OTHER3 特別教室
1年D組に籍を置いたまま、別の教室で授業を受けることになった
「……名前を変えた方がいいってことですか?」
「はい、日向君の本家の意向で、一時的にとはいえ女性になった以上、『騎斗』と名乗るべきではないとのことで……」
ここに来て騎斗が初めて顔を合わせた女性教師は、1年D組の担任である伊賀野教諭とは違い、忖度することは一切なかった。
なぜ、そうなってしまったのか。騎斗には思い当たる節があった――とは言っても、彼自身も今になるまで、そのスキルのことを忘れていた。
(聖騎士のスキル、『威風』……あれは仲間の信頼を得るというものだった。けれど、実際に起きていたことは違う……僕に対する過剰な忠誠。やっていたことは魅了に近い)
「やはり、スキルを失っているようですね。日向家の方々は多く『騎士』系統の職業を輩出している。あなたは『聖騎士』だったが、今はそうではない」
「……何が言いたいんです? 僕を嗤うのならそうしてください。僕自身がそうしたいくらいなんだ……ははははっ……ははっ……」
自棄に陥りかけた騎斗の額に女性教師が指を当てると、騎斗は落ち着きを取り戻し、スカートの上に置いた手を握りしめる。
「……おかしいですよ。人間の性別が一日で変わって、それに、姿も……元の僕はどこに行ったっていうんです」
「あなたに起きた現象を、医師も十分に解明できていません。しかし言えることは、あなたは遺伝子的に『日向騎斗』であるということ。しかし肉体は、完全に女性に変化している」
「……あの魔物は、一体僕に何の恨みがあって……」
「人間の生命力の根源が魂であるとするなら、『生命吸収』は魂に変容を起こすのかもしれない。それがあの魔物……『ジョーカー』の映像を見た識者の意見です」
「識者って……あの魔物に会ってもいないのに、好き勝手なことを……っ」
騎斗には強く否定できない理由があった。今の話が元に戻る手がかりかもしれない――そんな考えが
「……あの魔物を倒せば、僕は元に戻れるんでしょうか」
騎斗の質問に教師は答えない。ただ、探索者としての登録名を記入する用紙を騎斗の前に置く。
「今の僕には、名前なんて必要ありません。いつか戻るまでの、一時的な姿ですから」
「――そうは行かないんだなあ」
教室の扉が開き、姿を見せたのは――騎斗が男性であった時の姿に面影が似ていて、しかし一回り大人びている短髪の男子生徒だった。
「どうも弟のことをありがとう、少し外してもらえるかな」
「日向様、ですが……」
「弟も日向で、俺も日向だ。龍堂と呼んでくれると助かるな」
「……龍堂様、私は騎斗様の指導役を仰せつかっております」
「それでも今は外せと言っている。二度も繰り返させるな」
「っ……失礼いたします」
女性教師が一礼して出ていく――入れ替わりに、長身の女子生徒が入ってくる。こちらも龍堂と同じ、二年生と分かる青色の学章をつけていた。
「……龍堂様、
「っ……
「護衛として
龍堂の視線を前に、騎斗は震えがくるほどの畏怖を覚える――レベルが1に下がった今は、自分とレベルが離れている相手と向かい合うことができない。
レベル15の時とは見えている世界が違う。まして騎斗の兄である龍堂は、それ以上のレベルに達している――少し気まぐれを起こせば殺される、騎斗は本気でそう感じていた。
「おいおい、何も可愛い弟をこれ以上苦しめようってつもりはないんだぜ」
「弟って……どう見ても女の子なんですし、相応の扱いをするべきでしょう。ねえ、
「ぐっ……ぅぅ……」
「ああ、泣いちゃいそう。困りましたね、場を和ませようと思って言ったのに」
「騎斗、お前がその姿で『騎斗』を名乗って歩くのは駄目だ。家の恥だと後ろ指をさされるのは嫌だろ? だからお前は、お前が生まれる前、女だった場合のために考えられていた名前を名乗れ……『
「っ……ぼ、僕には別の名前なんて……っ」
騎斗は両肩に手を置かれる――岩切という女子生徒は、ただそれだけで、完全に騎斗の動きを止めていた。
「いい名前じゃない、鞍音ちゃん。初めからそう名付けられていても良いって思えるくらい、あなたに似合ってるわ」
「まあ、慣れるのに多少かかるがな。弟……いや、妹よ。名前のことは正直形式的なことでしかなくて、話したいことは別にあるんだ」
「……兄さん、一体何を……」
「知れたことだよ。『日向』の名を貶めた奴には、報いを与えなけりゃな」
「っ……だ、駄目だ……兄さん、あの魔物に近づいちゃだめだ、あれは手を出していいものじゃ……っ」
騎斗が反射的に思い浮かべたのは、道化師の仮面を被った怪物のことだった――しかし、龍堂が意図している相手は違っていた。
魔物ではなく、人間。龍堂の敵意はジョーカーを倒したとされる藤原司に向けられていた。
「なぜお前だけが致命的な状況に遭い、『荷物持ち』なんかが功績を上げる? おかしいとは思わないのか。俺は全く納得がいかない。ランクEなんぞが全体ランキングで俺より上を行くなんてあってはならないことだ」
「それはそうですね。1年の終わりに3位まで上がってこれからというときに、ルーキーに差されるなんて晴天の霹靂というか……本当にショックですよ」
「ひっ……!?」
ベキッ、と音を立てて、岩切の持っていたペンが砕ける――騎斗に書類を書かせるために用意されたものを壊してしまい、代わりのものが差し出される。
「ごめんなさい、ちょっと力が入っちゃいました」
「それだけ岩切も納得がいかないっていうことだ。だから俺たちは行動を起こす……今日はお前を連れていくべきかどうか、顔を見に来た」
「兄さん、僕は……っ」
「だが、レベル1じゃあ少々酷だな。職業まで無くなっているらしいじゃないか……もう一度『聖騎士』になれりゃいいが、全く別のものになったりしてなァ。そうなったらそうなったで、俺はお前を見捨てたりはしないぜ?」
「……僕は必ず、元の身体に戻る。そのためになら、どんな思いをしてでも、レベルを戻して……」
「その魔物が何をしたのかさえ分かりゃあ、お前を元に戻せるのかもな。それを知るには、ダンジョンに入り込んだネズミを追いかければいい」
「……どうやって? ダンジョンの入り口はいつも監視されているのに。それに、藤原くんの後について入ったりするのは、僕はとても勧められない」
兄を引き留めようとする騎斗だが、龍堂の瞳から温度が消えていく――こういった目をする時に兄が何を考えているのか、騎斗はよく理解していた。
「……俺が藤原に負けると思ってるのか? 藤原にできることは俺にもできる。むしろより上手くこなせるさ」
「藤原くんたちが入るのは2号ダンジョンで、監視の先生は……日向家の息がかかった人。自覚していなくても、彼は龍堂様を見逃してしまうんですよ」
「……そこまでして彼を追いかけて、兄さんは……」
「俺たちがダンジョンに入ることは誰にも知られない。じゃあ、ダンジョン内で何が起きてもおかしくないっていうことだ……違うか?」
冗談めかせて言う龍堂の目は、全く笑っていない。騎斗は何かを言えば自分が罰せられると感じて動けなくなる。
「いい子ですね、鞍音ちゃん。仕事が終わったらレベル上げには付き合いますよ、いちおうご主人さまの妹さんですしね」
「それくらいは自己責任でやらせるさ。なあ、鞍音……その姿なら、その辺の生徒にでも声をかけりゃパーティくらい組んでくれるだろうよ」
「職業がないのに? 酷なこと言いますね、
龍堂と岩切が教室を出ていく。残された騎斗は、登録用紙を前にして――力を込めて掴もうとして、その手を止める。
「……元の名前を名乗ることすら許されないのか。僕は……」
この学園に『日向騎斗』はもういない。残されたのは『鞍音』という仮の名前を持つ女子生徒。
ダンジョンに入っているという司のことを追いかけるにも、その力はない。
「……私は……鞍音。日向騎斗じゃない……」
誰もいない教室で、彼女は机の上に転がっているペンを手に取る。そして、これから自分が名乗るべき名前を、震える手で書き込んだ。
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