第三十一話 嵐の前
昨夜は疲れもあってか、秋月さんに夕食を作ってもらって食べたあとはぐっすり寝てしまった。
「うーん……く、くすぐったい……」
「ミャー」
なんとなく隣が温かいと思っていたら、リンが布団に入ってきていた。猫のヒゲが頬に当たってくすぐったかっただけなのだが、また変な夢を見てしまった――樫野先輩に踏まれたのが原因だろうか。
『ほら、私に踏まれて気持ちいいでしょ?』
俺にそんな趣味は全くないはずなのだが、目覚めさせられようとしているのか――それは避けたいので、樫野先輩の機嫌を損ねず人権を確保したい。
「……もしかして寝てるときもやってたか?」
リンが俺の胸に前足を置いて踏み踏みしている――この可愛げしかない生き物は、結局どんな種族なのだろう。
◆◇◆
着替えたあとにスマホで魔物図鑑を調べてみるが、猫型の魔物はどれも獰猛な感じだったり、羽根が生えていたりで、リンとは似ていなかった。
「おはようございます……あれ?」
昨日は落ち着かないので部屋で夕食を摂ると言っていた樫野先輩が、普通に着席している。
それまでスマホを見ていた樫野先輩は、俺が来たことに気づくとちら、と視線を向けてくる。
「……お、おはよ」
あまりに意外過ぎて反応が遅れる――不本意そうでもなく、先輩が挨拶をしてくれるなんて。
「おはようございます、樫野先輩」
「何見てんの? スマホのながら歩きは良くないわよ」
「すみません、ちょっと調べ物で。その、今日はご一緒させて頂いても……」
「かしこまりすぎでしょ。一個上なだけだし、そこまでしなくていいわ」
やはり昨日とは対応に天地の差がある。俺は先輩の対角線上に座る――また彼女は何か言おうとしたが、少し首を傾げるようにする。
「……やっぱりあんたじゃなくて、ただの人違いよね。でもあの子はやっぱりななみーに見えるし……」
「え……」
「こっちの話よ。はー、まあいいわ。あんた卵はスクランブル派? それとも目玉焼き?」
「どっちも好きですが、今日は目玉焼きの気分ですね」
「ふーん、じゃあ私が作ってあげる」
「え……い、いいんですか?」
「昨日のことで硯さんに怒られたしね。考えてみれば私にも少しは非があるから、少しだけ譲歩してあげる。感謝しなさい」
「こーらー、それって全然謝ってないでしょ、瑛里沙ちゃん」
「ひっ……」
キッチンから顔を出したのは秋月さんだった。秋月さんは樫野先輩の肩に手を起き、俺に向けてウィンクする――これは、先輩との間をとりなしてくれるということか。
「お、脅かさないでよ……硯さん、そういうわけだから手伝うわ」
「司くんには私がじきじきに作ってあげたいんだけどなー」
「っ……意地悪しないでよ、人がせっかく勇気出して……あっ……」
「え、えーと、俺は誰に作ってもらっても……」
「司くん、それはそれでどうかと思うよ? ……あ、白ちゃんも来ちゃった」
「…………」
七宮さんは今日はまだ眠気が抜けていないらしく、ぼーっとした状態で歩いてきて、テーブルを見て少し間を置き、俺の隣に座る。
「……おはよう」
「おはよう、七宮さん。ちょっと眠そうだね」
「……少し休むのが遅くなったから」
「そうなのか。俺は気づいたら寝落ちしてたな……」
「っていうことは、やっぱり投稿なんてしてる時間ないわよね。あー良かった、これで解決だわ」
「……?」
樫野先輩はエプロンをつけてキッチンに入っていく。家庭科の時間に作ったようなお手製感あふれるエプロンは、猫の肉球柄だった。
「……樫野先輩も、猫が好きそう」
「リンに対する反応が気になるな……さっきまでいたけど、どこ行ったんだろ」
ゆるい空気が流れる中で、樫野先輩の言葉が引っかかる。『投稿』とは一体――学園のチャンネルでの動画投稿のことだろうか。
今見てみようとすると、メンテナンス中と出て開けなかった。七宮さんはリンを膝に乗せて目を閉じている――目が覚めてくるまではそっとしてあげた方が良さそうだ。
「ふぅ……ああ、後輩くんたちも揃っているね」
「天城先輩、おはようございます。朝から素振りですか?」
中庭からリビングに入ってきた天城先輩は手に木刀を持っていて、練習用ということか白い剣道着姿だった。
「これをすると一日を清々しく始められるからね……ひぁんっ」
「え?」
凛とした姿の天城先輩がいきなり腰砕けになる――何事かと見てみると、スリッパを履いた足にリンがじゃれついていた。
「くぅっ……ね、猫は可愛いが……私が触ると壊れてしまいそうで触れないんだ……っ、ああっ、そんなザラザラした舌で……っ」
「ニャーン」
リンが天城先輩に対して好き放題している――彼女は猫にはとても弱いということが分かった。
席を立ってリンを抱えると、天城先輩はへなへなとその場に座り込んでしまった。
「はぁっ、はぁっ……」
「なに朝からハァハァしてるのよ……なんか藤原にされた後みたいじゃない」
「されたのはその猫にだが……私もまだ修行が足りないね……」
「猫に慣れるために特訓したほうが良さそうですね」
「っ……あんたねえ、そんな真面目だと私が恥ずかしくなるでしょ」
とりあえず二年生の先輩ふたりは猫を飼ってもおおむね大丈夫そうだ。
ふと横にいる七宮さんを見やると、胸がテーブルの上に載っている――この姿勢の方が楽なのかもしれないので、まだ眠そうな彼女をそっとしておくことにした。
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