第四十五話 月下の剣士

「い、いいんですか人前で靴下を脱ぐとか……俺が見てるんですよ……!」

「あんたならいいでしょ、もう私の下僕みたいなものだし」


 ソファに座ったままで靴下を脱ぐ樫野先輩――そんな趣味がなくても目覚めそうなくらいの扇情的な光景。ニーソックスの販促ができそうなくらいの画面映えだ。


 この常に頬を上気させて、目が潤んでいる状態。端的に言って発情しているように見えるが、それはあくまで幻術に過ぎない。全てが俺を釣るための餌なのだ。


「さあ、跪き……なさい……?」


 樫野先輩が俺を踏もうとする。きれいな形の足がこちらに向けられる――だが、その時には。


「えっ……ちょっ、待っ……あ、あんた、いつの間に……っ!」


 俺は手首と足首の拘束を解いていた――レベル18まで上がった時に覚えていた、ある意味奥の手と言えるスキルを使って。


 『荷物持ち』が覚えるスキル『縄術』。それは本来、荷造りのために使われるスキルなのだが――このスキルの効果である『縄の扱いが上手くなる』というのは、その目的に限ったことではない。


「悪く思わないでください。靴下を脱ぐ時にこちらから意識を逸らしましたね? それで精霊の縛る力が少し緩んだんです」

「なっ……あ、あんたたち、ちゃんと縛っておけって言ったでしょ。何気を抜いて……ああっ……!」


 あれよと言う間に樫野先輩の手足はリボンで縛られ、ソファに転がった状態になる。『縄術』で縄を操る能力の方が、ものを動かす精霊術よりは上回ってしまったようだ。


「こ、こんなことしてあんた、タダで済むと思ってるの……!?」

「俺を縛って踏もうとした人には言われたくないですね」

「だ、だって仕方ないじゃない、あんたが踏まれた時にあんな反応しなければ……っ」

「樫野先輩がそんなに楽しんでるとは思いませんでしたよ、ただのお仕置きなのかと」

「さ、さっきからあんた、なんか怖いんだけど……お、怒ってる……?」

「俺は幻術を解かないといけないので、先輩を倒さないといけないんです」

「えっ、い、意味が……あんたお酒でも飲んでんじゃないの……っ、ああっ、あんたちょっとでも触ったらエッチなことされたって言いふらすわよ……っ!」


 それはまずい――とドキッとする。幻術が言うことなんて気にしなくてもいいかと思うが、あまりに樫野先輩らしい振る舞いをするので良心がチクチクとする。


「……は、はんっ……あんたみたいなヘタレ男はそんなものよね。ちょっと牽制しただけですーぐ怖がっちゃってさ、ざぁこ、ざこ男。分かったらさっさとこの縄を……あっ……ち、違うの今のは、ちょっと出来心で言っちゃっただけ、先輩の可愛い冗談でしょ、それくらい広い心で許しなさっ……許しっ……許してくださっ……あぁぁぁ……!」


《スキル『固定』を発動 対象物の空間座標が固定されます》


《『固定』を解除しました》


《スキル『固定』を発動 対象物の空間座標が固定されます》


《『固定』を解除しました》


「……はっ」


 樫野先輩の話を聞いているうちに意識が飛んでいた。感情に身を委ねてしまうとは、俺もまだ修行が足りない。


「ごめんなさい……もう許して……これ以上されたら壊れちゃう……」

「めちゃくちゃ人聞きが悪いんですが……」


 この幻夢ダンジョンでは通常の武器よりも電気マッサージ器が役に立つ。俺がしたことというのは、樫野先輩の足の裏のツボを解しただけだ――足裏マッサージは効果的だが、個人差があって人によってはかなり痛いらしい。


 そして念のために、俺は樫野先輩に頼んで『脱力』の魔法を宿したリボンをストックしておくことにした。


 《チップの内容:『脱力』のリボン×2》


「わ、私より……他のみんなの方が手強いんだからね……こてんぱんにやられちゃいなさい……」


 先輩がガクッと脱力する。今回は黒いうねりも出てこなかった――しかし、さっきから誰かに見られているような感じがしている。


(次は一体誰の幻影が……って……うわっ……)


 中庭に出る扉の影からこちらを見ているのは、天城先輩だった。


 練習用の白い剣道着を着ている――だがいつもと決定的に違う感じがする。


「こ、後輩くん……君がこれ以上の狼藉を働くのであれば、ここで私が君を止めなければならないが……」

「だんだん開き直ってきました。俺も負けられないので」

「そ、そうか……それなら仕方がない。私と勝負をしたまえ、藤原くん」


 また違うパターンというか、幻術もあの手この手を使ってくる――庭に連れ出された俺は、棒のようなものを持った天城先輩と向かい合った。


「私はハンデとしてこちらのウレタン竹刀を使う。君はこっちの普通の竹刀を使うといい」

「い、いや……防具もつけてないのに竹刀で打たれたら、先輩が怪我をしますよ」

「ふふっ……当てられると思っているのかな……?」


 ――ゾクッ、と全身が総毛立つ。


「さあ行くよ……先輩を苛めるような悪い子には、指導をしないと……!」


 速い――などというものではない。


 天城先輩の動きが俺には一切見えなかった。気がつくとウレタン竹刀が俺の顔の横を通り過ぎていた。


(剣士系のスキルか……っ、予備動作を消してるのか、俺の知覚を幻惑してるのか……)


 幻術の中では圧倒的にこちらが不利になる、そんな考えも頭を過るが、それで思考を終わらせれば勝ち筋が完全になくなる。


「今のは小手調べ……次は当てるよ……!」


 このままではあっさりと急所を打たれ、気絶させられる――ウレタン竹刀でもそれをやってのけるという凄みが彼女にはある。


(この手はなるべく使いたくなかったが……仕方がない……っ)


 剣先よりも、天城先輩の足の動きに集中する――打突の際に必ず踏み出す必要があるのだから、その瞬間だけを見逃さない。


「――いいところを突いているけど。そんな理屈では私は倒せない」


(そうだ、今の時点で正攻法じゃ勝てない……だが……!)


 天城先輩は幻術をかけられていても『武人』だ。そんな彼女が宣言してから攻撃をするならば、宣言した時点で止めてしまえばいい。


《スキル『固定』を発動 対象物の空間座標が固定されます》


 どんな相手でも問答無用で固定する――それを最初からやっていれば苦戦することもない。


 しかしそんな考えは、すぐに覆されることになった。


(……な、なんだ……魔力の減りが速い。固定する相手が強いと、固定している間も消耗するのか……!)


 『ジョーカー』は固定されても動いたが、天城先輩は動けないとはいえ俺の魔力を削っている。


 目をみはるほどの使い手だが、俺の目的は彼女を竹刀で倒すことではない――とりあえず無力化することだ。


   ◆◇◆


「うぅっ……む、無念……力が入らない……」


 『脱力』のリボンは俺が使っても効果を発揮してくれた――樫野先輩が使うときと違って、効果が切れたら普通のリボンに戻ってしまうが、しばらくは持つと期待しておく。


「……電光石火の早業か……やはり君には類まれなる資質があるのだな……」

「すみません、騙し討ちみたいで……幻術の中と言っても、堂々と手合わせしてみたかったです」

「うむ……私もだ。そうか、今の私は幻なのだな……こんな形で負けて消えるのは、少し名残惜しさはある」

「また現実で、ぜひ本物の天城先輩に稽古をつけてもらいたいです。忙しいから難しいかもしれませんが」

「……私に対してはいい子だな……その、さっき瑛里沙にしていたようなことは、私にはしてくれないのか……?」


 樫野先輩はSっ気があったが、天城先輩はもしかしたらその逆なのでは――というのも、現実の二人とは必ずしも一致はしないだろう。今のところ本当によくできた幻夢なので、ほとんど性格や言動に違和感はないのだが。


 それにしても、幻術の術者はどこにいるのか。寮内の探索を進めていくうちに、残された場所は一つだけとなった――静波荘の浴場だ。

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