第二十三話 ジョーカー

「……藤原君、君は日向ひゅうが家のことをよく知らないようだが、僕からすると君のことは下賤と言わざるを得ないんだ」

「口を出すなって言いたいのは分かるよ。俺は部外者だから」

「物分かりが良くて助かるよ。じゃあ、僕と勝負をしてくれるね?」


 日向が勝つと決まっている勝負を――そう言いたいのだろう。


 評価点をすでに相当稼いでいる日向は、このままでも順当に行けば俺に勝てると思っているはずだ。


「勝負というのも変な話か。君は何もできずに、僕が魔物を狩るところを見ているだけだ――起動しろ、召喚陣」


 俺に力の差を見せつけるためだけに、日向はを選んでしまった。


「……騎斗様……っ、何か、魔法陣の色が……」

「何度も繰り返してきただろう? 今さら怖気づくとは、つくづく君には……」

「――召喚トラップノ異常反応ヲ検知 速ヤカニ離脱シテクダサイ」


 サイファーの警告。日向の後方にある魔法陣が、赤から紫のような色に変化し――おぞましい悲鳴のような音と共に、黒い液体がゴボゴボと湧き上がる。


「『バンシー』風情がっ……!」


 騎斗が振り返りざまに剣を繰り出す。魔力で覆われたその斬撃は、先程は魔物の首を一撃で刎ねていた――しかし。


 オン、と。


 辺り一帯を包むような、邪悪そのものの気を放ちながら現れたそれは――二つの指だけで騎斗の剣を止めていた。


「正体不明ノ、魔物ガ、出現……ッ」

「あ……あぁ……」

「な、何なの……今までと違う、こんな話聞いてない……っ!」


 騎斗の側近二人が恐慌に陥る。サイファーの音声は途切れて聞こえる――自動人形ドールであっても恐怖を感じているかのように。


 それは紫色の服を着て、アルカイックスマイルの仮面をつけた、道化師ピエロのような姿をしていた。背中には巨大な鎌を背負っている――まるで死神のように。


「ぐ……は、放せ……っ、うぁぁ……放せと言って……っ」

「剣を放して逃げろ、日向ひゅうがっ!」

「……この僕がっ……敗けるなど、許されるわけが……!」


 仮面のピエロは、自分よりも背丈のある日向の剣を片手の指二本で止めている――そう、左手一本だけで。


 自由になった右手は残像も残さずに繰り出され、騎斗の胸を貫いた。


「うぐぁぁぁぁぁぁっ、や、やめろ……持っていくな、それは僕のものだ……っ、僕の……あぁぁぁぁっ!!」


 日向の身体から、ピエロの右腕を通じて何かが吸い取られていく。その光景を見て俺は思い出す――前世において、最も忌み嫌われた魔物の攻撃。


(エナジードレイン、なのか……?)


 生命力、魔力、何もかもが日向から奪われていく――剣がまとっていた魔力も消える。


 人間が何年もかけて積む研鑽を奪い取り、時に命をも奪うその攻撃を使う魔物とは、可能な限り交戦を避けるべきだと言われていた。


 誰も動くことができない。レベル15の『聖騎士』がなすすべもなく倒された相手に、できることなど何もない――だが。


「――止まれ……!」


《スキル『固定』を発動 対象物の空間座標が固定されます》


 『パープルバルン』と対峙したことで、俺はスキルの効果範囲が想定していたより広いと知った――この距離ならあのピエロに届く。


「がはっ……ぁ……に、逃げるわけに……君の助けなど……っ」


 ピエロが止まっているうちに走り、『重量挙げ』の効果で日向を拾いながら駆け抜ける――そして離脱の魔法陣の上で下ろす。


「二人とも、日向を連れて外に出るんだ!」

「で、でもっ……」

「いいから行ってくれ、殺されるぞ!」

「っ……は、はいっ……」


 女子の一人が離脱の魔法陣を起動させ、日向班の姿が消える。七宮さんたちの班は三人とも、魔法陣にすぐに入れる位置にいない――教師もこの場に間に合わないなら、時間を稼がなくてはならない。


「――藤原くんっ!」


 『固定』を使っている以上、ピエロは動くことはできない――そのはずだった。


 その期待が甘いものでしかないと、七宮さんの警告が教えてくれる。振り返ると、すぐそこにピエロの姿があった。


(動かれた……『固定』の効果が永続しない……!)


「――発射ファイア!」


 ピエロの身体がかすかに震動する――ノーマルバレット一発では効果はなく、それでも一瞬の隙が生じる。


「『復元』……っ!」


 もう一度ピエロに対して『固定』を発動させ、『花崗岩の巨岩塊』のチップをその頭上に投げ、復元する――巨大な岩がピエロの頭上に落ち、衝撃とともに轟音が響く。


「きゃぁっ……!」

「い、一体何なの……っ、これもあの魔物がやってるの……!?」

「二人とも走って、離脱の魔法陣まで……っ、早くっ!」


 三人の中で七宮さんだけが、この状況を理解してくれている――いつも声を荒げることのない彼女が、班員を助けようと声を張っている。


(こんな岩だけでどれくらい時間が稼げるか……いや、駄目だ。こいつを放置したら、ここに来た生徒は全員殺される)


 ――おっさん、迷宮で他のパーティを見ても助けようなんて思うなよ。


 ――みんな覚悟して来てるんだから、他人が助けようなんてその方が傲慢なのよ。


 リュードとアンゼリカの二人はそう言っていた。それでも俺は他人を助けようとして重傷を負ったことがあった。


 ――私はベックさんみたいな人がいてくれて良かったと思うんです。こんなに荒んだ世界であっても。


 ソフィアは俺を肯定した。それは彼女が、全ての人に慈愛を与える寺院の人間だったということもあるだろう。


 どこまで行っても答えはない。


 ただ俺は、何度同じ状況になったとしても、きっと同じ選択をする。


「藤原くん、戦っちゃ駄目! 逃げてっ……!!」


 死ぬつもりはない。まだやりたいことが沢山ある――そんなフラグを立てたら、生きられるものも生きられないか。


「サイファー、絶対に生き残るぞ……!」

「――了解、シマシタ」


 後ろに控えていたサイファーに近づき、自分の残魔力を確認する。


 魔力 54/65


(かなり成長してる……『パープルバルン』を倒した時の経験が大きかったんだな)


 それでも全く十分とはいえない。だが――この残り魔力を、全て注ぎ込んでサイファーの『エレメントカノン』で発射する。


「――魔力チャージ開始 レベル1……2……3……」


 大岩に何百という格子状の光の筋が走る。一瞬で切り裂かれて爆散した岩の中から、無傷でピエロが姿を現すと同時に。


「――撃てっ!!」

「レベル10 ハイパーバレット・発射ファイア


 ノーマルバレット10発分の魔力が込められた一撃――ハイパーバレット。


 閃光とともにピエロに命中する瞬間に、何かが見えた。


「……そんな……」

「も、もう駄目っ……嫌ぁぁっ……!」


 ピエロは背負った鎌を、いつの間にか右手に構えていた。その身体を薄い膜のようなものが包んでいる――それは魔力による攻撃を防ぐ障壁。


 けたたましい笑い声とともに、ピエロは瞬きのうちに俺の眼前まで移動する。


 七宮さんが呼んでいる。全ての動きが遅く見える――振り払われる鎌を『固定』で止めるが、それでも動いたピエロの右腕が俺に向かって伸びてくる。エナジードレイン。


 生命力 3/60 魔力 0/55


 目の前が暗くなる。転生前の死を夢に見て、次の日にまた死を体感する。


 だが――攻撃ドレインを繰り出すとき。ピエロは、障壁を展開しない。


 魔力がなければ『復元』は使えない。それならば『回復』すればいい――。


 魔力 30/45


 ガリッ、と口の中に仕込んでおいた『オーブ』を噛む。『魔力回復小』で十分だ――この切り札を使うためには。


「……『復元』……!」


《ヴォイドブラスト×3を発動》


 もしこれを防がれれば完全に終わる。だからこそ、俺はピエロの防御手段を確認した。


 そして――ピエロは障壁以外の緊急防御手段を持ってはいなかった。


「ッ……ガッ……ァ……」


 サイファーの腕を破壊した不可視の一撃が、三方向からピエロの身体に突き刺さる。


 しかし、仮面の目に宿っていた光が消える前に。


 ピエロの右手がもう一度動いた。わずかに残っていた生命を奪い去るために。

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