第十四話 名付け

「ちょっ……そ、そこは……そこは頬……ハッ」


 うなされて目を覚ます――何かくすぐったいと思ったら、猫に顔を舐められていた。


「……なんて夢だ」


 二体のプリンが擬人化したような何かに追いかけられる夢を見た。夢診断なんてしなくても、原因も意味も明白だ。


 脱衣所で鉢合わせた先輩――俺以外には新入生が七宮さんだけということで先輩である可能性が高い――は、俺と遭遇したことにはどうやら気が付かなかったようで、「藤原くん、ちょっと……」とシリアスな呼び出しを受けることはなかった。


(あー、でも謝った方がいいよな……けど向こうが気づいてないのなら俺も忘れることが平和なのか……いやしかし……)


『ぴんぽんぱんぽーん。おはようございます、朝六時半をお知らせいたします。朝食のオーダーができるのは七時半までですので、新入生の方はそれまでに来てください』


 秋月さんの声が聞こえてくる――どこから聞こえるのかと見てみると、壁の上のほうに小型スピーカーが取り付けてあった。


『それとモーニングコールは必要なかったら無しにもできます。止めなかったら毎日頑張りますのでよろしくお願いね。秋月でした』


 最後はフランクな口調になって終わった――あの言い方からすると、七時起きは結構頑張らないといけないのだろうか。


   ◆◇◆


 洗面所は西館と東館、リビングの三つにそれぞれ用意されている。鏡を見ると悪夢を見たことによるクマが――ということもなく、今日も普通に健康だ。というより微妙に熱いというか、エネルギーを持て余してしまっている。


(あの人、すごいプロポーションだったからな……って、褒めれば許されるってものじゃないな。猛省だ)


 他の寮生がいたらまず挨拶しなければと思いつつ、リビングに行く――すると、昨日とは違ってジャージ姿ではなく、パリッとしたOLのような服装の秋月さんがいた。


「おはようございます」

「おー、早いね。阿古耶アコヤちゃんもいるから、自己紹介しようか」

「っ……は、初めまして、藤原という者です。昨日からこの寮でお世話に……」


 テーブルの端に座っていた人――アコヤという人は、黒髪を後ろで結んだポニーテールの女子だった。


 女子――のはずなのだが、彼女は男子の制服を見に付けている。しかし、それが違和感がないほど似合っていた。


「……拙者からもよろしく頼む」


(せ、拙者……!)


 まさか現代に生き残ったサムライ、あるいは忍者の家系だったりするのでは――つい中二心をくすぐられるが、そこまで発想が飛ぶのは無礼すぎる。


「拙者は天城あまぎ阿古耶あこやという。ご想像の通り武家の末裔にござる」


(ござる……!)


 一言ごとに心を鷲掴みにされる俺――それを見て秋月さんが口を押さえて肩を震わせている。


「……というのは私のルーツの話で、普段はそんな口調では喋らないのであしからず」

「あはは……阿古耶ちゃんその自己紹介好きよね」

「好きというか、ついやってしまいますね。よろしく後輩君」

「よ、よろしくお願いします」


 サラシで胸を抑えつけているということだったが、男装の理由はなんなのか――気になりはするが、初対面で聞けることではない。


「さて……私はもう朝食を終えたので、朝練に行かないといけない。君も何か部活に興味があったら、ぜひ古流剣術部を検討してほしい。初心者でも刀の扱いを一から教えるよ」


(古流剣術……!)


「司くん、さっきから阿古耶ちゃんの一言ごとに目がキラキラしてるわよ」

「……そうなのかい?」

「い、いやその……カッコいいなと思って。刀っていいですよね、サーベルとかもいいですけど、やっぱり刀には心惹かれるというか」


 そんな発想で感激しているというのは、逆に失礼になってしまうだろうか――と思ったが、それは杞憂だった。


「……カッコいい……私が……」

「阿古耶ちゃんは硬派だけど、恥ずかしがり屋なのよね。司くんもお手柔らかにね」

「なな何をっ、照れてなんていませんよ……私を照れさせたら大したものだよ?」


 肌が白いということもあるが、思い切り顔が赤くなっている――こちらまで赤面してしまいそうなくらいだ。


「……コホン。ああ、ひとつ言っておくよ。2号室の樫野かしのっていう二年生なんだけど、ちょっと扱いが難しい子だから。そのうち私から紹介してあげるよ」

「あ、ありがとうございます。樫野先輩ですね」

「ちなみに私も二年だから、学校で一緒になるのは少し先だね。学年をまたいだ行事もあるからさ……じゃあ、ごゆっくりどうぞ」


 阿古耶先輩はそう言って出かけていった――カバンの他に背負っている革袋は、剣術の道具が入っているのだろうか。


「樫野さん……私は下の名前で呼んでるんだけど、あの子は今日はもう出てるわね。放送委員の仕事があるから」

「放送委員……た、大変ですね、朝早くから」


 俺が口ごもってしまうのは、おそらくその樫野先輩が、昨日浴室で出くわした相手だからだ――バレッタを探すときに、2番のカゴを探していたから。


「……あっ、おはよう白ちゃん」


 西館廊下からリビングに入ってきたのは七宮さんだった――俺も秋月さんに続いて挨拶をしようと振り返る。


「……おはよう」


 昨日の夜最後に見たのは防護服を着た姿だったから――という以上に。窓から差す朝の光の中で、その姿が眩しく見える。


 靴下の長さはどうやら校則的に自由なようだが、七宮さんの場合は膝上のスカートにニーハイソックスという組み合わせで、おのずと絶対領域が生じてくる。俺はもしかして脚好きなのではないか、と目覚めそうになるほどの――って、我ながら浮つきすぎだ。


「おはよう……ふふっ、まだ少し眠そうね」

「……新しい枕でも、よく寝られた」

「タイが少し曲がってるわね……これでよし、と」

「……藤原くん、もうご飯食べた?」

「ああ、俺もこれからだよ」


 七宮さんが俺の向かいに座る――同級生と朝から向かい合わせで食事をするというのは、やはり新鮮に感じる。


 彼女の長い髪は、名前の通りに白に近い――銀色というのだろうか。俗世離れした雰囲気もあって、神秘的ですらある。


「……昨日はごめんなさい、先にお風呂に入りたくなって」

「ああ、俺は全然大丈夫だよ」


 そう返事をしたところで、リビングに猫が入ってきた。お腹が空いているらしく、秋月さんがいるキッチンの方に入っていく。


「藤原くん、あの子がいたずらしに来なかった? すごく賢くて、ドアも開けちゃうから」

「あー、部屋のドアを閉めるのを忘れてたから、それで入ってきてたのか。七宮さん、名前は何か思いついた?」


 七宮さんは少し言いにくそうにする――心なしか頬が赤く見えるのは、恥ずかしがっているんだろうか。


「……ツカサ……は藤原くんの名前だから、プリンから取って、リン」


 なぜ俺の名前が候補になるのか――七宮さんの思考に追いつくにはまだ修行が足りない。


「プリンのリンちゃんね。キャラメルみたいな色の柄が入ってるし、いい名前だと思うわよ」

「では決定ということで……これからよろしくな、リン」


 秋月さんと一緒にやってきたリンは、それを自分の名前と認識しているのかどうなのか――なぜかコロンと床に転がってお腹を見せていた。

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