスト×3》
この攻撃の威力は折り紙付きだ――サイファーの腕を壊した因縁の技でもあるが、こちらの武器として使うなら切り札になる。
「……ヤハリ凄マジイデス、マスターノスキルハ」
「ええ、本当に……それにしても、急に魔物が強くなったわね。前の階層とは比較にならないくらい」
「はい。ですが、この階層であいつが出てきたことで、なぜ一階層の召喚の罠から同じ魔物が出てきたのか、ひとつ仮説が立てられます」
「……召喚の罠が、深層の魔物を呼び出すことがある。っていうこと?」
「そう……この十階層の魔物が、一階層に出てきた可能性がある」
「っ……それなら召喚の罠とは、転移の魔法陣と同じということになりませんか?」
「まだ断定はできないけど、可能性はある。この階層と他の階層は繋がっている……魔法陣を通じて」
脱出する方法が見えてきた。直接外に出る転移の魔法陣を見つけるのがベストだが、上層に移動さえすれば外には出られる。
「けれど……あの魔物がもしこの階層では『弱いほう』であるとしたら。攻略は難しくなるわね……」
「俺が前に出て遠距離攻撃を防ぎます。それさえできれば、パーティが崩れることはありませんから」
「それだと後ろからの攻撃に対応が難しくなるので、藤原さんが真ん中の方が良いと思います」
俺が真ん中、前に陽香先輩、左右に双葉さんと七宮さん、後ろにサイファー。この十字の陣形は――。
「ピピッ ワタシノポジションガ一番安全デスネ」
「前方の敵に対してはそうだな。後ろから来た場合も感知はできるか?」
「ハイ、360度モニターデ、集音ニツイテモ全方位対応シテイマス」
「……インペリアル……何でもない」
七宮さんは言うのを途中でやめて、俺の腕にそっと寄り添ってくる――それを見ていた双葉さんも、しばらく進んだところで俺の袖を引いてくる。
「……あっ、お、お構いなく。七宮さんがそうしているので、私も左右対称にすべきかと思いまして」
「我が妹にしては言い訳が上手くないわね……司くんが動きにくいと元も子も……」
「――ピピッ 左方ニ魔物ノ出現ヲ感知」
「――双葉さん、すみませんっ!」
《スキル『固定』を発動 対象物の空間座標が固定されます》
再び出てきた『パープルバルン』の奇襲に近い攻撃を『固定』で防ぐ――双葉さんを庇うために引っ張ってしまい、勢い余って抱きつかれてしまう。
「す、すみません……私、このパーティで一番役立たずですね……」
「そんなことはないですよ……と、新手が出てきたな」
次に姿を現したのは人型の魔物『マッドブラウニー』の色違い――元は茶色の帽子を被っていたが、今回は血のような赤色だ。
「……待って。あの魔物が持っているのは……」
赤色の帽子を被った小鬼は、両手に何かを持っている。
右手には、血に濡れたサーベルのようなもの。そして左手には、破り取られた衣服のようなもの――それもまた、赤く変色している。
「ここに来るまでに、人間を襲ったというの……?」
「なぜ、誰もいないはずの深層で、そんな……」
「……来る……っ!」
喜色を隠しもせずに小鬼が飛びかかってくる――陽香先輩は怯むことなく短剣を抜き放ち、応戦の姿勢を取った。
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