第五十四話 野営

 地底河から少し離れたところに大きめの起伏があり、皆はその向こうに退避していた。


「陸地には魔物が少なくて良かったですね……でも……」

「……くしゅんっ」

「服が濡れてしまったから、乾かさないと体温を奪われてしまうわね」

「現在気温ハ15度デス サーモグラフィーデモ皆様ノ体表温度が下ガッテイマス」

「簡易コンロがあるから、白湯でも沸かして暖を取るか。服を乾かすのは……普通に干すと時間がかかりそうだな」

「洞窟で服を脱ぐなんて、誰にも見られていなくてもなかなか度胸が必要ね。脱いだとしてもその後どうするのかという問題もあるし」


 こういうケースで持ち込んだものが役に立つとは思わなかった――簡易更衣室として、持ってきたテントが使える。


「あの、俺テントを持って来てるんですが。設営もそれほど時間はかからないと思うので、ここで服を乾かしますか?」

「テント……そんなもの、どこに持っているの?」

「あっ……あのスキルで小さくしてきたってことですか? テントってショップでも売ってるみたいですけど、結構なお値段がしたような……」

「ダンジョンに入るなら準備をしておこうと思って、ここに来る前に立ち寄ったんです。資金は運良くというか、その場で工面できたので」

「……服の乾かし方なら、私がなんとかできるかもしれない」

「ああ、それは助かるな。そういうことなら短い休憩で済みそうか……じゃあ、早速テントを出します」


《チップ:六人パーティ用の野営道具の圧縮解除》


 テントのパーツや椅子などの野営道具一式。異世界のテントと比べると設営時間を短縮できるように工夫が凝らされている――先人の研究と研鑽には頭が上がらない。


「テントを建てるのは授業でも練習するけど、地下型のダンジョンに持ち込む人はあまりいないのよね。野外ダンジョンでも、運ぶ担当の人がいなくて持っていけなかったり」

「それを考えると『荷物持ち』の人って、実は物凄い貢献度ですよね。連盟はどうして『ランクE』にしてるんでしょう……」

「戦闘や、他にない特殊な能力を重視してるからだと思う。藤原くんは、特別」

「ふふ……いいわね、七宮さんのそのピュアさは私も見習わなくちゃ」

「特別って色々な意味がありますよね、お姉様の突拍子のない言動も『特別』ですし」


 この姉妹は互いに遠慮なくものが言える関係らしい――そういうのは、少し見ていて羨ましい。


「『荷物持ち』だからものを小さくできるなんて言っても、なかなか信じてはもらえないでしょうね。藤原くんは特別スペシャルな存在なのよ」

「え、えーと……褒め殺しみたいになってきてませんか。とりあえずテントを建てますね」

「私たちも手伝います。えーと、マニュアルはありますか?」

「ここにある。まず内側のテントを広げて……」


 七宮さんと双葉さんがテキパキと動いてくれている――『ベック』はほぼ一人でテントを建てていたので、何か無性に感動してしまう。


「ピピッ 今回ハ建設用装備ガアリマセンノデ、周辺ノ偵察ヲ行イマス」

「ああ、気をつけてな。魔物に遭ったらすぐ知らせてくれ」

「私は何をすればいい? 藤原くん、良かったら教えて」


 陽香さんがやってきて尋ねてくる――感極まっている場合ではない。


「はい、七宮さんたちがそっちの支柱をやってるので、もう一本の支柱を伸ばしてください。俺と一緒にやりますか、伸ばしたらその穴に通して……」

「……穴に通す……これでいいの?」


 インナーテントを支えるために支柱をスリーブに通すという工程だが、陽香さんは初めてということで傍について教える。


(……なんだ? この感じ……陽香さんに近づくと……)


 協力して設営をするのはいいのだが、何か忘れているような――と、思い出したのが双葉さんとほぼ同時で、俺たちは顔を見合わせる。


「お、お姉様っ、テントは私達で建てるので、向こうで休んでいてください。さっきは凄い活躍でしたし」

「そう? それならお言葉に甘えさせてもらうわね。藤原くん、ここの穴だけ通していくわね」

「は、はい……そうです、そのまま押し込んで……」


 さっきから頭がボーッとするような――これは双葉さんの警告していたことに関係あるのだろうか。陽香さんに近づかないようにと言っていたが、迂闊にも接近してしまった。


「はぁ……こうなっちゃうとどうにもならないんですよね、私にも」

「……何のこと?」

「い、いえ……七宮さんがいてくれて良かったです、話していてほっとするっていうか」

「藤原くんも、話してるとほっとする。あまり警戒しないでいい」

「いえ、藤原さんは草食動物みたいに温厚な人だと分かったので、警戒はしていません。その、戦いのときは顔つきが変わりますけど」

「はは……どんな顔してるのか、自分でもちょっと心配になるな」


 話しながらも手を動かし、テントを建てる――ペグを打つ時に岩盤が硬すぎるところがあったので、そこは『固定』を使うことにする。


「できました……っ、すごい、本格的なテントですね」

「……一泊くらいは問題なくできそう」

「次は服を洗わないといけないし、身体も洗う水が必要か。ボトルの水だけじゃ足りそうにないな……」


 ペットボトル4本を圧縮したチップを復元して七宮さんたちに渡す。これで身体を拭くくらいはできるが、服を洗うには足りない――もう4本は非常用の飲用水として残しておく必要がある。


「……あっ、そうだ。サイファー、近くに清潔な水源はないか?」


 偵察を終えて帰ってきたサイファーに聞いてみる――水場だらけのダンジョンなので、全く期待できないこともないはずだ。


「ピピッ アチラノ方向ニ湧キ水ガアリマシタ 飲用ニハ念ノタメ煮沸ガ必要デスガ、洗濯ニハ十分使用デキマス」


 そういうことなら、服はそこの水を利用して洗えばいい――俺が何か言う前に、双葉さんが陽香さんを連れてきて、三人がテントに入っていき、入り口のファスナーが閉じられる。


 しばらく待っていると、テントの入り口のファスナーが少し開いて、三人が着ていた服が出てきた。


「こ、これをお願いします……あの、すみません、こんな時に、ご迷惑ばかりおかけして申し訳ないんですが……」

「ど、どうした? 何か声に力がないけど、さっきの戦闘でどこか怪我でも……」

「身体は……大丈夫だと思うんですが、眠気が……」

「……イカの足に巻き付かれたときから、徐々に眠くなってきてた」

「っ……わかった、シュラフを置いていくから、なんとかこれを使って休んでてくれ。みんなが起きるまでは俺が見張りをする」

「はい……すみませんが……ふぁ……」

「はふ……藤原くん、気をつけて……」


 抗いがたいほどの眠気があるのだろう、二人の声がそのまま聞こえなくなる。俺は開いたファスナーの隙間から復元したシュラフを差し入れて、サイファーの教えてくれた湧き水の場所に向かう――無事にイカを倒せたはいいが、置き土産でかなり時間を取られることになってしまった。


   ◆◇◆


「ふぅ……」


 野営用具の中に物干し用のポールが含まれていたので、洗った服は全て干した。


 七宮さんが服を乾かす方法があると言っていたが、おそらく彼女のスキルを利用するのだろう。その彼女が眠ってしまった今は、起きてくるまで待つしかない。


「……サイファー、あのイカというか、『ミミックスクイッド』って魔物らしいんだが、あれの睡眠毒って眠くなる以外に害はないのか?」

「ピピッ アノ巨大生物ハ未登録ノモンスターデスガ、検出サレタ成分ハ既存ノ成分デシタ 睡眠毒ハ睡眠効果ノミ、麻痺毒モ同ジデス」

「それなら心配ないか。状態異常対策もしっかりしないとな……今後の課題がいろいろ出てきたな」

「マスター、私ガ見張リヲシテイマスノデシバラク休憩ナサッテクダサイ」

「そうか……わかった、じゃあ少しだけ休ませてもらうよ」


 俺の分のテントもあるので、周囲に魔物がいないことを再度確認してから設営する。このサイズだと完了まで5分もかからなかった。


 テントの中に入り、シュラフの中に入るまではせずに、下に敷いて座る。なるべく凸凹の少ない場所を選んだおかげで、十分身体を休められそうだ。


(……みんなが起きてきたら、どうするか……あの河を渡ってみるか、離脱の魔法陣を探していったん引き上げるか。状況的には後者のほうが良さそうだが……)


 陽香さんが言っていた通り、もう一度9階層に転移できるかは分からない。やれるだけのことはやってから脱出しなければ心残りになりそうだ。


(……ん?)


 周囲に気を配っているつもりではいた。テントの中とはいえ、魔物が出ればすぐに外に出られるような気構えでいた――だが。


「藤原くん」

「っ……!?」


 いきなり、後ろから抱きつかれた。俺の首に腕を回しているのは――信じがたいことだが、陽香さんだった。


「ど、どうしたんですか、陽香さん。向こうのテントにいたはずじゃ……」

「双葉から忠告されたんでしょう? 毒を中和したあとの私に近づいてはいけないって」

「……はい、そう言われました。でも、事情は聞くなとも……っ」


 前に回ってきた手が俺の胸をなぞる。くすぐるような触れ方ではなく、それは――控えめに言っても、愛でるような手つきだった。


「『錬丹の秘紋』は、毒を中和して消すものではないの……」

「そ、それじゃ……陽香さんの身体が……」

「ふふっ……心配しなくてもいいわ。命に関わるとか、そういう意味ではね」

「じゃ、じゃあ、どういう……」

「毒の成分を、生命の危険がないようなものに変える……『錬丹』というのは、私の身体の中で毒を他のものに作り変えるということを意味しているの。例えば……」


 頭の中で何かが弾けるような感覚。目の前に火花が散っているような錯覚――首筋に柔らかいものが触れている。


「……ま、まさか……他のものって『媚薬』とかなんじゃ……」

「ええ……そのまさかなの。『錬丹の秘紋』の副作用としては、これでも軽いほうね」

「い、いや、軽いといっても俺には問題だらけで……っ」

「……逃さない。あなたには責任を取ってもらわないと……あんな大事なことを私に黙っていたのだから」


 大事なこととは何か――思い当たることがないわけではないが、この状況は危険すぎる。


 しかし言葉と裏腹に、陽香さんは俺に抱きついてはいても、その腕に力は込められていない。容易に、後ろを振り向くことができる――そして。


「……七宮さんには内緒にしておいてあげる」


 いつもなら彼女の冗談を笑って、それで終わらせられるのに――今回ばかりはそうならない。


 陽香さんの瞳が俺を捉えて、逃がそうとしない。俺のテントに入り込んだ彼女は、薄明かりを背にして、一糸まとわぬ姿を見せていた。

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