SIDE1 旧友

 司が浴室から一時撤退したのちに、時間を置いて再度入浴に挑戦している頃のこと。


 秋月あきづきすずりは小屋に納品されていたものを確認し、管理人室に戻ってタブレットを立ち上げていた。


『おー、硯じゃん。ジャージにエプロンって、ほんと形から入るよな』


 チャットの画面に映ったのは、電子煙草を咥えたメッシュ髪の女性――彼女の挨拶に苦笑しつつ、硯はエプロンを外してデスクの前に座った。


「あなた、今もそんな言葉遣いで……変わらないわね。ちょっとくつろぎすぎじゃない?」

『研究室はそれぞれ個室みたいなもんだから、居心地いいんだよね。家とかしばらく帰ってないし』

「仕事が楽しいのはいいけど、ちょっとはまっとうな社会生活を……」

『こーやって硯と話しながら酒飲んでれば、それなりにまっとうと言えるっしょ』

「まったく……あ、何よそのプシュッって。私も飲みたくなるでしょ」

『部屋の冷蔵庫にビールいっぱい入れてんでしょ? 寮生には見せられないね』

「そんなことするわけないじゃない……私ビールより日本酒の方が好きだし。まあ、今日はビールにしとこっかな」


 硯は冷蔵庫からビールを一缶持ってくると、グラスに注ぐ。ぎりぎり泡が溢れずに止まったグラスを画面の向こうに向けて見せてから、ぐっと喉に流し込んだ。


「……ふぅ、美味しい」

『その感じがお嬢様だよねー。ビールといったらぷはぁ、ってするでしょ』

「お嬢様とか……これでもだいぶ、そういうのは抜けたと思ってるんだけど」

『そう? ま、それはいいとして。さっきメール見たけど、新入生が凄いかもしれないんだって?』

「しれないじゃなくて、もう確実に凄いことは凄いんだけど……」

『男は苦手って言ってたのに、年下だと大丈夫なのな』

「寮監としては、責任を持って仕事をするつもりだから。苦手とかそういう個人の事情は抜きにして、信頼関係を築こうと……」

『ふーん。私もちょっと興味出てきたかな、その男子。硯が興味持つくらいだから面白い奴なんだろうし』

姫乃ひめのの興味はすぐにそういう方向に行くんだから。これは仕事というか、教育者の端くれとしてのね?」


 硯の友人――姫乃と呼ばれた女性は、カラカラと楽しそうに笑う。硯はため息をつきつつ、テーブルに頬杖をついた。


「……この寮がある山の裏手は、野外ダンジョンっていう一面もある。探索者に対する課題が、天然で用意されてる場所なのよ。目的地を目指して進み、成果物を手に入れ、魔物に対する対処も必要になる」

『そんなとこに新入生を送り出して、危なかったら助けて……って、結構楽しそうじゃん』

「今回は、助け舟は出す必要がなかったんだけど……新入生二人が持ち帰ってきたものの中に、どうも気になるものがあるの」

『へー、そんなところで未発見のものとか見つかるんだ』

「いえ、見かけは普通の薬草なんだけど……『鑑定』してみたら、『薬草+1』だって表示されたのよ」

『……んぁ?』


 間の抜けた返事をする姫乃。椅子の上にあぐらをかいていた彼女は、急に座り直した。


『……なんかの間違いじゃないの?』

「いえ、何度試してみても同じだったわ。二人はそれを『なんとなく凄い』と言っていたけど……」

『薬草みたいな天然の植物が「+1」になるなんてことはなかなかない。生育する環境が揃えば「+1」になることはあるけど、そんな場所で採れることはありえない』

「ありえないけど、でも実際にあるのよ。そっちに送ってもいい? 分析してみて欲しいから」

『「鑑定」の結果が出てるのならそれは「+1」で間違いないんだろうけどな……よほど運がいいのか、なんなのか。もし人的要因で「+1」になったんだとしたら、私が一ヶ月くらいその生徒を借りたいくらいの話だ』

「彼のことは上層にはまだ知らせたくないけど、今後活躍していくとしたらどうしても隠しきれなくなるかもしれない……それでも、できるだけ私が見ていたいと思ってるの」

『まあ、それは硯の自由にすればいいと思うけど。私に連絡してきたってことは、何か私にも協力させてくれんだろ? そんな面白そうなのがいるなら、私から挨拶に行くよ』

「『薬草+1』なんてものが見つかるのがどれくらいまれなことか、姫乃にも意見を聞きたかっただけ。今のところはね」


 姫乃は苦笑し、電子煙草を吸おうとして――途中でやめる。


『話してたら久しぶりにダンジョン行きたくなった。その子と一緒だったら、何かとんでもないことが起きそうで』

「そうよね……それができる立場じゃないけど、一度学生に戻りたいくらい」

『卒業したばかりで制服着てみるってのもキツイよな。硯は普通にいけそうだけど、私はもう無理だわ』

「制服を着てもパーティは組めないけどね。プライベートでも、寮監と一緒なんて嫌でしょうし」

『ふだんから手なづけとけばいいじゃん。硯の料理を毎日食べてたらそれだけで抜け出せなくなるんじゃん?』

「そういうつもりで作ってるわけじゃないわよ……でも、初日から追加メニューを出すことになるなんて思わなくて、ちょっと嬉しかったわね」

『「薬草+1」を見つけただけじゃなくて、初日からシルバーコインまでゲットしたんだ。私が取ったの三日目くらいだっけ、懐かしくて死にそう』

「本当にね。あの子たちなら、私たちより上のランクに行けるのかも……なんて、重くなっちゃうわね」

『元トップランカーがそんなこと言ってるって、私から教えてあげよっかな。なんて、私みたいなのが出てきたら怖がっちゃうか』


 とりとめもない話が続く。硯は旧友と昔を懐かしみながらも、自分が受け持った有望な生徒の今後について思いを巡らせていた。


 一方、自分の話をされているとも知らず、司は自室で『プリンに襲われる』という謎の寝言を言っていた――入学初日の夜はそうして更けていったのだった。

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