第十三話 浴場のプレート
「はい、もしもし」
『ごめん、連絡するのが遅れちゃったけど、私たちはお風呂から上がりました。
「お風呂上がりの冷たいデザートはいいですよね」
『いいよねー……あれ? さっきまであの子、私の足にすりすりしてたんだけど……』
『……今は私の足元にいる。くすぐったい』
電話越しに七宮さんの声が聞こえてくる。どうやら猫も一緒にいるようだ――いつまでも猫と呼ぶのは何なので、名前を付けたほうがいいかもしれない。
「秋月さん、七宮さんに猫の名前を考えておいてほしいと伝えてもらえますか」
『あ、いいわねえ。白ちゃん、猫の名前ってどうする?』
『……藤原くんとアイデアを出して、後で決めたい』
「じゃあ、俺も考えておきます……と伝えてください」
『はーい』
通話を終え、風呂の準備を済ませて部屋を出る。さっき部屋の窓から見えていたが、中庭にある竹に囲まれたところが浴場と教えてもらった。
東館、西館、リビングのそれぞれから中庭に移動することができる。脱衣所の入り口であるドアにはプレートがかけられるようになっていて、『入浴中』のプレートがあるときは誰かが入っているということになる――今は外れている状態だ。
ドアノブをひねり、脱衣所に入る。カゴにはそれぞれ部屋番号が書いてあった――俺は5号室なので、その番号を選ぶ。
(……ん? 何か音が……気のせいか?)
誰もいないと気を抜いていたせいで、反応が遅れる。
カラカラと音を立てて、浴場に続く扉が開く。
「はぁ、私としたことが忘れ物なんて……」
全身に電撃が走る――開いた扉から入ってくる湯気の向こうに、一糸まとわぬ人の姿がある。
(――終わった。俺の死因は誰もいないと思い込んだこと。七宮さんたちが風呂から上がってきたあと、誰も入ってないと思い込んだことだ)
石橋を叩いて渡るくらいでなければ、男女共同の寮では暮らせない――だが。
「アコヤ、あんたさっきはまだ入らないって言ってたのに……いつも言うことコロコロ変わるんだから」
一瞬、何が起きているのか分からなかった。だが、風呂場から出てきた女子――セミロングの髪をしていて、気が強そうな美少女だ――が凄く目を細めているのを見て、そんなことがあるのかと思い至る。
「はー、話しかけてるんだから返事しなさいよ」
まずい――と思ったがどうしようもない。すたすたと歩いてきた彼女は何を思ったか、俺の胸に手を伸ばしてくる。
「あんたまたこんなにサラシきつく巻いてんの? ガチガチじゃない……いつも言ってるけど、こんなことしてたらおっぱいが型崩れしちゃうわよ」
(この距離で見えてない……眼鏡かコンタクトがないと見えないくらいの視力なのか。いや、それにしたって……っ)
「ま、アコヤのストイックなところは見習いたいけど。次の配信では一桁狙いたいし、身体も絞っていかなきゃ。いくら意識してもこんなぷにっとしちゃってさ、ほら触ってみてよ」
(だ、駄目だ……触れたりしたらさすがにバレる……っ)
「……ひっくしゅ! はー、湯冷めしそうだから戻るわね。あーもーどこいったの、私のバレッタ」
どうやら風呂場で髪を上げるのに使うバレッタを忘れて取りに来たということらしい。そして裸眼ではよく見えなくて、俺のことを他の人と勘違いした。
無事にバレッタは見つかったようで、嵐は去った――のだが、頭が全然回らない。
(……そ、そうだ……本当にアコヤっていう人が来るとまずい……!)
慌てて一旦撤退する――脱衣所を出て東館に戻る。そのとき振り返ると、西館から誰かが出てくるのが見えた。
(あ、危なかった……いや、完全にアウトだ。頼む、何事もなく済んでくれ……)
静波荘の住人は、これで秋月さんを除いても三人が女子――秋月さんが俺が入寮することに納得していない人がいると言っていたことが、今さらに思い出される。
寮から追放ということにならないように、今は祈るしかない。そして明日からは、こんなミスをしないようにする――とりあえず風呂場のプレートは信用できないというのは、教訓としておきたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます