OTHER4 異界


 ――司たちが2号ダンジョンに入ったすぐ後のこと。


 ダンジョン入り口のある建物に入ってきた日向龍堂、そして岩切瞳と三人の従者たちは、連条孝臣たかおみ教諭の眼前にいた。


「学園の先生までこんなふうに支配してしまうとか……そのスキル、私にも教えて欲しいくらいですよ」

「日向家で飼っている人間の能力だよ。連条先生、確かに藤原司たちはこのダンジョンに入ったな?」

「ああ……つい先程、ダンジョンに入っていった。もう数分もすれば転移位相が変化するだろう」


 通常なら漏らすべきではない情報を、連条教諭は龍堂たちに明かしてしまう。


「その謹製のペンダントがあれば、学園長以外は言うことを聞かせられるんですよね」

「本人の尊厳に関わることや、命に関わることは命令できないがな。まあ、こうやって制限された場所に出入りする時には役に立つ……さて、位相が変わらないうちに行くとするか」

「私が前衛を務めますよ、一応護衛を仰せつかっていますしね」

「お前の腕は買っているが、爺が俺よりお前の方が強いと思っているのは気に食わない」

「……ここでってもいいですけど、そんなことしてる場合じゃありませんよね。あまりおいたはなさらないでください」


 皮肉を込めた岩切の物言いに龍堂は薄く笑うと、ダンジョンに続く階段を降りていく。


 ――その途中で、彼らは『同じ声』を聞いていた。



『――招かれざる者よ。彼の地に至り、罰を受けよ』



「なんだ……誰かいるのか? 先に入った藤原たちの声……いや……」


 龍堂の問いかけに答えるものはない。転移はすでに始まっている――そして。


「……ここは……これが2号ダンジョンだとでもいうのか?」


 鈍い赤の輝きを放ち、脈動するような壁。龍堂たちはただの岩窟であるはずの2号ダンジョンの一層とは、まるで違う光景の中にいた。


「こ、これは……転移事故……っ」

「シッ……そんなはずがない、ここは2号ダンジョンで、レベル5もあればほぼ危険のない場所のはずだ……!」

「……あなたたち、私語は慎みなさい。ここは龍堂様のご意見を伺いましょう」


 岩切に制されて、従者たちは口を噤む。周囲を睥睨していた龍堂は、振り返った時には――愉悦の笑みを浮かべていた。


「そういうことか……藤原司、あいつも日向家で飼う必要があるようだなァ」

「どういうことです? ここに転移したことに、彼が関係しているとでも?」

「そうとしか思えねえだろ。あいつは何らかの方法で、転移位相が異常になるケースを把握してるんだよ。それでダンジョンの未踏エリアに入って、色々と収穫を得ていたわけだ。騎斗をやった化け物に対する攻撃、あれも未踏エリアの収穫物さ」

「……断定するには早いですが。彼らの後をついてダンジョンに入ったらここに転移した……ということは、彼らも近くにいるということですね。どうします?」

「それにしちゃ、近くに痕跡がない。憶測を重ねるのもなんだが、あいつは未踏エリアに入る能力はあるが、『どこに転移する』かまでは制御できないんだろうな。だが、それは俺たちにとっては付け目になる」


 龍堂は演説でもしているかのように熱を込めて話す――すると怯えていた従者三人が、熱に浮かされたかのように活気を取り戻す。


「さすが龍堂様……全てお見通しでいらっしゃるのですね……!」

「やはり龍堂様についていけば間違いない。私はそう信じておりました!」

「はいはい。本当に怖いですね、日向家の能力は」


 岩切は従者たちを見て呆れたように肩を竦めると、龍堂の耳元で囁くように言った。


「まあその能力は、あなたよりレベルが高い人には通じませんけどね」

「ハッ……分かってるならせいぜい俺にレベルを抜かれないようにしておくんだな」

「きゃっ、怖ーい。なんて、本当に期待はしているんですよ。勝ち馬に乗らないとつまらないですしね」

「……待て。向こうから、何か……」


 赤く胎動する洞窟。その暗がりから姿を見せたのは――紫色の軟体生物スライム


「バルン……いや、おかしい。このダンジョンには緑色グリーンしか……」

「――龍堂様っ!」


 岩切が飛ぶように動いた――龍堂を突き飛ばしたあと、彼らの背後を不可視の力が通り過ぎ、突き抜けた先にある岩壁に衝突する。


 螺旋状にえぐれた岩壁を、岩切に押し倒された姿勢で龍堂は見ていた。冷たい汗が額を伝う――だが、その目に鋭い光が戻る。


「散開しろ! あの攻撃は目に見えねえ、当たれば死ぬと思えっ!」

「「「はっ……!」」」

「あの紫色のバルン……動画で藤原司と戦っていたものと似ていますね。まさか、ここで巡り会えるなんて」

「なんであんな化け物がうろついてる……これが未踏エリアってことかよ……上等じゃねえか……!」


 立ち上がった龍堂は腰に帯びていたサーベルを抜く。岩切もまた、長物の日本刀をずらりと抜いた。


「――お前らは近づかなくていい、そこから援護しろっ!」


「はっ……『サンダーショット』ッ!」

「『クイックストレイフ』ッ!」

「『風魔手裏剣』……ッ!」


 三人の従者が攻撃を放つ――しかし紫色のバルンの周囲の空間が歪み、全ての攻撃が消失する。


「おぉぉぉぉっ!」


 駆け込んだ龍堂が斬撃を繰り出す――魔力で強化された刃が空中に軌跡を残す。しかしそれもまた、空間の歪みによって防がれる。


「――『疾風薙はやてなぎ』……!」


 龍堂の背後から詰めていた岩切が、直後に斬撃を繰り出す――その一撃を紫色のバルンは防ぐことができず、直撃して液状の組織が飛び散る。


 まだ動いているバルンに近づくと、岩切は思い切り踏みつけを浴びせる。そして刀を納め、振り返った。


「あのバルンの防御スキルは立て続けに連続では使えない。よく見抜かれましたね」

「……スキルってもん自体によくある制限だ。当たってなけりゃ、ボロ雑巾にされてたのは俺たちだろうなァ」

「そんなつもりは毛頭ないくせに……それにしても、この魔物、強いわりに倒しても収穫がないですね」


 岩切は再びバルンの様子を確認しようとして、視線を送ろうとする。


 ――その時、彼女は違和感に気づいた。気づくのが致命的に遅かったということも瞬時に理解していた。


 地面に突如として現れた『淀み』。その中から伸びてきた手が、岩切の足を掴んでいる。


「なっ……あっ、あぁっ……ふざける……なっ、貴様ぁぁっ……あぁぁぁっ……!!」


 岩切が地面に引きずり込まれていく。その光景は、ダンジョンに幾度となく潜っていた龍堂たちにとっても明らかに異様で、言葉を失うほどのものだった。


 岩切の姿が消えたあと、不気味な静寂が訪れる。


「岩……切……」

「う、うわぁぁっ……岩切さんがっ……!」

「龍堂様、ここは危険です、一刻も早く『スクロール』を……きゃぁっ!」


 『離脱のスクロール』を使おうとした従者の頬を打ち、転がったスクロールを取り上げ、龍堂は三人を睨みつけた。


「……岩切を放っておけってのか? これはチャンスだ……俺たちは藤原が倒した化け物の一匹を倒している。なら、もう一匹もどうとでもなるだろう」

「で、ですが……」

「進んだ先で手に入るモノは果てしなくデカい……俺についてくるなら全員に報奨をやろう。ゆくゆくは当主になった俺の直属にしてやってもいい」


 龍堂の言葉に、ごくりと従者の一人が生唾を飲む。


 もはや彼ら全員が、自分たちの状況を自覚していなかった。


 この赤く胎動する深層に足を踏み入れた瞬間から、自分たちが正気を失いつつあったことに。





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