OTHER2 病室

 日向騎斗は病室のベッドで目を覚ました。


 未明の空はまだ暗く、病室は非常灯の明かりだけで薄暗い。


 騎斗は病院に運ばれてから意識を失い、今までうなされていた。


「っ……あぁ……」


 恐怖が再び蘇り、騎斗は思わず声を上げそうになる。


 仮面をつけた道化師のような魔物に襲われ、騎斗は胸を貫かれた。しかし出血も痛みもない。


 あるのは何かを奪われたという感覚だけ。仰向けに寝たままで、騎斗は自分の手を見る――そして、違和感を覚える。


(手が、小さく……骨ばっていたのに、何か違う。あの攻撃によるものなのか……一時的な、状態異常か)


 こんなはずではなかった。


 日向家の末弟である騎斗は、入学前から自分の職業が『聖騎士』であることを知っていた。血統にふさわしい職業を得た騎斗は、優秀な兄たちと変わることなく期待をかけられた。


 誰もが騎斗の命令に従った。『日向』の人間であるというだけで、ほとんどの人間が自発的に騎斗を敬ってきた。


 世界は日向家とそれ以外でできている。騎斗にとってはそれが紛れもない真実であり、今後も変わることはないはずだった――しかし。


「あい、つ……藤、原……藤原ぁ……っ」


 喉から絞るような声は、自分のものではないように思えた。それすらも、騎斗の内にある不安を大きくする。


「誰、か……誰か、いないのか……っ、目が覚めた……僕は、生きて……」


 空中を掻くようにしてもがく騎斗――彼の呼びかけに応じるようにして、病室の扉が静かに開く。


 立っているのは騎斗の班で付き従っていた二人、遊佐怜美ゆされいみ由良響ゆらひびきの二人だった。


「……失礼、いたします。日向様」

「先刻は……私どもは何のお役目も果たせず……」

「……それはいい……あんな怪物が出てくるとは聞いていなかった……事前に、入手していた地図では……」


 騎斗は話しながら咳き込む。怜美が近づき、起き上がろうとした騎斗を支える――響はそれを黙って見つめている。


「……なぜ、そんな目をする?」

「い、いえ。私は……」

「その目……待て……なぜ、僕を……っ」

「そのようなことは決してございません。私は……わ、私は……っ」


 響は動揺し始める。騎斗にはその理由が分からず、しかしこれ以上声を荒げる力も残っていない。


「……騎斗様のお兄様方は、今後しばらくは目立つ行動をしないようにとおっしゃられています。旦那様のご意向とのことです」

「くっ……くくくっ……何だ、それは……僕は家の恥だとでもいうのか……っ」

「僭越ながら、申し上げます。皆様が対応を決めあぐねているのは……その……」

「はっきりと言え……今さら遠回しに言われて何になる。失態をさらした僕のことが疎ましくなったんだろう」


 騎斗は少しずつ、声を出すことに慣れ始めていた。かすれていた声は、それでも元の声には戻っていない。


(……声が喉から出る時の、感じが……違う……何故……)


「僕は……僕が受けたあの攻撃は……」

「あの魔物から受けた攻撃は、『生命吸収』と呼ばれているものだそうです。その……大変申し上げにくいのですが……」

「この場合の生命というのは……『レベル』も含まれます。騎斗様のレベルは、下限まで下がって……」

「ば……かなっ……そんなことが、あるわけが……」


 レベル:1

 生命力:10/10 魔力:5/5

 筋力: 8(F)

 精神:10(F)

 知力:10(F)

 敏捷:12(F)

 幸運: 5(F)


 スキル:なし


「……あ……ぁ……」


 怜美に生徒カードを見せられた騎斗の喉から、声にならない音が漏れた。


 騎斗の目から光が失われていくさまを見ながら、怜美と響は沈痛な面持ちでいる。二人の唇は青ざめ、震えていた。


「……こんな、ことが……何なんだあの化け物は……っ、なぜこんなことができる……!」


 騎斗が怜美に取りすがるが、その手には力はない。怜美がそっと手を重ねただけで容易に外される。


「これからも、私たちがお守りします。クラスへの復帰は、騎斗様のお力が戻り次第、ということになりますが……」

「このようなことは前例がないため、学園もどのような決定を下すかわかりません。その……騎斗様の、お身体は……」

「な、なんだ……何を、言って……」


 怜美と響は、騎斗の手にあるカードを見ている。


 まだ、見ていない部分がある。本来変更されることはなく、見る必要のない部分――。



 名前:日向 騎斗 15歳 女

 学籍番号 013941

 職業:未取得



「主治医の先生がおっしゃるには……未知の魔物が行う攻撃には、まだ解明されていない効果がある。騎斗様に起きた変化も、それによるものと……」


 騎斗は何も答えず、その手から力が抜ける。


 骨ばった手でなくなっていること。声が高くなっていること――その理由は一つだった。たった一晩熱にうなされたあと、騎斗はそれまでの自分から変化していた。


「……もしこの状態が続くのであれば。通学先の学校を変えることも検討するようにと」

「……そうか……それはそうだな。職業まで消えてしまったんじゃ、全てをやり直すしかない」


 騎斗を見守る二人も言葉をなくしている。寝ている間にはだけた騎斗の病院着を、怜美は何も言わずに直した。


「……なぜ藤原くんは僕を助けたんだ。僕は彼を侮辱して、あわよくば全てを奪おうとさえ思っていたのに。そんな人間を助ける道理はどこにもない……」

「それは……」

「彼は、そのような信念を持っている……私どもには、それしか申し上げられません」


 響の言葉は、彼女の『藤原司』に対する見方の変化を表していた。


 ランクEの職業と侮っていた。そんな自分を恥じ入る思いが、騎斗の中にも生まれていた――夢の中で何度も殺される自分を救ったのは、他ならぬ司だったからだ。


「……元の身体に戻る方法を探すには、あまりにも遠いけど。こうして生きているのなら……」


 最後までを言葉にすることはできず、シーツの上に水滴がいくつも落ちる。


「すまない……ひとりにしてくれないか」


 騎斗の言葉を受けて、二人が病室を出ていく。残された騎斗は生徒カードを手に取り、ただ眺め続けていた。


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