SIDE3 女神と神秘師
◆◇◆
どこかの空に浮かぶ神殿――天井はなく、柱だけが立ち並ぶその空間に、別の場所の映像が浮かび上がっている。
どこからともなく女性の姿が現れる。それはかつて『ベック』が生まれ変わる際に邂逅した存在だった。
『はぁ……やっぱり自覚がないんですね、自分がしていることを周りにどう見られているのか』
彼女はかつて、ベックがまだ冒険者として駆け出しの頃に出会っていた。
少年だったベックは職業鑑定で『荷物持ち』と判定され、十五歳まで一つのパーティに定着することなく、利用され、時に捨てられ、それでも冒険者であり続けようとしていた。
全ての命は平等で、それを天から見下ろす者たちは誰かに肩入れをすることはない。
しかし彼女はベックに興味を持ってしまった。彼は深淵の獣がいた迷宮に潜るまでにも何度も死にかけている――そのたびに天界に呼ばれかけ、そして生還を繰り返した。
普通ならとうに諦めている。『荷物持ち』は『龍殺し』を始めとした、人間を超越する力を持つ
『荷物持ち』ではベックの夢は叶わない。そもそも、生きた先に叶えたい目的はあるのだろうかと、彼女は『見守る者』として似つかわしくないことを考えた。
――その職業を生かした仕事は他にもあるのに、どうして冒険者でいたいの?
――それは俺にも分からない。まだ知らないものが見たいからなのかもな。
アンゼリカという『魔法姫』の少女は、生まれながらに最高位の魔法を行使する能力を与えられ、『龍殺し』のリュードと、『大聖女』のソフィアとパーティを組み、無敵の名を欲しいままにしていた。
そのアンゼリカが、魔物の毒を脚に受けた際に、ベックに吸い出すように命じた。
ベックは指示に従ったにも関わらず、アンゼリカの魔法によって電撃のような苦痛を与えられた。
ベックは何も気付いておらず、見守っていた彼女だけが理解していた。
『……そういう気に入られ方をしやすいんですよね、この人は。私もあまり言えた義理はないですけど、転生しても女難の相が出てるとか、魂に刻まれちゃってないですか』
毒を中和する過程で、催淫性のある成分に変化する――それは御厨陽香の言っている通りだったが、彼女が司のテントに入った時に気配を消すスキルを使ったのは、明らかに理性的な行動だった。
『あぁ……このまま推しが食べられちゃうところを見てるとか、私に変な趣味があるみたいじゃないですか。せめてこういう形じゃなければいいんですけど、これは駄目ですね』
彼女は自分が『ベック』という冒険者のファンであり、『藤原司』という探索者を追いかけていることを自認していた。
助け舟を出すにも、現世に干渉することはできない。それでも、彼女には唯一許されていることがある――司が与えられた二つのスキル、それに関係する情報を開示する行為。
『これで何とかしてくださいね……大丈夫ですよ、
祈るような言葉。浮かび上がった映像は、陽香が司の手を取る場面に差し掛かっていた。
◆◇◆
『錬丹の秘紋』は、毒を変換したあとにどんな成分ができるのか、経験則がなければ予測することができない。
御厨陽香は自らのスキルの有用性に気づいたあと、探索時に新種の毒を体内に入れようと考えてきた。
麻痺毒を変換したことは以前にもあるが、その時は逆に鎮静作用が出て半日ほど目が覚めなかった。司が言うように媚薬のような効果が出たことは以前にもあるが――その時は内側から鍵を開けられない部屋に自ら入り、成分が抜けるまで一人で過ごした。
(必要な行動だったとはいえ……やはり不用意に使っていいスキルではないんでしょうね。けれど毒が体の中で変換される時の感覚は……)
「陽香さん、向こうのテントに妹さんも、七宮さんもいるんですよ……っ」
司のテントに入り込むとき、陽香は『静謐の秘紋』を使った。それは自分でも抑制することができない衝動によるものと、残された冷静な部分との半々によるものだった。
(そんなのは言い訳で……元来の性質なんでしょうね。認めたくはないけど……)
心臓が高鳴り、それを心地良いと思う。素肌を見せている恥じらいよりも、司が控えめに向けてくる視線に対する興味が勝る。
「これは必要なことなの……藤原くんは、何も悪くないのよ。抑えられない私が未熟なだけ……」
司がその気になればいつでも『固定』で動きを止められると分かっている。
だからこそ、司の手を取ってみたいと思った。陽香は自分の胸に司の手を触れさせようとする――その直前で、おそらく全ては止まって、動けるようになった頃には、まるで悪い夢でも見ていたように、笑い話になる。
(……止まらない……藤原くん、本当に……)
最後に残った罪悪感で、陽香は自ら手を止める――しかし。
『そんなふうに誘われたら、俺も止められないですよ』
「えっ……そ、そんな……藤原くん、いつもと目が違う……っ」
『俺はいつもと同じです。先輩が悪いんですよ、俺を子供だと思っているから」
どちらかといえば陽香に押されていたはずの司が、いつの間にか主導権を握っている。
触れるか触れないかのところにあった司の手が、自ら動く。陽香は思わず声を上げそうになり、今度は自分が他のテントにいる妹たちを意識して、口に手を当てて声を抑えた。
「ふぅっ……ん、んんっ……」
『これは毒のせいなんです。陽香さんは何も悪くないんですよ……我慢しないで』
(いつもの彼と違う……草食なんて、私たちの思い込みだった。これが、本当の……)
司の手が動くたびに、意識が揺さぶられるほどのビリビリとした痺れが走る。
「だ、駄目……藤原くん、私、そこまでは……っ」
『しようとしてなかった? それは今さらじゃないですか。こんな格好をして俺を挑発して……誘ってくれてたんでしょう』
「そ、それは、毒の……せいで……」
『俺のことをからかうつもりだったんじゃないですか。駄目ですよ、男は狼なんだから』
司の手が、陽香の細い手首を掴んでいる。決して強引なばかりではなく、離そうと思えば離せるほどで、試しているような掴み方。
(……変わってしまったように見えるけど、優しい。この藤原くんも、藤原くんであることに変わりない)
「……こんなことをしておいて、恥ずかしいけど……私……」
『大丈夫ですよ……優しくしますから。天井のしみを数えてたら終わります』
「ふふっ……新品のテントなのに。それなら私は……あなたの目に映ってる星の数でも数えることにするわね」
『そうですね……陽香先輩っていう、一番星が映ってますから』
一人用のテントが小さく揺れる。そして静かになり――やがて、抑えたような声が漏れ始める。
◆◇◆
まだ心臓がバクバクとうるさい――鎮めようもないので、しばらく洞窟の天井でも見ているしかない。
「ふぅ……」
危ないところだった――本当にギリギリだった。
名称:夜を這いずる手
備考:相手を一時的に眠らせ、夢を見せている間に魔力を吸収する。
価値:不明 出品記録なし
パーティの仲間に対して使うべきものじゃないが、今回ばかりは仕方がない――『水妖』に幻術をかけられた時に圧縮しておいたものだが、こんな時に使うことになってしまった。
「……んっ……駄目、そこは……藤原くん……っ」
テントの中を覗いて見ると、シュラフの中に寝かせた陽香さんがもぞもぞと動いている――どんな夢を見ているのか分かってしまうので、起きた後のことが今から思いやられる。
(夢ならいいってもんじゃないよな……途中で手を取られるまでは夢じゃないし……)
「――ピピッ」
「っ……サ、サイファー……」
サイファーがいることを失念していた――というか、見張りをしてもらっていたのだから、移動する陽香さんのことも普通に見えたはずだ。陽香さんはスキルでも使って、サイファーの監視をくぐり抜けたということか。
「……マスター、エッチナ行為ハ探索中ハ推奨デキマセン」
「エ、エッチって……誤解しないでくれ、俺は何も……っ」
サイファーが搭載している液晶パネルを俺に見せてくる――そこには陽香さんが俺に抱きついているところが鮮明に映っていた。
「……申シ開キハゴザイマスカ?」
俺は今までの人生で最も美しい土下座を披露し、サイファーに内緒にしておいてもらうように頼みこむこととなった。
「全ク、油断モ隙モアリマセン……私ノマスターニ何ヲシテルノデスカ。ヤッパリ『オイロケ』ジャナイデスカ」
俺というより陽香さんに対してサイファーは不満があるようだった――それでもまだ頭を上げられないことには変わりないが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます